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プロデューサー小林武史が語り尽くす、Salyu新作の全貌 なぜ“完全再現ライブ”に踏み切ったか?

2015年05月07日 11:11  リアルサウンド

リアルサウンド

Salyu『Android&Human Being』インタビュー

 Salyuが現在開催中の全国ツアー〈Salyu TOUR 2015 Android&Human Being〉で、4月22日にリリースされた最新作『Android&Human Being』を曲順通りに演奏する“完全再現ライブ”を行なっている。プロデューサーの小林武史氏が作詞作曲を手がけた同作は、タイトルが示唆する通り、デジタルと生音、そして歌声の可能性を深く追求したコンセプチュアルな一枚。音楽面における多彩なトライアルに加え、SF的要素を散りばめた歌詞においても、人間と機械をめぐる重層的な物語が展開していく。今回リアルサウンドでは、作品のカギを握る小林氏への独占インタビューが実現。『Android&Human Being』の全曲解説を通して、同作のコンセプトやメッセージ、さらには“完全再現ライブ”を読み解くヒント(ネタバレ的内容も含む)まで、じっくりと語ってもらった。


ーー今回の新作『Android & Human Being』は、とてもシンボリックなタイトルを持つ作品です。まずは今回のコンセプトから教えてください。


小林武史(以下:小林):Salyuがここ何年かで「salyu x salyu」の活動を経て、Salyuというものを再構成していく、つまり、自分が表現していくものを分析して組み立て直していくことができるようになったことがヒントになりました。前回のツアー(2014年の『ミニマ』)で1曲、ピアノと歌だけで「リスク」を聴いたときに、これまでのように「心を込めて歌います」というだけじゃない形が表れてきたな、と。そのときに、ラブソングを作るにしても、“サイボーグやアンドロイドの恋”というような、これまでとは違うシチュエーションがイメージできたんです。


ーー音楽を再構成、再構築していく手法は、確かにSalyuさんの近作に色濃く出ていますね。小林さん自身にとっても、そうした手法は馴染みのあるものでは?


小林:よく言われるように、映画『ブレード・ランナー』や、その原作であるフィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』あたりから、人間の心を逆算して再構成するような文化上の潮流がありました。また孫正義さんによれば、これから10年程度でコンピュータが人間の頭脳のパターンを超えるという。しかし、「人間とは」「命とは」という問いは、いくらコンピュータが進化して再構成するという技術が高まっても、結論づけられることは絶対にない……という思いもあります。だからこそ“人間とコンピュータ”というテーマは非常に興味深く、そういうものが映画や小説だけでなく、ポップミュージックという世界に普通の顔をして入ってきてもいい時代なんじゃないかと思います。例えばアメリカの空港に売っているペーパーバックの中に『Android and Human Being』という本があるようなーーそういう気安さで捉えられるといいのかな、と思ってつけたタイトルです。


・■M.01「先回りして1」


ーー1曲目の「先回りして 1」には「2」と「3」もあり、アルバムが進むごとに変奏されていきます。大らかで包み込むような歌声が印象的ですが、一連の「先回りして」シリーズに込めた思いとは。


小林:この曲は、未来というものの不確かさや現実の残酷さを背景に、このアルバムの他の曲に出てくるさまざまなキャラクターに対して、母のような存在、あるいは未来の子孫が、予言めいた形でこの先を案じる子守唄のようなものにしたかった。「一寸先は闇」という怖さもどこかに孕めることができればいいな、と思いました。だから、子守唄として少し変わったタイトルなんです。
 「1」「2」「3」と、歌詞やメロディが変わっていきますが、これは“芽生え”があって、“旅”があって、いろいろなうねりを経て、最後にまた“芽生え”に戻ってくる、という流れになっています。ナイルの洪水のようにいろいろなものを流してしまうんだけれど、それがまたいろいろなものを運んできて、という循環を行う。そういうシーケンスへの狂言回し的な役割になればいいな、と思いました。


ーーこの曲におけるSalyuさんの歌声については。


小林:抜群の出来栄えです。Jポップ歌手でこの普遍的な母性感を歌える人はあんまりいないんじゃないかと感じました。


・■M.02「非常階段の下」


ーー2曲目になると、場面も音のテイストも一気に変わり、都市的かつ無機的なイメージへと転じます。繰り返されるピアノも印象的です。


小林:実は、もう少し壊れたロックをイメージしていて、デモテープではイントロのリフをギターで弾いていたんですけど、Salyuのアイデアでピアノになりました。僕の中で、最後の一手に悩んでいたものを、Salyuに解いてもらった感覚でしたね。ピアノと言っても、僕がライブで弾くようなエモーショナルなものではなくて、記号的/無機的なものから始まっていきます。サビもオルタナティブなコード進行ですが、非常に今日的なロック・ポップのメロディだと思っています。全体的に今日的な仕上がりなんだけれど、歌詞がどこか壊れていて、言葉の使い方も何を言っているのか今ひとつ不明瞭で、あえて説得力のようなものから離れるように作っています。聴く人によってさまざまなシーンが浮かんでくると思うんですが、ところどころにエラーが起こるような、少し壊れた、不確かな仕上がりにしたかったんです。


