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怒髪天・増子 × 10-FEET・TAKUMA × G-FREAK FACTORY・茂木、これからのフェス文化を語る

2015年05月24日 18:01  リアルサウンド

リアルサウンド

左から、G-FREAK FACTORY・茂木洋晃、10-FEET・TAKUMA、怒髪天・増子直純

 怒髪天・増子直純、10-FEET・TAKUMA、G-FREAK FACTORY・茂木洋晃。今回の記事では、百戦錬磨のバンドマンたちに「理想のフェス」というテーマについて語り合ってもらった。


参考:「挑戦の結果を5年以内に出したい」鹿野 淳が語る、ロックフェスの現状と未来


 10-FEETは「京都大作戦」、G-FREAK FACTORYは「GUNMA ROCK FESTIVAL」とそれぞれ地元に根付いたフェスを主催し、怒髪天もイベント「大怒髪展」「響都ノ宴」や地元でのフリーライブ「カムバック・サーモン2014」を開催と、イベント・オーガナイザーでもある三者。彼らは6月20日に幕張メッセで行われるPIZZA OF DEATH主催のフェス「SATANIC CARNIVAL’15」で顔を合わせる。


 フェスとバンドの関係について、そこで生まれるカルチャーについて。AIR JAMの功績とSATANIC CARNIVALについて。様々なシーンを見てきた3名だからこそ語ることのできる、鋭い意見が飛び交う場になったのではないかと思う。(柴 那典)


■増子「今はフェスが増えすぎてるよね」


――今回は「いいロックフェスとはどういうフェスなのか?」というテーマから語り合っていただければと思います。いろんなフェスに出演し、自らフェスも主催している皆さんだからこそ見えてくるものがあると思うんですが、そのあたりはどうでしょう?


茂木:TAKUMA本人は言わないと思うんですけど、京都大作戦はやっぱり独特な雰囲気がありますね。「誘ってくれてありがとう」とか「見せてくれてありがとう」とか、出てるみんながちゃんと「ありがとう」と言い合えるようなフェスなんです。実は、そういうフェスってあんまり多くないんですよ。そこにはちゃんと理由があって、アーティスト全員がプロモーション関係なく出ているからだと思うんです。


TAKUMA:僕らが京都大作戦を始めた当初は、どちらかというとバンドが調子いい時期ではなかったんですね。喉を痛めてツアーを休んだりもしていた。しかも、京都大作戦の1回目は台風で無くなってしまって。でも、その次の年にみんなスケジュールを空けてくれて、全く同じラインナップでできるようにしてくれた。みんながこのフェス面白いよという雰囲気を作ってくれて、その上でフェスが成り立った。今でもそれが続いている。本当にもう感謝しかないですね。謙虚な気持ちとかじゃなくて、本当にみんなに作ってもらってると思います。


増子:京都大作戦とかMONGOL800のやっているWWW(What a Wonderful World!!)は、ホストのバンドに対しての全幅の信頼があるんだよ。来ているお客さんも出ているゲストも、ホストのバンドが自信を持って見てほしいと薦めるメンツを信頼してる。そういうフェスは呼ばれる方としても嬉しいよ。絶対なあなあではやらないし。


茂木:GUNMA ROCK FESTIVALでも、そういうフェスをやりたいなと思ったんです。僕は田舎の意地みたいな感じでフェスをやり始めたんですけど。


TAKUMA:G-FREAK FACTORYは、昔から地元のライブハウスでCOLOSSEUM(コロシアム)というイベントをやったり、地元の人たちと協力して人を集めてフェスを成立させようとこだわってやってきた人たちなんです。フェスブームみたいなものが来る前から地道にコツコツやってきた。で、自分もああいう形になるまでの紆余曲折やトライアンドエラーをいろいろ見てきた。だから実現して嬉しかったですね。みんなの力を借りて、ライブハウスでやっていたことのサイズを大きくして、開催されてからも少しずつトライアンドエラーを繰り返してよくなっていっている。お客さんも、参加しているアーティストも、他人事じゃなく自分のことみたいに取り組んでいるイベントなんです。


――増子さんは、ロックフェスを巡る今の状況をどう捉えていますか?


