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ラップ・ミュージックと反ホモフォビアの現在 フランク・オーシャンからキングギドラまで

2015年05月10日 22:41  リアルサウンド

リアルサウンド

磯部 涼 編『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)

 音楽ライターの磯部涼氏と編集者の中矢俊一郎氏が、音楽シーンの“今”について語らう連載「時事オト通信」第4回の後編。前編【黒人音楽をめぐるポリティカル・コレクトネスの現在 “ステレオ・タイプな表現”をどう脱するか】では、ミュージシャンの表現とポリティカル・コレクトネスの関係について、ラッツ&スターとももいろクローバーZが巻き起こした議論や、韓国のラッパー・Keith Apeの「It G Ma」が世界中で話題になったことを題材に考察した。今回はミソジニーやホモフォビアといった問題について、フランク・オーシャンやマックルモア&ライアン・ルイス、キングギドラといったミュージシャンの事例をもとに、さらに議論を深めた。(編集部)


■中矢「LGBTをめぐる問題が、一気にクローズアップされている」


中矢:ラップ・ミュージックとポリティカル・コレクトネス(差別や偏見を含まない言葉/表現を用いること)と言えば、同ジャンルではミソジニー(女性嫌悪)とともにホモフォビア(同性愛嫌悪)が顕著であることが、N.W.Aからエミネムに至るまで絶えず問題視されてきましたが、近年、そこに変化が起こりつつあります。例えば、2012年5月、バラク・オバマ大統領がABCニュースのインタヴューにおいて、現職の大統領で初めて「同性婚を支持する」と発言したのに対して、ジェイ・Zや50セント、T.Iといったアメリカを代表するラッパーで、マッチョなキャラクターで知られていたアーティストたちが揃って賛同を表明し、話題になりました。


 また、同年7月には、当時、新進気鋭の男性R&Bシンガーとして注目されていたフランク・オーシャンが、過去に男性と付き合っていたとカミングアウト。それを受けて、彼が所属するクルー・OFWGKTA(オッド・フューチャー・ウルフ・ギャング・キル・ゼム・オール)のリーダーで、ホモフォビックな表現を含む過激な歌詞が賛否両論を呼んでいたラッパーのタイラー・ザ・クリエイターは、「オレの兄貴がついにやりやがった。あのシット(カミング・アウト)が難しいってことはわかってるから、あいつを誇りに思うよ。とりあえず、オレはトイレに行ってくる」と、彼らしく下品なユーモアを交えながらも歓迎する旨をツイートしていましたよね。


 そして、同年12月、フランク・オーシャンは第55回グラミー賞最多となる計6部門にノミネートされるわけですが、その次の回――2014年のグラミー賞では、白人のラッパーとプロデューサーからなるデュオ=マックルモア&ライアン・ルイスによるアンチ・ホモフォビアを歌い上げた楽曲「Same Love」のパフォーマンスが、世界中で感動を呼びました。今年1月にFOXで始まった、ラップ業界が舞台で、ティンバランドが音楽を手掛けるドラマ『Empire 成功の代償』でも同業界におけるホモフォビアがトピックのひとつになっていますし、とにかく、これまでラップ・ミュージックがタブー視してきたLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの総称)をめぐる問題が、一気にクローズアップされている感があります。


磯部:もともと、ラップ・ミュージックでは不良が話していることがそのまま表現されていたので、当然、言葉使いが荒かった。また、同ジャンルはアフリカン・アメリカンという被差別者の側面もある人々が中心となった音楽で、彼らが“ニガー”のような自分たちに向けられる差別用語を、肯定的な意味に反転させて使うことで現状に抗ってきた事実も、ポリティカル・コレクトネスとの関係を複雑にしていた。女性ラッパーもまた、“ビッチ”のような単語を転用していったよね。ただし、そういった中で、“ファゴット”や“ファグ”、“ノー・ホモ”といったホモフォビックなスラングは、一貫して、自分たちのマチズモを強調するために別の弱者を叩く、まぎれもない差別用語として機能してきた。もちろん、ここ何年かで、ミッキー・ブランコやジブラ・カッツ、Le1f(リーフ)を始めとした、“クィア・ラップ”と呼ばれるLGBTのラッパーたちも注目されているけど、まだまだ、アンダーグラウンドな存在ではある。


