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kz(livetune)が明かす、プロの道に進んだ理由「オレより強いヤツに会いに行こう、と」

2015年05月18日 21:21  リアルサウンド

リアルサウンド

kz(livetune)。(写真=竹内洋平)

 音楽を創る全ての人を応援したいという思いから生まれた、音楽作家・クリエイターのための音楽総合プラットフォーム『Music Factory Tokyo』が、2007年9月に初音ミクをボーカル音源として使用した楽曲を動画サイトにアップして以降、ボーカロイドブームを牽引する1人になり、2011年にはGoogle ChromeのCM曲「Tell Your World」で世界的な評価を受けたkz(livetune)のインタビュー記事を公開した。


 同サイトは、ニュースやインタビュー、コラムなどを配信し、知識や技術を広げる一助をするほか、クリエイター同士の交流の場を提供したり、セミナーやイベント、ライブの開催など様々なプロジェクトを提案して、未来のクリエイターたちをバックアップする目的で作られたもの。コンテンツの編集には、リアルサウンド編集部のある株式会社blueprintが携わっている。リアルサウンドでは、今回公開されたインタビューの前編を掲載。同記事では、彼の音楽遍歴やプロを目指したきっかけ、嵐やT.M.Revolution、桃井はるこにClariS、中川翔子などへの楽曲提供を行う際の心構えなどを語ってくれた。


・「シリアスになっていくことで楽しさが失われるのが苦手だった」


――kzさんが音楽に触れたきっかけを教えてください。


kz:音楽に触れた、といっていいのかどうかわかりませんが、小学生の頃はいわゆる“CDが一番売れた時代”だったので、小室哲哉さんをはじめとしたJ-POPは良く聴いていました。音楽を作るきっかけになったのは、小学4年生くらいの時、両親に連れて行ってもらった坂本龍一さんのライブがきっかけですね。当時は今のようなピアノサウンドではなく、打ち込みがメインだったのですが、エレクトリックな音楽に初めて触れたため、インパクトがすごく、それを聴いて「音楽をやろう」と思いました。


――その後、どのように音楽にのめり込んでいったのでしょうか。


kz:ピアノを習ったりバンドを組んだりしたのですが、本当の意味でしっかり音楽を聴く機会はしばらくなかったですね。自己流でピアノを弾いて作曲しながら高校3年生まですごしていて、その時にたまたま読んだ『ロックンロールベスト名曲100』みたいな名前の雑誌の特集を見てなぜか興味を引かれ、そこに載っていた楽曲を1から100まで聴き漁っていったのが、恐らく初めて音楽を聴くことに夢中になった体験でした。当時はポップスでもマドンナのようにロックマインドがあるものが好きでした。


――ロックにも傾倒していた時期があると。そのときは打ち込みから離れた感じでしょうか。


kz:いえ、並行して作曲はしていました。自分の打ち込みサウンドのベースになっているのは『beatmania』(音楽ゲーム)で、中学生の時にハマって以来、打ち込みでの作曲はずっと続けていました。でも、クラブに行ける年齢でもなかったので、ゲームで紹介されているハウスやドラムベースを自分なりに解釈して作っていたり……(笑)。でも、当時参加されてたクリエイターにNYのクラブでレジデントを務めていたHiroshi Watanabeさんなどもいらっしゃって、そういったサウンドをお手本にしていたので本来のものとそこまで大きなズレは起こっていなかったと思います。初めて本格的にダンスミュージックに触れたのは2007年のジャスティスの『†』ですね。それまではアンダーワールドやケミカルブラザーズなど、ロックと親密な打ち込み音楽ばかりを聴いていたのですが、このアルバムを聴いてロッキンかつダンスミュージックなトラックなのに、歌ものはポップになっていると衝撃を受けたことを覚えています。