増子:今はフェスが増えすぎてるよね。どこかの大企業や雑誌が主催している大きいフェスもある。それは快適に過ごせるかもしれないけど、たいてい単なる見本市になってるんだよ。バーターで出てんじゃねぇかというのが、子供が見てもわかったりする。そんなのばかり出てると、バックヤードが全然楽しくないんだ。バンド同士、友達と友達を会わせるということがない。


——アーティスト主導のフェスはそうではないことが多い?


増子:例えば京都大作戦に出て、見たことないバンドがすごくいいライブをしていたとするよね。そしたら、10-FEETが間に入ってくれて、そいつらと知り合うきっかけを作ってくれる。そこから対バンしたりスプリットを出したりする可能性もかなりあると思うんだよね。今は商業ベースのフェスの方が大きくなってきているけど、本来はそうじゃないと思う。もちろん意思のある方が残ると信じているよ。ただ、今は二極化してるよね。一方には、アホみたいにお客さんが入るけど、終わったらどのバンドもすぐ帰るようなフェスもある(笑)。京都大作戦だったら誰も帰らないよ。裏でグダグダしてるでしょ?


TAKUMA:嬉しいことに。ありがたいです。


増子:「いい加減帰れよ!」と言いたくなるくらい、バンドが裏に残ってる。いいフェスって、どこもそうだよね。ちゃんといいセレクトがされている。「音楽はそんなに好きじゃないけどこいつらを呼べば客が入るからとりあえず呼んでおく」みたいなのがない。そういうのは長年やってると散々見てるし、呼んでる方も呼ばれてる方も何のメリットもないな、と思う。後に繋がらないもんね。


――バックヤードにバンドがずっと残ってるかどうかはお客さんには見えない部分ですが、その雰囲気はお客さんにも伝わるんでしょうか?


増子:それは絶対伝わるよ。例えば最後に大団円になったりするじゃない。そこがバロメーターだったりすると思うんだよね。ステージに集合しなくても、脇で酔っぱらって見てたり、最後に乾杯したりとかさ。そういうフェスは理想だと思うし、そうあってほしいよね。


――TAKUMAさんはどう思います?


TAKUMA:さっき増子さんがおっしゃったように、二極化はしていますよね。その中で、地方のフェスだったり、アーティスト主導のフェスだったり、コンセプト自体にこだわりやストーリー性のあるものは、やっぱりどこも大体チケットが売り切れているか、続いていると思います。あと、そういうフェスは、自らがメディアになってインターネットでも発信して盛り上げていくサポーター、お客さん、支援する人が本当に多いから、根っこの太い安定感がある。もちろん、大きいサイズですごいラインナップでやっているフェスも、家族連れとか音楽を知らない人への入り口としてはすごくいいと思うんです。でも、音楽カルチャーというところにフォーカスを当てたときに、世の中の若い子たちの遊び方に影響を与える度合いがどちらがあるかというと、人が入ってなくてもこだわりのあるほうやなとは思うんです。


――影響力が違う。


TAKUMA:こだわりをもってやってるフェスは、ラインナップも偏りがあったりするし、サイズは大きなフェスに負けちゃうけれど、でもやっぱりチケットがソールドアウトして続いてるんです。例えば、5000人の規模でこだわりあるアーティスト主導のフェスがあるとします。そこは、知らないアーティストでも興味を持って見てくれるお客さんが多い。だから、いいライブをしたらバンドを支援して広めてくれる。でも、巨大な規模でフェスをやってるところが、そのまま同じラインナップで同じキャパでやっても売り切れないと思うんですよね。そんな気がするんです。


――別のフェスになってしまう、ということ?


TAKUMA:そんな感じがあると思うんです。間口の特性からして違うというか。ロックシーンとマーケットの違いがあるし、異なるカルチャーのオーディエンスが入ってくるという意味では良い結果に繋がる部分はもちろんあると思うんですけど、バンド同士のスプリットとか対バンとか、増子さんが言ってたようなストーリーにはなかなか繋がっていかないんですよ。でも、こだわりのある方だったら、露骨に繋がっていきますよね。そうやってこの3バンドも繋がってきたと思ってるし。なんか世話焼きババアみたいな主催者が常にいるんですよ(笑)。「絶対こいつら一緒にやったら合うと思うんだよね」とか言ってて。で、「あいつも言ってくれたし、一回やります?」みたいに、その世話焼きババアの顔を立てる意味も含めて、その後で対バンしたりする。そういうのって、音楽カルチャーとして健全だと思うんですよ。そこに損得もあまりない。そういう場所に人が集まっているのが、ロックシーンというか、ストリートシーンというか、そこのカルチャーの根本にあったもんやと思う。そのつるんでる不良感、大人が真剣になって遊んでいる姿とか、大人になりきれていない人たちが遊んでいる格好良さみたいなものに惹かれてオーディエンスが集まってると思うんです。


