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LUNA SEAが演出する「V系シーンの総決算」 市川哲史が『LUNATIC FEST.』の意義を説く

2015年05月19日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

市川哲史『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

 私は、かつての人気バンドが再結成してライヴを演る分には大賛成だ。


(参考:X JAPANはU2よりも27年早かった!? 市川哲史が明かす、無料配信にまつわる秘蔵エピソード


 けれどもライヴ以外に、再結成には何も期待したことがない。理由は簡単、生産的じゃないからだ。再結成バンドの<新作>に名盤なし――この一言につきる。


 観客のほぼ全員がかつての楽曲を聴きたいだけの再結成ライヴで、「新曲を聴かせたい」「再結成したからには進化した俺たちを観てほしい」とは、自意識過剰にも程がある。進化しとけよ解散前に。


 なので私は、バンドとファンOBという当事者が誰一人傷つかず平和なひとときを味わうためにも、ライヴ限定こそが<正しい再結成>と捉えている。ナツメロ上等だ。


 というのが、以前このコラムでも書いた私のバンド再結成観である。


 すると2013年12月に13年5ヶ月振りの新作『A WILL』をリリースしちゃったLUNA SEAは、要注意案件だったりする。


 彼らの<新作>はどこを聴いてもLUNA SEAとしか思えない「これでもか」のロックンロール・アルバムで、「40代をなめんな若造こら」とばかりの音楽的威圧感が全編で疾走していた。


 各々の手癖が懐かしい演奏スキルはさすがのバージョンアップを誇り、RYUICHIのコークスクリュー・ヴォーカルに至ってはコブシ倍増か。作曲クレジットはバンド名義でも、誰がメインで書いたのか一目瞭然な感じも、らしい。そして相変わらず<抱きしめ>たり<壊れそう>だったり<場所>に向かう歌詞もまた、とても懐かしかったのである。


 と同時に、あのLUNA SEAの再始動アルバムがこんなにシンプルな作品になったことが、かなり意外だったのだ。


 かつてLUNA SEAは自分たちのロックが世界一恰好いいことを証明するために、世間に闘いを挑んだ。そしてメンバー全員、各自が考えるLUNA SEAが唯一絶対のものであると確信していたがゆえに、まずバンド内で5つの<LUNA SEA made in 俺>同士が毎回毎回シノギを削った。そんな彼らを当時、《音楽戦隊エゴレンジャー》とか《独立国家共同体バンド》と命名したのは私です。


 誰か一人の発言が全員の共通認識に最もなりづらいバンド――つくづく面倒な連中だが、その熾烈な音楽的内部闘争が生む緊張感や大胆な実験性が、バンドの音楽性をよりスリリングに躍動させたといえる。


 だからこそ2000年12月27日の<終幕>という名の自爆劇は彼らに相応しく、また邦ロック史上に残る見事な散り際だった。


 それゆえに13年5ヶ月間もの恩讐(失笑)をなんとか解消してまで完成させた新作が、「普通」なわけないだろう? ましてやこの終幕期間中に世界の音楽シーンは当然、よくも悪くも変貌を遂げている。ただでさえ音楽的野心満々の奴らが、看過するはずないではないか。


 ……しかしその『A WILL』からは、「新しい音楽を創造するぜ!」的な力みも「LUNA SEA様の再降臨だぁ!」的な高揚も伝わってこなかった。前述したように、要は<LUNA SEA・40代ヴァージョン>だったのである。


 別の言い方をすれば、「俺たち5人が揃うとやっぱLUNA SEAにしかならないのね」「自分はLUNA SEAの一部である、といまなら言えるかも」という、能動的達観もしくはポジティヴな諦観が、彼らに不思議な現役感を持たらしたようだ。


 その新作『A WILL』を私はいいアルバムだと思ったし、LUNA SEAが結成以来24年目にして作った<最もバンドらしい一枚>と積極的に評価もする。ただし本作があろうとなかろうと、やはり私はLUNA SEAの音楽的キャリアに影響はないと思うのだ。


 ではなぜ彼らは、<かつてのスレイヴたちにはさほど必要ない新作>をわざわざ作らねばならなかったのか。「再始動してある程度活動する以上は、ちゃんと新作をリリースしなければ世間に対して失礼だろう」と本気で考えていたからに違いない。


 2007年12月の一夜限り再結成@東京ドームや翌08年5月のhide追悼サミット参加@味の素スタジアムに、道義を問うような無粋な奴などいない。2010年晩秋からの東京ドーム2公演を含むワールドツアーも、実はクールジャパンの一翼を担ってた<visualkei>ブームへの貢献を考えれば、いいじゃないか。続く2011年10月のさいたまスーパーアリーナは東日本大震災チャリティーだもの、立派な大義がある。


