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クリープハイプとゲスの極み乙女。が提示した、ロックバンドの未来形とは? それぞれの新曲から考察

2015年05月17日 11:11  リアルサウンド

リアルサウンド

クリープハイプ『愛の点滅(初回限定盤)』

・「スタジアムロック」と「フェスロック」


 「スタジアムロック」という言葉がある。Wikipediaによると、その定義は「1970年代以降の大会場を中心とした興行、派手に演出されたライブ・パフォーマンス、コマーシャル性の強いロックに対して使われた用語」。この文面からは「やたらとお金がかかった」というような揶揄的なニュアンスを行間から少し感じるが、最近では単に「大会場で映えそうなスケールの大きいロックサウンド」という意味合いで使われている印象がある。


(参考:indigo/ゲス乙女のキーマン川谷絵音登場「バンドシーンを通過して、唯一の存在になりたい」


 この「コンサート会場+ロック」という言葉の構造に倣うと、さしずめ今の日本は「フェスロック」の時代と言えるだろうか。ゼロ年代以降の日本のロックの強い影響下にあるバンドサウンドで、BPMは速め。四つ打ちのリズムパターンを多用。フォーカスしているのはその瞬間の盛り上がりとオーディエンスを巻き込んだ一体感。バンドやフェスのロゴが入ったTシャツとタオル、ディッキーズのハーフパンツに代表されるファッションや、曲に合わせての手拍子やサークルモッシュといったアクションなど、ファンの行動様式にも特徴がある。


 フェスというものが2010年代以降のレジャーの一つとして定着して「皆で騒げる・楽しめる」というニーズが前景化し、また音楽マーケットの中でも「人気のバロメータとなる場所」として認知されていく中で、場の盛り上げに特化した「フェスロック」の誕生はある種必然だったのかもしれない。新しいインフラが新しい音楽の形を産み出すのは歴史を振り返っても決して目新しい話ではないが、一方でこういった類の音楽ばかりが注目を集めることに対しては様々な立場から様々な意見が提出されている。たとえばサカナクションの山口一郎は、自身のラジオ番組で若いリスナーに対してこんなメッセージを発している。


 「フェスで人気のあるバンドが受け入れられる時代になってしまっていて、そこへの対応策として四つ打ちのロックが出てきた。自分たちもそうやって対応してきた部分もあるので一概には否定できないが、そういったものばかりになっていくことを危惧している」(2014年11月6日 TOKYO FM 「サカナLOCKS!」より 発言を一部要約)


・2013年のロックバンドシーン 意図した戦略、意図しない狂騒


 「フェスロック」という現象に関して個人的に忘れられないのが、2013年のROCK IN JAPAN FES.でのクリープハイプのステージである。同じタイミングで沸き起こる手拍子やジャンプ、至るところで生まれるサークルモッシュ、お約束の掛け声。好きな楽曲は多かったがバンドの周辺情報をそこまで知らなかった自分にとって、フェスにおけるオーディエンスの典型的な反応が全て詰め込まれたかのようなこの日の光景はなかなか衝撃だった。


 ただ、そういったシチュエーションを経たうえで当時のクリープハイプの楽曲やパフォーマンスを思い返してみると、彼らの楽曲にはフェスの場で機能する仕掛けが多数施されていることが確認できる。疾走感が印象的な「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」やサビのアウフタクトが手を上げるのにぴったりな「ラブホテル」はライブで盛り上がるというシーンに最適化されているし、「社会の窓」の自己言及的な歌詞はハイコンテクストであるがゆえにファン同士もしくはファンとバンドの絆をより強固なものにする役割を果たしている。「HE IS MINE」においてオーディエンスが「セックスしよう」と叫ぶまでの尾崎世界観の煽りも、ライブの参加者にとってはその場限りの貴重な体験として記憶されるだろう。クリープハイプには、フェスの場で求められる気持ちよさの「ツボ」を的確に押すことのできる巧妙さが備わっていた。


 一方、同じく2013年の年末、ゲスの極み乙女。の川谷絵音はアルバム『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』に関連してこんな発言をしている。