■茂木「群馬県民の持っているコンプレックスを、全部意地に変えたいと思った」


――G-FREAK FACTORYは、京都大作戦に出たこと、GUNMA ROCK FESTIVALを開催したことで、バンドの知名度が広がりましたよね。メジャーデビューしたゼロ年代初頭の当時よりも、フェスという場所で繋がりができて、そこでいいライブを見せたことが、バンドの活性化に繋がってきたんじゃないかと。


茂木:僕らはバンドとしてずっと負けっぱなしなんで、それがよかったと思うんです。サクセスも全く無かったし。何より自分達が群馬に住んでいて、その群馬に何も残せていなかった。それがチャレンジをする一番のきっかけになったんです。群馬県民の持っているコンプレックスを、全部意地に変えたいと思った。あのフェスって、お客さんの約6割、6000人くらいが群馬県民なんですよ。イビツでも不恰好でもいいから地元の人たちとちゃんと育っていこうというチャレンジなんです。県を離れて東京に行ってしまう人たちも多いし、街を離れる理由もわかる。でも、この1日だけでもそれを食い止めたい。地元にはストリートのカルチャーも確立してないから、もしかしたらライブを初めて見る人もいるかもしれない。だから、県外から来る人には、どうやって遊んだら楽しいかを見せにきてほしいし。これからどうやるかがすごく大事なんです。仕上がったとは全く思っていない。今年はワケあって開催できないですけど、来年以降また新しいチャレンジができたらなと思ってます。


――GUNMA ROCK FESTIVALは、今年はあくまで続けていくために休むということですね。


茂木:そうです。


――怒髪天もいろんな浮き沈みを経てきましたが、フェスへの出演も追い風の一つになりましたよね。


増子:浮き沈みというけど、浮いたことはほぼ無かったからね(笑)。みんな40歳過ぎるまでバイトしてたから。今年で49歳だから、全員バイトをやめられたのが8年前くらい。俺らが何を見せてこられたかというと、後輩のバンドに「まだ可能性あるぞ」ということ。それは見せられたと思うんだよね。


――増子さんは、フェスとバンドの関係性はどんな風に捉えていますか?


増子:バンドの地金の強さはひとつのハンコになると思うんだよ。G-FREAK FACTORYとか10-FEETは要は地元のお祭りの顔役なわけでさ。そのバンドから一個ハンコをもらうということは心強いことだし、それは呼ばれるバンドにとって大きいことだと思うんだよね。金を出せばインタビューと広告1ページくらいは雑誌に載せてくれるよ。それで宣伝にはなるかもしれないけど、それは何枚か載っている広告のうちの1枚にしか過ぎない。でも、そういうフェスに呼ばれてやるということは、地金の強いバンドに認められているぞ、ということ。それは若いバンドとか新人のバンドだけじゃなく、いわゆるどメジャーのバンドが呼ばれるのを見ても思うんだよ。ガーンと売れて人気が出ているバンドって、逆にコアなロックファンからは軽く見られがちじゃない? でも、そういうフェスにそいつが呼ばれているのを見ると、「実はこのバンド、いいんじゃねぇか?」って思ったりする。


TAKUMA:それはあるなぁ。


――売れているバンドであっても、同じバンドから認められることのメリットは大きい。


増子:そう。メジャーなバンドにも、実際はかなりメリットあると思うんだよね。動員に繋がるとかじゃなくて、バンドの格が上がるというか。そういうのは本当に健全だし、そういうものであってほしいよね。


茂木:結局のところライブハウスもそうですよね。規模が小さいとか大きいとか関係ない。


増子:ちゃんと意思があって素晴らしいブッキングを常にみんながやってくれれば、自分らでやる必要なんかないかもしれない。だけど、そうじゃないからね。商業的になるのが悪いことだとは思わないよ。毎回赤字を出す必要もないと思うしさ。だけど、そこに意志が見えてこないと。俺はフェスとかイベントって、やっぱりお祭りだと思うんだよね。ちゃんと意図が分かるお祭り。そういうもんであってほしいんだよね。