 イントロのピアノは、ライブでは僕が弾くのですが、音源ではコンピュータで自動演奏させているような感じですから、あえて抑揚がつかないようなセッティングにしています。ちょっとズレていて、ある種イメージの底に潜っていく、このアルバムの中に入り込んでいくような音にしたかったんでしょうね。夢で見るような、ナンセンスな世界を表現しています。一人称と二人称があっという間に入れ替わってしまうような形で、作品の世界に一気に入り込めるようにと。


・■M.03「リスク」


ーー3曲目の「リスク」は、2曲目のサウンド的趣向を引き継ぎつつ、都市のギラギラとした欲望や人々のせわしない動きを連想しながら聴きました。


小林:「非常階段の下」では無機的に歌っていたSalyuが、ある種セクシャルに歌います。“デジタル娼婦”というくらいの佇まいで街にいて、夢と現実の交錯の中に入っていく。都市の灯りは夜の怖さを隠すが、だからこそ心のなかに闇を作ってしまう…そういう孤独感のようなものを表現したかったのかもしれません。いろんなリスクを冒して闇を埋めようとするんだけど、埋めきれない。そんな女心のようなものを描きたかったというか。


ーー夜のイメージの強い曲ですが、そうした“闇”や欲望のあり方、リスクと人間のありようを、音楽を作ることで肯定的に見るという面もありますか。


小林:そうですね、興味深いと思っています。アルバムを通じて、夢と現実のシームレスなところに入って行ったりする上で、この2曲によって(リスナーを)深いところに放り出したい、という思いはありました。歌についても、これだけ無機的な歌とセクシャルな歌が並ぶ振り幅が好きです。Salyuの歌はすごいな、とあらためて思いましたね。


・■M.04「心の種」


ーー4曲目の「心の種」ではまたガラッと変わり、柔らかいポップソングの世界です。


小林:この曲をここに持ってきていることが、このアルバムで一番意欲的な部分です。続く「有刺鉄線」と合わせて、モノローグが続くんです。都市から離れて、自然の中にいる自分を有機的に捉えていく歌ですね。アレンジもそれに則した生の演奏で、非常にほっこりとしたキャッチーさを持ってきています。紙芝居のようなアナログ感ですが、今回のツアーにも参加しているギタリストの名越(由貴夫)くんや、ベーシストのキタダマキとドラムのあらきゆうこが、とてもピュアな演奏で楽曲を盛り上げてくれました。相当にアーティスティックな彼らが、“お遊戯”をしているような感覚で。


ーーライブでもここはひとつのハイライトになりそうでしょうか。


小林:そうですね。“ライト”という意味では、1~2曲目には“太陽”の存在が感じられない音作りになっています。あったとしても人工のサーチライトのようなもので、この曲でやっと、生命を作る太陽という存在をグッと感じることができる。植物の種は直接太陽光に当たらないのに、土の中でも太陽の存在を感じて芽を出すでしょう。都市での生活ではなかなかできませんが、太陽とともに生きていくのは、人間にとっても幸せなことだと思います。しかし、人はやっぱり夜が怖いから、人口の太陽を作ってしまった。僕たちの日本は、人工的な“太陽が燃える仕組み”からできた爆弾を落とされた、唯一の国でもありますから。


ーーここで光が入ることによって、ステージは劇的な転換場面となりそうです。


小林:そうなんです。もっとも大きく変えるところです。ボーカルについても、Salyuが真っ直ぐに歌うところに、太陽のような光を感じますね。


・■M.05「有刺鉄線」


ーー次の「有刺鉄線」もバンドサウンドですが、一方で不穏な雰囲気もあります。つながっていながらも、「心の種」で描いた日向感とはまた違う局面に入っていきます。


小林:「心の種」の紙芝居的素直さに比べると、この曲はだいぶひねていて、自分の心を覗きながら物語が展開していきます。「有刺鉄線」というものは、人間が日常で目にするものの中でもっとも「嫌なもの」のひとつでしょう。人間の都合で置いた、他を寄せ付けないもっともドライで冷たい閉鎖的なものですよね。