 「最近のロック・シーンはロックがロックとして機能していないというか、4つ打ちをやればいいみたいなムードがあって。あまりに中身のない4つ打ちが飽和してるなと感じていて。だから俺らもあえて4つ打ちをやってるんですけど、ほかとは全然違うというところを示したい」(2013年12月5日 WHAT’s IN? WEB ゲスの極み乙女。インタビューより)


 『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』は、「フェスロック」が短絡的に持て囃されるマーケットのムードを明確に踏まえた作品である。「キラーボール」に代表される露悪的なまでにわかりやすく導入された四つ打ちのビートと速射砲のように放たれる言葉、そしてサビで展開される開放感のあるメロディの快楽は、同種のことを正面から志向しているバンドと比較しても群を抜いていた。メンバーのキャラクター作りも含めて、ノリや楽しさを重視する多くのオーディエンスから支持を得た。


 クリープハイプとゲスの極み乙女。、この2つのバンドはいずれも時代の流れと密にシンクロしながら人気を拡大してきた。しかし見方を変えると、彼らの狙いが「はまりすぎてしまった」というのも2013年の状況だったようにも思える。クリープハイプファンのライブマナーに関してSNS上でちょっとした騒ぎがあったのもこの年であり、川谷が「飽和」と指摘した四つ打ちを主体とするバンドはますます増加していった。


・自身のルーツと向き合う尾崎世界観、ニーズではなくシーズと向き合う川谷絵音


 ここまでに触れてきたような音楽的要素を組み合わせて「フェスを盛り上げる」という機能を持てば一時的には人気者になれるような雰囲気がある中で、クリープハイプもゲスの極み乙女。もそういった安易な流れには与さない取り組みを継続的に行っている。クリープハイプの楽曲はそもそものメロディがフェス云々関係なく普遍的な魅力を持っているし、ゲスの極み乙女。は『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』にも「ハツミ」のようなヒップホップとジャズをクロスオーバーさせた楽曲を忍ばせており、また2014年には「猟奇的なキスを私にして」のようなよりメロウなナンバーにもトライしている。


 そして、今年の春に両者が発表した新曲、クリープハイプの「愛の点滅」とゲスの極み乙女。の「私以外私じゃないの」は、それぞれのバンドがネクストステージに進んだことをはっきりと示すものである。


 「愛の点滅」は、大らかなメロディといつにも増してやわらかい歌声が耳に残るソフトな手触りを持った楽曲。ギターのリフからも攻撃性ではなく包み込むような優しさが感じられる。尾崎は自らの原点としてゆずの名前を出すことが多いが、彼らの楽曲にも近しいナチュラルさ、ポジティブさを秘めているように思える。


 また、「私以外私じゃないの」は、従来の楽曲にあった軽快さは残しつつも間奏やアウトロなどでより複雑なバンドアンサンブルがフィーチャーされている。これは高い演奏力を持ったメンバーの揃ったこのバンドだからこそできることであり、「オーディエンスのテンションを上げる」ことよりも「楽曲にとって良いアレンジ、という視点でメンバーの力量を引き出す」ことに重きが置かれている印象がある。


 この2曲には、いずれも大きなタイアップがついている(「愛の点滅」は真木よう子主演の映画『脳内ポイズンベリー』の主題歌、「私以外私じゃないの」はコカ・コーラのCMソング)。フェスやライブとは関係のない人たちも対象となる楽曲を作るにあたって、クリープハイプはうたとメロディ、ゲスの極み乙女。は演奏力というバンド本来の強みを改めて押し出すことでより広い層にアプローチした。現状のフェスを盛り上げている顔ぶれの中で、こういった「フェスロック」の先を行くアウトプットを出せるバンドは果たしてどのくらいいるのだろうか。


 「フェスロック」を鳴らすことで支持を獲得としたバンドの未来は、大きく分けて2通りある。1つは、その戦い方にこだわるあまりに時代の移り変わりの中で苦戦するという未来。そしてもう1つは、そこでの人気をテコにしてより大きな場所へ飛び出していくという未来。クリープハイプとゲスの極み乙女。が後者の未来に向けて舵を切り始めた2015年という年は、フェスという磁場を中心に動いてきた10年代のロックシーンにとって分岐点の1年となるかもしれない。(レジー)