――怒髪天は昨年に北海道でも野外フェスをやりましたよね。やっぱり地元でやるということの意義は大きかったでしょうか。


増子:もちろん! 同級生にはみんな子供がいてなかなかライブハウスには来れないから、野外の公園でフリーでやれば、みんな来る言い訳にはなるだろう、と。そうしたらみんなきてくれたし、特に興味のない爺ちゃん婆ちゃんも見に来てくれて喜んでくれた。そういうお祭り感はあっていいと思うし、地元で何か残したいというのはある。北海道出身の人間からしたら、群馬なんて全然関東だし東京だからね(笑)。今は技術が進んでネットがあるから、遠くにいても音源を出せるし活動できる時代にはなっているけど、やっぱりそういうことだけじゃないんだよ。そこでしかできないものがある。だからやるべきだと思うし、地方に行ったときの楽しみになるんじゃない? やっぱり、フェスというのはお祭りなんだよね。


――以前、大友良英さんにフェスについて話を聞いたことがあって。そこで印象的なことを言っていたんです。大友さんも福島の出身で、プロジェクトFUKUSHIMA!というフェスをやっている。「フェスというものをどう考えていますか?」と聞いたら、やはり増子さんと同じく「フェスはお祭りだ」と言うんですね。で、その上で「だんじり祭りとサマーソニック、そのどっちでもないオルタナティブなものを作りたい」と言っていたんです。つまりは、地元に根付いた伝統的なお祭りの象徴としてのだんじり祭りがあり、一方で商業的なフェスの象徴としてのサマーソニックがある。どっちもあっていいけれど、どっちでもないものを自分は作りたい、と。地元の人が誇りを持てるようなお祭りで、しかも作り手と受け手とがハッキリ分かれていないのがポイントだと言うんです。みなさんのおっしゃっているフェスって、そういうイメージにも近い気がするんですが、いかがでしょうか。


TAKUMA:それはあると思います。普段から、これ楽しいよ、ここにしかない楽しみ方だよという付加価値を感じてもらって、一つの遊びとしてライブハウスに来てもらうということをしているので。それをフェスというサイズでやるというのは、つまり不特定多数の人にもっと知ってもらいたいという意味でもありますし、お祭りをしたいということでもあります。


茂木:僕の場合は、やっぱり群馬というのが大きいんですね。不格好な田舎者であることをちゃんと受け止めようと思ってます。40歳になって、若いやつに言い訳させたくないなと。地方のバンドで、ロックをやるには決して若くはない年代だけど、しぶとく粘っていればここまではやれるぞというのを見せられれば、勇気を与えられるかなと。


TAKUMA:特別な形の勇気だよ、それは。


増子:群馬とか京都という自分達の地元で何かをやるというのはさ、「背中を見せる」ってことなんだよね。やっていることを見せるということ。特別な人間なわけじゃないんだ、同じ中学だぞ、と。それを地元の子らは感じてくれると思うんだよね。テレビや雑誌で見ると、やっぱり「最初から違うんだろうな」とか思っちゃうんだよ。音楽で食べる才能があったんだろうなとか、続ける根性があったんだろうなとか、コネがあったんだろうなとか。それは違うんだよ。同じ1時間300円くらいのスタジオでやってたんだよ、と。そこは大きいと思うよ。


■TAKUMA「AIR JAMは若者の人生を直接変えることに結びついたカルチャーだった」


―――日本の今のフェス文化のスタート地点を考えると、1997年になるんですよね。そこはフジロックが始まった年でもあり、AIR JAMが始まった年でもある。


茂木:自分としては、自分でフェスをやればやるほど、AIR JAMの1回目のすごさというのを感じますね。仕掛けもなかったし、ネットもなかった。仲間と一緒になってやっちゃおうぜというような立ち上がり方を、あの時代に見せることができた。あれは事件だったと思うんです。


TAKUMA:すごいよな。


増子:あれは絶対に計算してできることじゃないからね。


――みなさんはAIR JAMは現場で体験していましたか?