けれど、植物はその有刺鉄線さえつたって生きようとする。僕はそれを実際に見て、物語にしようと考えました。大サビで<隔てようとする力と 生き抜こうとする力>というフレーズがありますが、その混在はこの世界のいろいろな部分に見受けられます。この主人公はたぶん、生きようとしているのか拒絶しようとしているのか、その力が混在している状態で都市の片隅で生きているんだと思いますが、ある段階でその状態を脱していく物語にしたかった。この曲は珍しく歌詞から考えていました。ちょっとしたお芝居を作るような感覚で作っていったんですが、なかなかうまくできたかな、と思います。


ーー歌詞からサウンドを生み出していくのはどんな作業でしたか?


小林:僕は映画音楽もやりますから、物語やシチュエーションから作るのはわりと得意だし、楽しかったですね。ただ、これがSalyuの歌にどう合わせるか、というところはすごく悩んだ部分です。メロディをオルタナティブにしすぎるより、日本人がグッと来る、わかりやすいメロディを重ねあわせていく――演劇的に見せた方がみんな感情移入してくれるのではないかと考えました。この曲のメロディやアレンジはエモーショナルな傾向の曲だと思いますが、主人公の心の動きは冷静で、ある種求道者のようなところがある。Salyuはそれに対して、一人の少女としてあまり強いキャラクターを作らないで歌っていて、逆に言うと、どんな人にでも起こりうるキャラクターを作ったんだと思います。そういう子に起こったひとつの物語でありささやかな思想や哲学のようなものなのかな。


ーーあえて日本的なメロディにしたと。


小林:もっと言うと、フォーキーなメロディですね。歌謡曲や、日本の流行歌に通じるような音階を使いました。日本の場合、よくあるようなロックやトランス感のある音楽には、すごくフォークメロディが多いんです。日本のフォークとトランス感はどこか一致するものがあるのか、組み合わせている人は多いですね。そこに何か漁民、農民のリアリティがあるんじゃないかな。


ーー作曲者として自然に出てくるのは、今おっしゃったようなフォークメロディですか。それとも、ビートルズ的なロック/ポップの流れにあるものですか。


小林:ビートルズ的なホーリーなメロディは確かにあります。ただ、自分で言うのものなんだけれど、幅は広いです。僕らの世代は戦後20年も経っていない中で、海外のロックやポップスがものすごく元気だった時代に育っていますから、そのあたりを大量に咀嚼しました。小さい頃にビートルズもアメリカンポップスもボブ・ディランも出てきましたし、サイモン&ガーファンクルもいました。バート・バカラックももういたわけだし、コード進行やメロディの宝庫の時代に育ったわけですよね。


・■M.06「先回りして2」


ーーこの「有刺鉄線」から「先回りして 2」へと続きます。


小林:音楽的な企みとしては、「有刺鉄線」まで一気に進んだなかで、かなりの手応えや分厚さがあるので、これ以上物語を厚くするのではなく、もう一度語り部を登場させる、という趣向です。ただ、最初の芽生えがあってからここまで旅をしている。怖さも感じながら、それでも旅は続く、という意味で「2」なんです。「1」には入っていない生ピアノがあったりして、「2」よりは歌い手の実体が見えるようなアレンジをしています。


ーー天から降るようなものから、地上に近づいたと。


小林:次の「フェスタリア」とのバランスでもあります。


・■M.07「フェスタリア」


ーーこの曲はダンスミュージック色が強く、音楽の躍動感に身を委ねるような曲ですね。


小林:この曲は、天空のような、光と色に満ちた架空の街をイメージしてます。タイトルが「フェスタ」を絡めた造語であることからも祝祭のイメージがあって、火や花火が天空にあるような感覚です。だけど、そこと宇宙の始まりの暗闇との対比、時空を超えたワームホールみたいなもののスピード感も感じてもらえたらと。


ーーSalyuさんの声も、サウンドの中に溶けこむようです。


小林:素晴らしいですね。ちょっとラテンが入っていたり、祭事を司る未来の女性、というような感じがします。一緒に歌っているのは、ボコーダーを通した声です。


・■M.08 「カナタ」


ーーそして「カナタ」への流れですが、これも「先回りして 2」から転じた祝祭的なイメージが続いているように感じました。音作りも印象的です。


小林:「非常階段の下」や次の「THE RAIN」でも使っていますが、クラブシーンでよく使われる、プリミティブなサイドチェーンをキックに対して使っています。「フェスタリア」で出てくる4つ打ちのダンスビートが、ビートのトランス感とともにより個人的な、内面に入っていくことを目指しました。すごく観念的ですが、自分の中にある「彼方」に光があって、それに対して動いていくベクトルを表したかったんだと思います。


ーー内面から外部への動きを表現する際にこそ、クラブミュージック的な手法が有効なのですね。シュールにも思える歌詞については、音を作る中で変えていく部分もありますか?