 その上で、近年、USのラップ・ミュージック全体としてホモフォビアが是正されつつあるように見えるのは、ひとつに、同ジャンルのマーケットが拡大していく中で――もしくは、元ドラッグ・ディーラーというキャラクターで売り出していたジェイ・Zが、今やラッパーよりも、総資産が妻のビヨンセと合わせて1000億円とも言われる大企業家として知られるようになったことに象徴される通り、ベテラン・ラッパーたちがギャングスタからセレブリティへとイメージを変え、社会的責任が大きくなっていく過程で、ポリティカル・コレクトネスに対応せざるを得なくなったということも理由として挙げられるだろうね。


 もちろん、背景には社会自体の変化がある。例えば、USで初めて同性婚が合法化したのは04年のマサチューセッツ州で、同年のブッシュ・ジュニアの再選は、それに対するバック・ラッシュの側面が強かったという分析もされている。それでも、今や35州で同性婚が認められているし、50州のうちで最も低い、アラバマ州の同性婚支持率も来年には04年の倍になる勢いで上昇していると言うし、00年代以降、同国においてLGBT問題は着実に前へと進んできた。オバマにしても、もともとは、同性間におけるシビル・ユニオン(結婚に相当する、法的に認められたパートナー・シップ)は支持するものの、結婚そのものは支持しないという主張だったのが、件のABCニュースのインタヴューで、「私の考えはこの問題に関して次第にevolution(進展)してきた」と語るに至ったわけだよね。つまり、USも、そして、ラップ・ミュージックもいままさにLGBT問題の“evolution”の最中にあると言えるんじゃないかな。


 ちなみに、USのラップ・ミュージックの中でクィア・ラップと並んでリベラルなのがOFWGKTAで、リーダーのタイラー・ザ・クリエイターにはホモフォビックなところがあると言われるけど、クルーにはフランク・オーシャンの他にも、シド・ザ・キッドという、レズビアンで、自分のユニット=ジ・インターネットのヴィデオでもそれを積極的にモチーフにしているアーティストがいる。タイラーはそのシドのことも自分の曲の中で「シドが最近男に興味があるって言ってるけど、信じられないぜ」なんてネタにしていて、要は、個性を認めた上でからかっているんだよね。そう考えると、OFWGKTAが提示する多様性のあるコミュニティって、案外、成熟しているのかもと思うものの、タイラーが「MCライトがダイク(レズビアンを指すスラング)たちとやっているみたいに弾けようぜ」とラップしたり、シドがアリシア・キーズやクイーン・ラティファ、ミッシー・エリオットといった女性アーティストたちに対して「カミングアウトすべきだ」と公言したり、彼らの、レズビアンだというのはあくまでも噂でしかないアーティストたちを引き合いに出して、カミングアウトしない自由すら認めないと主張するような態度は、あまりにも急進的すぎるように感じる。


■磯部「日本のラップ・ミュージックもこの問題に関して進展して欲しい」


中矢:LAを拠点とするOFWGKTAに関しては、ラップ・ミュージック、アフロ・カルチャー云々というよりも、今の西海岸特有のリベラルな雰囲気が反映されている気もします。そういえば、ここ数年、ラッパーは痩せているほうがカッコいいという風潮がありますよね。エイサップ・ロッキーが代表的な存在ですが、彼はファッションもモード寄りで、そのような流れが、ラップ・ミュージックのマチズモを解消しているようにも思えます。特に、エイサップ・ロッキーが女性R&Bシンガーのリアーナとショップめぐりをしながらデートするという体のMV「Fashion Killa」(13年9月)は話題になりましたし、周囲の女子ウケもよかった印象がある。同曲のリリックには、エスカーダ、バレンシアガ、ヘルムート ラング、アレキサンダー ワン、ダナ キャラン、ジャンポール・ゴルチエ……といったブランド名がいっぱい出てきますよね。あと、2000年代の後半あたりからパリコレに足を運ぶようになったカニエ・ウェストの存在も大きいと思います。


