元プロ野球選手の「G.G.佐藤」こと佐藤隆彦さんが、5月6日放送の「視点・論点」(NHK Eテレ)に登場した。「シリーズ・人生再出発 回り道はムダじゃない」と題されたこの番組で、佐藤さんは自身の「回り道だらけ」の人生観を語った。
「佐藤隆彦です。昨年まではG.G.佐藤というプロ野球選手でした。試合後のインタビューで『キモティー!』と叫んでいた選手だといえば、覚えておられる方もいるでしょうか。北京オリンピックという大舞台で、3つもエラーした選手だと申し上げたほうが、思い出してもらえるかもしれません」
アメリカでの「回り道」のおかげでプロ野球選手になれた
「視点・論点」といえば、社会・国際問題を論じることが多いオピニオン番組。学者や文化人、評論家が出演することが多く、スポーツ選手の例はあまりないが、今回は「人生再出発」というテーマで白羽の矢が立ったのかもしれない。
佐藤さんは36歳。2014年のオフに千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受け、現在は会社員として「スーツを着て、ネクタイを締め、新たな取引先を求めて歩きまわる毎日」だそうだ。
「もしかしたらプロ野球選手だったことは、ビジネスマンとして回り道だったかもしれないけど、『成功するためには必要な経験だったね』と言われる日が来るかもしれません」
学生野球で結果を残せなかった佐藤さんは、野球を続けるためにアメリカで入団テストを受ける。そこで与えられたポジションは、一度も経験がなかった「キャッチャー」だった。
不安はあったというが、「でもそこで『YES』と言わなければ何も始まらない」と、1Aのチームに所属することを決意した。
しかし「練習は厳しい」「話し相手もいない」「いつも一人ぼっち」というツラい日々。心の底からイヤになり「アメリカに来たことを後悔した」こともあったという。
それでも試合に出続けることで、上達を実感するようになる。3年後の2004年、腕試しに西武ライオンズの入団テストを受けたところ、運よく合格という結果を勝ち取ることができた。佐藤さんは合格の理由を「私がキャッチャーだったから」と振り返る。
大活躍から戦力外、そしてイタリアへ…
当時の西武は、不動のレギュラーだった伊東勤氏が監督に就任し、まだポジションが埋まっていなかった。
「アメリカに行くためキャッチャーになったのですが、それが結果的に、日本のプロ野球への門を開いてくれました」
西武入団後は外野手にコンバートされ、2007年は136試合に出場。打率は3割を超え、ホームランは25本打ち4番を務めるなど、大活躍のシーズンとなった。
しかし、そこに悲劇が襲う。翌08年の北京オリンピックで、準決勝、3位決定戦と2試合続けて、敗戦につながるエラーを犯してしまう。さらにその後、故障にも悩み、両ひじ、左肩と3か所の手術を重ねた。
ケガからの復帰を望み、朝から深夜まで必死で練習をしたが、ある日、胸の動悸がおさまらなくなり入院。練習が怖くなり、すっかり気力を失ってしまい、2011年に西武から戦力外通告を受けた。そこで佐藤さんは心機一転、イタリアへ渡る。
イタリアは野球が盛んではない。しかし「野球が人生のすべて」だった佐藤さんにとっては逆に「野球がすべてではない」環境に身を置くことで世界が広がったという。
「人生、回り道はムダじゃない」と視聴者も感激
帰国後に千葉ロッテの入団テストを受けた時も、「ここでヒットが打てなくても死ぬわけじゃない」と思えるようになり、もう一度チャンスをつかむことができた。
「30年におよぶ、野球生活の中で、私は何度も回り道をしました。でもどれも、自分にとっては、プラスでした。回り道にムダはなかったな、と思っています」
「最後に、こう叫んで終わります。人生って、キモティーーーーーーッ!」
10分間の放送で自らの半生を振り返った佐藤さんに、ツイッターなどでは「めちゃめちゃかっけぇ」「染みる…人生、回り道はムダじゃない」「スピーチめっちゃいい」「泣けるw」といった声が多く見られる。
そういえば放送日から7年前の2008年5月5日、日本ハム戦で勝ち越し2ランを放ったG.G.佐藤が叫んだのも、この一言だった。
「こどもの日。こどもたちよ、夢を現実に。そしてホームランに夢を乗せて、鯉のぼり。キモティー!」
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