――ジャスティスの『†』は、たしかに当時のダンスミュージックシーンにとって極めて鮮烈な作品でした。そこからどのように現在の音楽性が確立されていったのでしょう。


kz:ジャスティスと同時期くらいに、友人が作曲で参加していた元気ロケッツが出てきて、よく聴いていました。この二組によって自分のサウンドの原型が作られたといっても過言ではないです。ロックサウンドが入ってこなかったのは、集団行動が苦手だったからかもしれません(笑)。バンドも好きで組んでいたんですが、ある時期を境に「これからは真面目にやっていこう」ということになって、練習が終わってから反省会をしたりするようになったんです。そんな風にシリアスになっていくことで楽しさが失われるのが苦手で……。それに、2000年を過ぎてから自分の好きなガレージ的な音楽をやるのには勇気が足りなかった。


――バンドはあまりご自身の性には合わなかったと。本格的にプロを目指すきっかけになった出来事はありますか。


kz:ギアが入ったのは小学校の頃ですね。中学時代にはすでにかなりの曲数を作っていたんです。そのまま音大に行き、DTMやPAレコーディングを学ぶ学科にいたので、進路は音楽以外にないし、その道が絶たれたらもう死ぬしかないと思っていました。大学を卒業したら、作家事務所に行って作曲家になろうとしたんですけど、大学4回生のときに初音ミクで投稿した楽曲をきっかけにビクターさんから声をかけていただいたので、「これでプロになれるならそれはそれでいいな」と。


――kzさんは各所で初音ミクについて「シンセサイザーのひとつである」ととらえていることを公言していますが、世間ではキャラクターがクローズアップされることが多い気がします。


kz:当時から、結局はキャラソングでしたね。ただ、とらえ方は人それぞれで、どれが正しい使い方というのはないと思います。僕はシンセっぽい使い方をして、たまたまみんながそれを面白がってくれたというだけなので。当時は、キャラの世界観を打ち出していく曲が大半でした。いまは、逆にそういう曲がほとんどなくて、「誰々のプロジェクトの歌を歌うボーカロイド」という立ち位置が多いと思います。ただ、ボーカルが全部一緒なので、どこで差別化するかというと、やっぱりクリエイターの記名性の話になるのかなと。たとえばOSTER projectやbakerさんやryo(Supercell)さんなどは、作曲家として評価されているし、その人をみんなが応援していく。そういう流れが2007年からありましたね。


――周辺のクリエイターで影響を受けた方はいますか?


kz:同人だと、ぼくが好きだったのは東方Projectですね。上海アリス幻樂団が作ったサウンドトラックをアレンジする音楽サークルがすごく多くて、トップクラスで活躍していた、REDALiCE(ALiCE'S EMOTION)とかMasayoshi Minoshima(Alstroemeria Records)には強い影響を受けました。先のジャスティスやKITSUNEが流行っていた時期だったので、ハードコアやエレクトロ、トランスなどをルーツに持つクリエイターが手掛けたアレンジが秀逸に聴こえたし、カッコいいゲームやアニメに対するアプローチの仕方も学びました。


・「僕が参加したことによる変化は足すべき」


――プロになったときに、同人との違いは感じましたか?


kz:2008年に『Re:package』でメジャーデビューして、そこから色々と仕事をいただいていたのですが、当時はほかのメジャークリエイターと会うことがほぼなかった。家で作業して、マスタリングやトラックダウンでスタジオに行き、リリースしたらネットでなんとなく反応を見る、ということのくり返しで、自分と同じような立ち位置や、同じ年頃でメジャーで活躍している人にぜんぜん会う機会がなかったので、違いはぜんぜんなかったですね(笑)。それと、2008年、09年あたりまでは、ファッションカルチャーの人が手掛けるアニメ・エレクトロのイベント「電刃/DENPA!!!」界隈の人と一番仲が良かったですね。プロになった実感がわいてきたのはもう少し後で、いろんな声優さんやアニメ関係の人と話しはじめて、プロとしてのマインドの高さを意識しはじめた2011年、12年くらいです。このころ、鬼龍院翔くん(ゴールデンボンバー)のラジオに出たり、深瀬くん(慧・SEKAI NO OWARI)と友達になったり、数千人、数万人のお客さんを相手にしている人と話しはじめて、ようやく同世代の友達ができました。仕事では年上の方とばかり話すことが多くて、同世代の友達もあまりいなかったんです。