磯部:エイサップ・ロッキーが「オレが好きな服のデザイナーはみんなゲイだ。それに気づいて、ホモフォビアなんてバカらしいと思うようになった」と言っていたというのはイイ話だよね。ただ、同じようにファッショナブルなヤング・サグを、彼とビーフがあったザ・ゲームが「女みたいにネイルを塗りやがって」と揶揄するようなことも頻繁に起こっている。中でも最悪なのが、13年2月に、男性R&Bシンガーのクリス・ブラウンとその友人が、カミングアウト直後のフランク・オーシャンとスタジオの駐車場で喧嘩になり、フランク・オーシャンが殴られた上にホモフォビックな言葉を吐きかけられたという事件で、問題の根深さを思い知らされる。クリス・ブラウンは、恋人のリアーナに対するドメスティック・ヴァイオレンスで逮捕されたことからもわかる通り、アーバン・ミュージックにおけるマチズモをラッパー以上に象徴するようなキャラクターだから。


中矢:ちなみに、アメリカにおける同性愛の問題にはキリスト教が深く絡んでいますよね。カトリックの教義では同性愛は原則的に許されませんが、02年にはボストン大司教区の元神父が35年以上にわたり青少年に性的虐待をしていた事実が発覚しました。さらに04年には、1950年から02年までに米カトリック教会の神父4450人が1万1000件の性的虐待をした疑いがあると報じられた。以後、同性愛の問題が、カトリックやプロテスタントの教会を巻き込んで、アメリカを二分する政治的イシューとなった感があります。


磯部:それに対するラップ・ミュージックからのアンサーということで言うと、ラッパーのマースは、12年7月に公開されたヴィデオ「Animal Style」の中でアメリカンアパレルの“Legalize Gay(同性愛者支援)”のTシャツを着ながら、男子高校生同士の悲劇的な恋愛を通して、いかにキリスト教や地域コミュニティが抑圧的かということを辛辣に批判している。同曲はラップ・ファンには高く評価されたけど、一方で、「Same Love」があれだけ大衆受けしたのは、マースの批判をネットやラップ・シーンにまで広げた上で、聖書、そして、US建国の理念に立ち返ってみれば、LGBTはそこに包摂されるはずだという、良い意味での中庸さにメッセージを落とし込んだからだろうね。前編で話したことにつながるような余談だけど、熱心なラップ・ファンほど、白人であるマックルモアやエミネムをオーセンティシティに欠けると批判しがちで、そのようなレイシズム(人種主義)を、むしろ、黒人である50セントやスクールボーイ・Qが批判していたりもする。


中矢:オバマも13年1月の大統領就任演説で、「同性愛の問題が解決しなければ、私たちの旅は完成しない」と語っていましたし、アメリカの今後の動きに注目したいですね。


 ところで、日本のラップ・ミュージックにもホモフォビアはありますよね。よく知られているところでは、02年の4月にキングギドラがリリースしたシングル盤『UNSTOPPABLE』収録曲「ドライブバイ」の「ニセモン野郎にホモ野郎 一発で仕止める言葉のドライブバイ/こいつやってもいいか 奴の命奪ってもいいか」「だってわかっててやってんだろう そのオカマみたいな変なの/だいたいわかる居そうなとこ いつでも行ける行こうかそこ」という歌詞に対して、同性愛者支援団体〈すこたん企画〉(現・すこたんソーシャルサービス)をはじめとして抗議があり、結局、レーベルの〈デフ・スター〉がシングルを回収するという騒動が起こりました。


磯部:その件について、ギドラのメンバーであるKダブシャインとZEEBRAは以下のように振り返っている。


K-DUB SHINE「オレはゲイ差別者じゃないわけよ。でも、結構そう言われて」「オレはゲイと恋愛関係を持つつもりはないけど、クリエイティヴな部分では尊敬してますよ、というのがオレの中にはある。あの曲で言ってたオカマというのは、オトコのクセに、オトコらしいフリして、他人のパクリばかりじゃねえか、お前はオンナの腐ったのと一緒だという意味で、オカマと言っている。『オンナの腐ったの』という言い方も昔ながらのセクシシズムのあらわれになってしまうけど。オンナが言う『アンタ、それでもオトコ?』という感覚よ」(『blast』04年8月号、シンコーミュージック)


