1980年代から1990年代前半にかけて、ル・マン24時間レースは“グループC”と呼ばれる、各メーカーがレース専用に開発したモンスターマシンたちの戦いの場であった。しかし、車両規定などの改定などでその魅力が削がれ、この“グループC”というカテゴリーは1992年をもって廃止されることになる。
その後のル・マン24時間を含めた世界の耐久レースの主役は、“GT1”と呼ばれるカテゴリーのクルマが引き継ぐこととなる。この“GT1”は、開発競争が激化することを防ぐため、生産台数25台以上のクルマがベースになっていなければならないと規定(BPRグローバルGTシリーズの規定)。フェラーリF40やマクラーレンF1、ホンダNSXらが参戦するカテゴリーとなった。
しかし、メーカーはル・マン24時間やその他のGT1規定のレースに勝利するため、“25台を市販する”レーシングカーを登場させる。ポルシェ911GT1やメルセデス・ベンツCLK-GTRなどがそれだ(※BPRグローバルGTシリーズは、1997年からFIA GT選手権と名称を改めて開催されることになる。その際、25台の市販バージョン生産という制限は緩和され、後述のLM-GT1クラス同様1台のみストリートバージョンを製造すればOKということになった。メルセデス・ベンツCLK-GTRはFIA GT選手権の規定に沿って作られたマシンのため、1台のみロードカー版を作れば良かったが、同社は25台を製造している)。一見すると、完全なるレーシングカー。しかしこの市販車バージョンを市販展開することで、GT1規定をクリアし、レースに臨んだ。
しかし1994年、ル・マン24時間レースを主催するACO(フランス西部自動車クラブ)は、ル・マン24のみにスポット参戦可能なローカルルール、“LM-GT1”という規格を認定することを明らかにする。これは、ストリートバージョンのマシンが1台でも生産されていれば、レースへの参加が認められるというもの。この規定に合わせて登場したのがトヨタTS020やニッサンR390などで、それぞれ市販バージョンも製作されている。またポルシェは、グループCカーである962Cを市販化改造した“ダウアー962LM”を作成し、レースに参戦している。
このACOのLM-GT1規定に合わせて作られたのが、今回紹介するSARD MC8Rである。サードと言えば、スーパーGTなどトヨタとの強い結びつきが印象的だが、このMC8Rはトヨタの支援を受けず、サードが独自に開発したマシンと言える。
トヨタMR2をベースとしたシャシーに、セルシオ用のV8にターボを追加しパワーアップを図ったエンジンを搭載。Cカーで使われていたサスペンションを取り付け、ギヤボックスもレース専用に換装。全幅、全長ともに拡大しており、まったく別のクルマになった。規定をクリアするために1台のみ製造された市販バージョン“MC8”でも、MR2の面影はほとんど見られない。
このマシンを使い、サードは1995年からル・マン24時間レースに参戦することを決定する。サードはMC8Rを熟成すべく準備を進めていたが、時を同じくしてトヨタがスープラをベースにしたGT1マシンでのル・マン参戦を決定。サードはその実働部隊に選ばれ、チーム内の主力は、スープラを走らせるために駆り出された。結果、MC8Rに注がれるリソースは減ってしまい、熟成は不足。なんとかル・マン出走にこぎ着け、31位で予選を通過するも、設計ミスによるクラッチトラブルで、僅か14周を走ったのみでリタイアしている。
1996年も再び参戦。この年のGT1クラスは、前年と比較して飛躍的にクラス全体のレベルがアップしており、予選は38位。決勝ではエンジンの8気筒のうちひとつで燃焼できないというトラブルにより完走が危ぶまれたが、24位で完走を果たす。
続く1997年は、大幅な軽量化を施したマシンで三たびル・マンに挑戦。F1経験者のオリビエ・グルイヤールや、今年のインディ500にもエントリーしているオリオール・セルビアなどを擁して万全を期すが、予備予選でのトラブルにより、決勝出走を果たすことはできなかった。
このSARD MC8Rが、今週末に開催される『SUZUKA Sound of Engine』でデモランを実施する。このマシンが走行するのは実に珍しく、いつ以来のことになるのか定かではないが……いずれにしても、貴重な走行シーンだ。
奇しくも今年は、サードがスイスのモランドとタッグを組み、WEC(世界耐久選手権)に参戦中。そのサードの歴史の一部に触れることができる、またとない機会になるはずだ。