トップへ

ケンドリック・ラマー『To Pimp A butterfly』の怪物性とは? ターボ向後監督が独自解読

2015年05月11日 07:11  リアルサウンド

リアルサウンド

ケンドリック・ラマー『To Pimp a Butterfly』

 モンスター級のヒップホップ・アルバムである。音楽ストリーミングサービス「Spotify」において、過去最大のストリーミング回数となる960万回再生を記録し、アメリカでの初週CD売上はカニエ・ウェストの最新作を大きく上回り、テイラー・スウィフトの『1989』以外のアルバムとして初めて2週連続でビルボード1位の座を獲得してしまった。しかもその怪物性は、売上面での話に止まらない。すでにリリースされた欧米では、「ヒップホップとは何か?」、ひいては「音楽を聴く事の意味とは何か?」という普遍的なテーマにおいて、聴き手に大きな価値観の転換を迫る、音楽史上稀に見る傑作コンセプトアルバムとして、2015年を代表する作品とみなされている。


参考:フェアリーズはなぜ物語を必要としない? ターボ向後が“妖精学”から魅力を読み解く


 日本の音楽系Webサイトにおいてもいくつかの批評がアップされ、ヒップホップ文脈における読解が進んでいるが、今回はそうした洋楽的な解釈から離れた三つの視点から、『To Pimp a Butterfly』とは一体どんな作品なのかをひも解いていきたい。


■『To Pimp a Butterfly』が暴く“鬱と世界と自分”


 2014年、アルバムより先行リリースされた楽曲「i」に多くのヒップホップ・リスナーは驚愕した。アイズレー・ブラザーズをサンプリングした今までにないファンク・サウンドもさることながら、そこで唄われたのがとてつもなくキャッチーな「I Love My Self」というフックで繰り返される、自己啓発的ともいえる“自分讃歌”だったからだ。自らの鬱気質を何度もインタビューで告白し、前作『Good Kid, M.A.A.D City』では、その正体を自らの故郷であるロサンゼルス・コンプトンに求めた、あのケンドリック・ラマーが、である。


 もちろんヒップホップにおいてはエミネムの諸作品しかり、究極の“病み系”アルバムとして名高いカニエ・ウェストの『808s & Heartbreak』しかり、自らの鬱を告白し、それを題材とした傑作がこれまでも誕生している。しかし、ラマーの抱える鬱屈は、エミネムにおける「プアホワイト」という出自や、カニエウエストの「失恋と母の死」といった、明確なものではない。それはさながら芥川龍之介が自らの命を絶つ直前に書き上げた超絶鬱小説「歯車」に似た、目の前で世界がキリキリとねじ曲がっていくのをただ見守るしかないような、現実感の喪失との戦いだった。そしてその喪失感は今作の6曲目「u」で爆発する。


 自らの寄る辺なさ、心の弱さを、リストカットを想起させる痛みを伴いながら一つ一つ告発していく壮絶さ。しかしそうした“認識の刃”は、アルバムが進むにつれて未熟さとして打ち捨てられていき、遂には「u」から「i」へと進化する。キャタピラー(芋虫)からバタフライ(蝶)へと生まれ変わるかごとく。『To Pimp a Butterfly』とは、絶望の先にある未来と愛を歌った作品なのだ。(ちなみにラマーはアルバム発売後、長年のガールフレンドと婚約したことを発表した)


■『To Pimp a Butterfly』が描く“セックスと自己救済”


 『To Pimp a Butterfly』が、過去のラマーの作品と明確に異なるポイントとして、1960年代後半から現在までの半世紀に渡る黒人音楽の歴史を煮詰めたような、多彩なサウンドプロダクションがあげられる。フライング・ロータスにサンダーキャット、ロバート・グラスパーからジョージ・クリントンまで、あらゆるミュージシャンをフィーチャリングするだけではなく、サンプリングではジェームス・ブラウンからマイケル・ジャクソン、フェラ・クティまでネタにしている。


 ブラックミュージックの一大絵巻のようなそのサウンドは、リリックにおいても言及される「黒人の歴史」とともに、2015年において黒人が音楽を作り出すことへの決意表明として読み解かれている事が多い。もちろん、アルバム全体の闇鍋的なドロドロのサウンド構造が、そうした側面から生み出されたことは確かだろう。