ZEEBRA「『UNSTOPPABLE』『F.F.B.』と2枚続けて、ギドラのシングルが市民団体などから抗議が来て、発売停止になってしまった。理由は歌詞が不適切だということ。特定の層を蔑視しているんじゃないか、偏見を持っているんじゃないかというのがその理由。オレとしてはそんなつもりはまったくなかった。だからそう解釈されたことはすげぇ残念だった。ただし、いくら比喩であった、そんな意図はなかったとしても、比喩だとわからない人にとっては、攻撃されたと感じるかもしれない。そういう意味での配慮が甘かった。ただ特定の層を攻撃する気はまったくなかった」(『ZEEBRA自伝』、ぴあ、08年)


 実際、「ドライブバイ」で使われている“ホモ”“オカマ”は、ゲイを指しているわけではなくて、いわゆる“ワック・MC”の隠喩だよね。もちろん、彼らは“ワック・MC”を本当に殺そうとしているわけでもない。例えばZEEBRAは、それ以前にも、『証言』のヴァースや、ギドラの「フリースタイル・ダンジョン」で、“ニセモン野郎”をギロチンにかけたり、喉をかっ切ったりしているわけで。ただ、「ドライブバイ」で使われている“ホモ”“オカマ”が、ゲイを“も”指してしまうこともまた当然であって、それについて、〈すこたん企画〉主宰の伊藤悟はこう書いている。


「キングギドラが『悪意はなかった』としているのに、私は懐疑的である。“ドライブバイ”は『ニセモノラッパー』を攻撃したものだとされているが、だとしたら、少なくとも『ニセモノラッパー』への敵意はあるのではないか。そして、価値の低いもの=軽蔑すべきもの、と見ているその『ニセモノラッパー』を攻撃するために『ホモ野郎』と言っているのであれば、『ホモ野郎』に対しても、無意識的に見下してきたという発想があるのではないか」(『blast』02年8月号、シンコーミュージック)


 僕にしても、伊藤の文章が載っている「blast」02年8月号の特集「“UNSTOPPABLE“OR“STOPPABLE”?~キングギドラ自主回収を考える」で、「差別意識には潜在的なものもあるので、差別する意図がなかったという言い訳は通用しない」というようなことを話しているんだけど、一方で、ほぼ同時期に発売されたコンピレーション『Homebrewer’s Vol.1』収録のMS CRU(現・MSC)「新宿アンダーグラウンドエリア」のレコーディングに立ち会って、漢のホモフォビックなヴァースを聴いたときは、それを咎めていないからね。「ん?」と引っかかりつつも、「まぁ、不良だし、こういうことも言うだろ」ぐらいに思っていた。要は、単に意識が低かったんだよ。ただ、オバマと比較するのは不相応だけど、自分も「この問題に関して次第にevolution(進展)してきた」し、日本のラップ・ミュージックだってそうであって欲しい。そういう意味で言うと、MSCのプライマルが自身のセクシュアリティについてカミングアウトした13年のインタヴュー(ele-king 性、家族、労働――プライマル、インタヴュー)からは、前に進もうとするものの事実を受け入れられない、彼の葛藤が伝わってきて凄く考えさせられた。ちなみに、西新宿パンティーズは日本版クィア・ラップと言っていいのかな?


 話を戻すと、今度、ギドラは1stアルバム『空からの力』の20周年記念盤を出すけど、オリジナル盤発表当時について訊いた際、彼らが繰り返し言っていたのは、「リアルタイムのUSのラップ・ミュージックをいかに翻訳するか?」ということを考えていたと。USのストリート・カルチャーを翻訳したチーム文化がルーツにある彼らは、常にその作業をやっているとも言えて、それは、『UNSTOPPABLE』でも同じ。つまり、あそこで使われている“ホモ”“オカマ”は、恐らくはUSのラップ・ミュージックにおける“ファゴット”“ファグ”の翻訳なんだよね。ということは、もし、彼らが3rdアルバムを出すとしたら、現在のUSのモードに合わせてLGBT支援を歌うのかもしれない。(磯部 涼/中矢俊一郎)