茂木:僕はいました。ベイサイドスクエアで地面が揺れるというのを初めて感じましたね。97年ですね。


――BRAHMANのTOSHI-LOWさんとHUSKING BEEの磯部さんの対談でも言っていたんですが、磯部さんが最初のAIR JAMに出た時に「俺とみんなは同じだから、頑張ってたらこんな風になれる」と言っていたそうなんです。そういう、ステージとオーディエンスが地続きな感覚は、パンクやラウドロックのシーンにおいて脈々と受け継がれているものなんじゃないかと思うんですが、どうでしょう?


TAKUMA:AIR JAMに関しては、当時地上波でお茶の間に流れていたわけではないけど、すべての若者が知っているくらいのムーブメントだったし、ロックをそんなに好きじゃないような子らでも知っている時代だったんですよね。ロックに興味ない人も知っていたというのは奇跡的なことで。地上波のテレビに出てるような芸能人とかスター、俳優さん、歌手、これはいつの時代もいて、そこにみんな憧れます。でも、その人になりたいと思った時に、家で歌ったり演技の真似はできるけれども、やっぱり具体的になろうと思ったら、スタート地点はかなり特化した場所にしかない。テレビはお茶の間の人にとってはすごい遠い場所ですからね。でもAIR JAMは、そうじゃなかった。


――そうですよね。


TAKUMA:若者が見る雑誌に常に情報が載っていて、しかもその雑誌の中には地方の服屋さんとかスケートショップの情報もあって。どのショップにどのバンドの人が出入りしていたりとかもわかったから、そういうお店に行って、その人が身に着けている服を選んで買って。バンドはできないけど、あの人が着ている服を着て俺もそのカルチャーの一員になれるというような、そんな入り口もあった。ストリートのスケートボードとか洋服とか、そういうカルチャーともAIR JAMは連動していたから、身近な店にもAIR JAMと関連するところがあって、そこに行ったら「俺、TOSHI-LOWに会ったことあるよ」みたいな人がどこの街に行ってもいたと思うんですよ。バンドは全国をツアーしてるから。芸能人と関連性のある人に会えたりする環境ってあまりないと思うんですよね。そういう意味でも「すぐここでライブできるんだよ」と言ったのは、本当にリアリティのあるものだし、俺もそこを目指してバンドをやろうという子たちが、現実味のある夢として、それを目標にバンドやったと思うんです。あるいは服屋になろうと思った子もいるだろうし。若者の人生を直接変えることに結びついたカルチャーやなと思いますね。


――怒髪天、10-FEET、G-FREAK FACTORYの3バンドは今回「SATANIC CARNIVAL」に出演します。こちらはPIZZA OF DEATHが昨年に立ち上げたフェスですが、TAKUMAさんは昨年に出演してどんな印象がありましたか?


TAKUMA:SATANIC CARNIVALの名前、フェスの存在というのは、AIR JAMに比べたらまだ浸透していなかったと思うんです。それに、ラインナップがこうだからとか、というよりも、PIZZA OF DEATHというレーベルがやるフェスだから行ってみようと思った子たちの方が多いんじゃないかと思います。やっぱりこだわりと共にロックを伝えて、その面白さを発信してきた横山健さんがやってるレーベルだから。あとは、クラスでもちょっとロックに詳しい男の子や女の子を見て、「あいつが行ってるところに行ったら面白いもんに出会えるかも」って集まってる子も多かったと思う。こういう理由も健全で、意味があると思うんですよ。こういうことから少しずつカルチャーというものが地下から発信されていくと思うんで。そういう子が集まってるような雰囲気はありました。


――怒髪天、G-FREAK FACTORYは今回が初出場となりますが、いかがでしょうか?


茂木:僕以外のメンバーは去年見に行ってるんですけど、とにかく横山健さん、Hi-STANDARDというバンドは、自分がバンドをするきっかけになった人ですからね。その人の前で自分に何ができるんだろうと。そこに賭けてみたいですね。


増子:メリット、デメリットとかプロモーションになるとかじゃなく、横山に「出てくれ」と言われたら、もちろん出るよという感じだね。フェスのパーツに俺らが必要なら、それを全力で埋めてやろうという気持ちがある。ジャンル的には間違いなく浮くだろうし、アウェイにもなるだろうし。でも、そこは俺らじゃないと埋まらないパーツなんだなというのは自覚しているから。


■増子「ロックは不良のものであってほしいという願望はずっとあるよね」


――増子さんから見た横山健さんというのは、どういう存在なんでしょう?