 しかし、「黒人としてのアイデンティティ」というテーマにすべてを委ねてしまうと、本作におけるもうひとつの重要なテーマーー性愛・セックスについてが隠されてしまう。アルバム全体にこれまでは見られなかったセクシャルなメタファーが数多くちりばめられているが、中でも特筆すべきは、ウィリアム・バロウズの小説に出てくる淫夢のようなセックスが描かれた「These Walls」である。


 ここで唄われる「Walls」とは女性器の「膣壁」で、その壁につつまれる快感に浸りながら、次第に現れてくるのは「i」と「u」の間の"壁"が崩壊して、すべてが一つの源流へとなだれ込むような圧倒的な自己消失の快楽の世界だ。曲のラストでは、その「壁」が同志達をとじこめている刑務所の「壁」へとメタモルフォーゼしてしまうが「そこから出てこいよ」とラマーは唄う。


 アルバムにおいてもっとも難解でもっとも幻想的な自己救済のための世界観が、セックスを通して唄われているのだ。あらゆる時代における黒人音楽のセクシャルなグルーヴが、このアルバムに総動員されているのは、いままでのヒップホップにはなかった新しい「性域」を唄うためでもあるのではないだろうか。


■『To Pimp a Butterfly』が宣言する“マントラとしてのヒップホップ”


 『To Pimp a Butterfly』というアルバムの特異性を、スタイルの上でもっとも特徴づけているのは、曲と曲との間に挿入されるポエトリーリーディグである。


 多くのヒップホップのアルバムでは、物語性を高めるために「スキット」と呼ばれる寸劇が曲間に挟まれるが、このアルバムではラマーが曲が終わる度に繰り返し「詩」を朗読している。そしてその「詩」は、アルバムが進むとともに次第に増殖していく。


 この摩訶不思議な構造は、アルバムのスタイルを決定づけているにも関わらず、欧米における批評においてあまり解説されていない。それはおそらく、極めてスピリチュアルな表現であり、密教などあらゆる宗教における「マントラ」のようなものだからではないだろうか。


 アルバム発売時のインタビューでラマーは、『To Pimp a Butterfly』を制作するにあたり、1960年代から1970年代前半に一大ムーブメントとなった「スピリチュアル・ジャズ」作品を聴き狂ったと発言している。このことは多くの批評において、スピリチュアル・ジャズを生んだ「政治と革命の時代」と、アルバムの一つのテーマである「今、黒人として生きる事」とを繋ぐミッシングリンクとして解釈されているが、ラマーはそうした政治性のためだけにスピリチュアル・ジャズを聴いていたとは思えない。


 スピリチュアル・ジャズの最高峰といえば、いうまでもなくジョン・コルトレーンのアルバム『至上の愛』だが、その作品のピークで彼は、すべての演奏が止まる中、「LOVE SUPREME.....」というマントラをつぶやき続けている。そしてその響きは驚くほど『To Pimp a Butterfly』におけるラマーの朗読と酷似しているのだ。この霊性を手に入れるために、ラマーはスピリチュアル・ジャズを聴いたのではないか。


 そう確信させたのが、驚愕のアルバム最終曲「Mortal Man」である。スキットの中で執拗に繰り返されてきた言葉の断片は、この曲において完全なマントラとして立ち上がる。そしてそこへ出現するのが、ラマーが幼いころより敬愛し、この『To Pimp a Butterfly』を捧げるとツイートしていた偉大なラッパー、故・2PACの生前の声だ。 鬱とセックスと理想的な未来について、ラマーは2PACとの会話を始める。彼は死者と交信するために、彼の鬱屈した子供時代を支えてくれた偉人と「イタコ」のように再会するために、スピリチュアリティを必要としたのである。



 音楽を含めた他国の優れた表現は、我々に5年先の天国と地獄を指し示してくれる。ラマーが告げるように、スピリチュアリティを必要としてしまうような現実は、近い将来、この日本にもやってくるだろう。そのど真ん中で彼のように勇敢に戦うために、この傑作『To Pimp a Butterfly』を聴いていきたいと思う。(ターボ向後)