 それでも2012年以降、5会場13公演の全国Zeppツアーに武道館6公演を含む再度のワールドツアー、そして昨年から今年にかけての19会場35公演にも及ぶ全国ツアーへと拡大していくにつれ、<現役>バンドとして最新作を欲してしまったのかもしれない。


 もはや活動のための大義名分ではない。表現者としての業だ。何もそこまで思い詰めんでも、である。


 こと表現することに関して、LUNA SEAほど一切の妥協と打算を挟まず没頭する、愚直なまでに真摯なバンドはそうそういない。だから私はずっと彼らを信用してきた。


 私の再結成観自体は今後も変わらないけれども、LUNA SEAの度を超えた律儀さはある意味「ロック」っぽい。少なくとも行き当たりばったりでだらだら活動してるだけの再結成に較べれば、はるかに潔いのだ。


 そして2015年6月27・28日の両日、LUNA SEA自身によるロックフェス《LUNATIC FEST.》@幕張メッセが開催される。


 これがまたなんとも、「そんなLUNA SEAらしい」としか言いようのないフェスだったのだ。


 出演者が小出しに発表される中、ようやく5月18日、X JAPANとBUCK-TICKの参戦が満を持してアナウンスされた。年季の入った勘のいいファンたちは初期段階からSNSで盛り上がっており、見事なまでにバレバレだったようだ。当たり前か。


 まず初日は誰がどう見ても《エクスタシーサミット》再び、だ。


 YOSHIKI主宰のインディーズ・レーベルであるエクスタシーレコーズ所属の「Xの舎弟バンド」が一堂に会し、暴走族の集会ノリで共演ライヴしたアレだ。目黒・鹿鳴館で当初行なわれてた内輪のお祭りは、1991年@武道館、92年には@武道館&大阪城ホールにまで巨大化した。その後はYOSHIKI米国移住が幸いして、開催されていない。


 当時の宣伝コピーは、《無敵と書いてエクスタシーと読む 無謀と書いてYOSHIKIと読む》に《強者共がやってくる、今年も怪獣大戦争、大都市壊滅3秒前、今年も一発エクスタシー、気合い一発エクスタシーサミット》。中身は自ずと察してくれ。


 インディーズ時代のLUNA SEAも大阪城ホールは決意の白装束で出演してたし、そういえば私は武道館大会の総合司会をYOSHIKIから依頼されたのを想い出した。げろげろ。私が断ったので結局、大竹まことが巻き込まれる羽目になったっけ。合掌。


 話が逸れた。見よ、ラウドやらオルタナやらハードコアやら荒れ模様の初日に並ぶ、X JAPANとTOKYO YANKEESとLADIES ROOMとLUNA SEAの名を。エクスタシーじゃん。そして意外だったのは、フリーウィルの雄・DIR EN GREYの参加だった。


 YOSHIKI率いる東のエクスタシーとダイナマイトトミー率いる西のフリーウィルが、かつてこのサミットでも共闘するなど、V系黎明期から最凶タッグを組んで暴れ回ったことで、日本にV系文化が勃興した。しかしいろいろあって両者は長きにわたり、断絶状態にあったのもまた事実だったりする。それだけに今回のDIR EN GREY参戦は両者の雪解けというか、大袈裟だけどもV系史における一つの大団円に映らなくもないのだ。


 そんなLUNA SEA演出による和平交渉の成果というか、自らのフェスをV系シーン総轄の場に提供しちゃうというその<大きなお世話>的発想が、やはり彼ららしい。


 となると2日目は、1994年8月、福岡・仙台・札幌・新潟・大阪で開催された日本初の競演ライヴツアー《L.S.B.》21年目の復活、しかない。


 当時人気絶頂だったBUCK-TICK、LUNA SEA、SOFT BALLETの3バンドのスプレッド・ギグで、公演地別にL'Arc~en~Ciel、THE YELLOW MONKEY、THE MAD CAPSULE MARKETS、die in criesといった注目株の若手バンドたち(失笑)がゲスト出演した、画期的なパッケージである。


 minus(-)は元ソフバの藤井麻輝+森岡賢だし、D’ERLANGERで唄ってるのは元ダイクラのkyoだし、KA.F.KAでドラム叩くのは元マドカプのMotokatsuとくる。となりゃもう、バクチク兄さんの登場で仕上げるしかないではないか。なあ?


 ちなみにこの2日目に出演するGLAYはきっと、初日だったら参加しなかった気がする。わははは。


 結局《エクスタシーサミット》にせよ《L.S.B.》にせよ、誰に頼まれたわけでもないのにLUNA SEAは自らが関わった<V系遺産>を修復公開することで、シーンごと自分たちを総決算しようとしているのか。


 まさに<使命感の暴走>なのだけれど、見飽きた音専誌フェスより5万倍はイノセントな《LUNATIC FEST.》を、私も勝手に強く推す。(市川哲史)