――環境が大きく変わったわけではなかったと。仕組み的な意味合いでの違いはありましたか。


kz:同人イベントって、けっこう閉塞的なんですよね。コミケ(『コミックマーケット』)で完結していて、作り手もそこに向けて作品を作って売ることである程度まとまったお金を手に入れて、それを資本としてまた次回作を作るというループを繰り返している。そうすると、クリエイターの友人とも話していたんですが、本来は曲ができたからコミケで発表するはずなのに、コミケが近いから曲を作らなきゃという、逆転現象に陥りがちなんですよ。それを少数の人に向けてずっとくり返していて、限りなく惰性に近いという人も多いと思うんです。コミケ前のTwitterを見ると、「締め切りが……」っていうツイートがすごく多いし、「じゃあ、なんのためにやってるんだ?」という話になる。僕はほぼ1発目に作った作品で参加したんですけど、数年たって冷静に見ると「みんなはなんのために曲を作っているんだろう」という気持ちになりました。コミケというコミュニティで満足するのがぼくはあまり好きじゃなかったんです。なので、プロになったのは「オレより強いヤツに会いに行く」という気持ちもありました(笑)


――kzさんがその時、想像していた「強いヤツ」とは?


kz:特定の人というわけではないですが、メジャーシーンって、山下達郎さんとか菅野よう子さんとか、ラスボスのような人がいっぱいいるし、そういうレジェンドみたいな人がゴロゴロいるところで戦いたかった。なので、プロとして仕事するのはゲームのようで楽しいなと思うし、ハードルがないとどこかでぼんやりしてしまう瞬間があるのかなと。正直、なにをもって山下達郎さんに「勝った」と判断できるかはわからないんですけど(笑)、例えばセールスで山下達郎さんに勝った曲ができたとしても、そこがゴールではないという部分も音楽の面白さですよね。それに、先に大学時代の友人がメジャーで活躍していて、プロになった時にぶち当たる壁があることを教えてくれていたので、十分に準備できました。


――プロの「壁」というのはどういうものでしょう。


kz:メジャーのフィールドでは頻繁に困難が訪れるということですね。僕の場合は音大で学んだことを活かして、受け身の体勢を整えたうえでいろんな仕事に取り掛かれました。


――自身の曲とほかのアーティストに提供する曲で、作り方に違いはありますか?


kz:基本的にはないですね。ただ、提供する相手に対して、その人に一番フィットしたものを作らなきゃいけないという気持ちはあります。例えば、深瀬くんがビジュアル系のような歌を歌い、逆に鬼龍院くんが深瀬くんのような歌を歌ったら、ファンとしては「そういうことじゃない」となると思うんです。いくら曲がカッコ良くても、彼らに求めているのはそこじゃないと。ただ、彼らには彼らのファンがいて、僕の曲をいいと言ってくれる人もいるので、自分の曲とプロデュースとでは個性をどこまで出すかという比重のバランスは変えますね。あと、プロデュース仕事だと、たとえばClariSはタイアップものが多かったりするので、曲作りの際には、アーティストに比重を置きつつ、まわりにあるファクターを見て比重を考えることもあります。


――交流の無いアーティストへ楽曲を提供する際は、アプローチ方法は異なりますか。


kz:あまり知らない人にあたったことがないのですが、とりあえず前の作品を聴いて、ある程度、「ダンスっぽいものが多い」「ロックが多い」という傾向を調べます。そのアーティストの曲の延長線上なのに、あまりに曲調が変わるのはファンにとっても良くないのかなという目線で。僕が参加したことによる変化は足すべきなんですけど、その人が持つアーティスト性を保ちつつ作るというやり方がいちばんしっくりきますね。


後編【「『イチから自分で作らなければ』というこだわりはない」 kz(livetune)が語るクリエイター論】へ続く


(取材・文=中村拓海)