増子:付き合いは古いよ。ハイスタの最初のボーカルが俺の友達だからね。まだ4人だった頃。横山も下北沢屋根裏のバイトだったから。俺らがやってるライブで、お客さん4人くらいしか居ないところで照明やったりしてたよ。


TAKUMA:そんな時代からだったんですね。


増子:ハイスタって、パンクを方向転換した立役者なんだよ。それまでは裏に裏に、日陰に日陰に向かってたのが、外に開けていくようになった。そして、PIZZA OF DEATHも「自分達にもできることはあるんだよ」ということを見せてきているから。たぶん、SATANIC CARNIVALも、フェスというもの自体を、もう一回AIR JAMみたいに自分たちの手に取り戻そうとしてるんじゃないかなと思うんだけどね。知名度がないと呼ばれないとか、いろんな事務所の思惑が絡むものじゃなく、もっとノリで「いい」と思ってるものを出していくようなものになるんじゃないかな。だから、いろんなカラーのキャラクターと柱が必要になる。今は試行錯誤してると思うよ。1、2回くらいじゃ完成形は見えないと思うけど、だからこそ、全力でやるしかない。どこよりも一生懸命やらないといかんと思う。そういう責任感はあるよ。


TAKUMA: SATANIC CARNIVALは、今のPIZZA OF DEATHが、今の時代にあった新しい場所を作ろうとしてくれているわけだと思うんです。でも、やっぱり、増子さんや僕や茂木が見てきたライブハウスシーンには、「このバンド格好ええやん」と不意打ちで好きになったり、お客さんがちょっと酔っぱらいながらふらふらしてたり、たまに転がってたり、どこかで誰かが喧嘩してたり、そういうちょっと不良な雰囲気とか本当は要らない緊張感もありながらの、ダラダラしたイベントだからこそ「よかったな」と思える青春って僕には沢山あるんです。そういうものをフェスのサイズでいろんな人に伝えられたらいいなと思うんですけど。でも、それはすごく難しい。


――難しいですか。


TAKUMA:これだけ沢山フェスがあるけれども、あの雰囲気とかあの味を出せてるフェスって皆無やと思うんですよね。僕はAIR JAMの会場には行ってなかったけど、映像は穴があくほど見て、あそこにはそれがあったと思うんですよ。そういうものも伝えられたらいいなあと思うんですけどね。でも今はアクセスの問題もあるし、お客さんがネットを使って全員がインディペンデントのメディアみたいになっちゃったから、そういうダラダラしたフェスとかイベントとか、その中で起こるちょっとした事件とかも、今だと簡単に大問題になっちゃう。だから、なかなかデリケートで難しいんですけど。でも、ああいうところやからこそ、一生思い出に残る場面があるような気がしています。SATANIC CARNIVALは、時間を掛けてでも、その一部分でも見せたいというところもあるんじゃないかなという気がするんですよね。


増子:ロックは不良のものであってほしいという願望はずっとあるよね。健康的なアミューズメントであってほしくはない。ある程度、後ろ暗いものであってほしいと思う。でも、今はそうじゃなくなってきてる。それが悪いとは思わないけど、緊張感なく「今日はよろしくお願いいたします!」みたいな感じでライブやってすぐに帰るとか、何の引っかかりもないのよ。それはロックではないと思うから。「あいつ生意気で気に入らないな」と思ってライブを見たら「めちゃくちゃいいな!」ってなって、それで仲良くなったりとかさ。そういうのが美しいんだよ。楽しくなっちゃって酔っぱらっちゃってさ、友達に置いてかれちゃって、ゲロ吐いたりして、見たいバンド見れなかったとかさ(笑)。それくらいでいいんだよ。それで来年も行こうということになるからさ。


TAKUMA:話だけ聞いてたら、矛盾というか、本末転倒と言ってもおかしくないくらいの結果なんですけどね。


増子:体験だからな。面白いイベントに出るたびに思うけど、あれは体験なのよ。そこで起こっている事件を体験しにくるわけ。神輿を一緒に担ぎに来てるわけだから。テレビで見るものとは全然違う。痛くないからね。意外と身体がぶつかって痛くて頭にきて燃えたりするからね。ライブって。


TAKUMA:インターネットではわからないですよね。


増子:そう。インターネットじゃ画面が小さすぎるからな!(笑)。
(柴 那典)