小林:音を作るなかで見えてくるんだと思います。僕は僕で情景を描き、Salyuはそれを演じる側として、演技や表現として仕上げていく。特に今回のアルバムは、そのやりとりが重要でしたし、僕がSalyuとやっていて面白いと感じるのはそこです。彼女がどう解釈してどう表現するかは、基本的に彼女に任せています。


ーー仮に小林さんが描く情景と、Salyuの歌う情景が違っていても、音楽表現としては成立する、ということでしょうか。


小林:そうですね。そもそも感じるものは聴く人によって違うだろうから。楽曲の流れについて言えば、一番抽象的な明るさのある「フェスタリア」と、ある種の暗さや迷宮感の中で先の光を見る「カナタ」という流れで、トランス感を持ってほしかったんだと思います。つまり変性意識状態(トランス状態に代表される、世界観を一変させるような意識の状態)に入ってもらうための装置ですね。


・■M.09「THE RAIN」


ーー続く「THE RAIN」ではSalyuさんの歌唱力を存分に堪能できます。


小林:Aメロでは昭和すら感じる曲で、サビのメロディはフックが強い。構成自体はとてもシンプルですが、ものすごく振り幅をとっている曲なので、このスピード感で表現できる人は日本でもなかなかいないと思います。歌詞については、作った当時は原発事故からの影響が出ていたのですが、それだけではない時代背景が引っ張りだしてくれたものだと思います。「どんなことが起きても、夜はいつか明けるし」と、歌っているところは、Salyuの決意や覚悟のようなものさえ感じて僕は大好きです。Salyuは今回のレコーディングですべての曲を歌い終えたときに、このアルバムには「『I Will Dance With Pain』という言葉が一番フィットする」と言っていましたが。


ーー「I Will Dance With Pain」は『THE RAIN』の中で繰り返し登場するフレーズですね。


小林:ものすごくハイトーンで、強いパワーでこのスピードの中で歌いまくるんだけれど、これだけ人間のパワーやスピード感の中で生きていても、ある種のブルースのようなものをいろんな形で理解して、節々に宿しているような感じがして。ライブではこれのさらなる完成形が見せられると思うので、ぜひステージを観に来ていただきたいですね。間違いなく、このアルバムの大団円の曲です。


ーー圧倒的な曲ですが、変わらない状況に対する“痛み”の表現でもある。


小林:はい。それでも歌い続けて踊り続けるのは、ヒューマン・ビーイングのなかで最もプリミティブな行為だと考えています。



・■M.10「希望という名の灯り」


ーー「希望という名の灯り」は聴いていて優しい気持ちになる曲です。


小林:些細かもしれないけれど、希望がある歌にしたかった。ネタバレみたいなところがあるんだけれど、きっかけは芸能ニュースなんです。あるアイドルの一人がグループから離れたのですが、それでも追いかけ続けるファンがいて、その人がまたグループに戻ることを夢見ているのか、というちょっとしたコメントから書いた歌です。その人にとっての希望というのは、他の人からしたら物好きに見えても、生きていく中で十分に支えになったりする。生きるためには、そういうことが本当に必要なのかもしれないと気づいて、曲にしてみたくなりました。「THE RAIN」の後に、日常のなかの小さな灯火のようなものが表せたらなと思っていました。


 僕は今の社会の中で、音楽やエンターテインメントが依存や囲い込みを作るための道具になっていくとしたら、悲しく思います。音楽の表現は、ある種の感度で聴かれていかないと進化していかない。とは言うものの、本当に大変な試練がたくさん世の中には転がっている中では、理想的な音楽の話とは離れているかもしれないけれど、依存であろうと何であろうと希望は必要なのかもしれない。当たり前かもしれないけれど、ただ生きていくことの中に、希望は存在しうるということなんだと思います。


ーーここ最近の社会の状況から、そのようなことを感じたと?


小林:そうですね。孤独の量は増えている印象があって、依存する対象のようなものが必要になってくることも多い。例えば『her/世界でひとつの彼女』という映画では、進化したOSに恋をしてしまい、依存するようになっていきますが、それを否定的に捉えない歌として作りたかったんです。そういうものを冷静に書いたつもりじゃなくて、僕のなかにどこかで女性的な愛に対してのリスペクトがあるような気がします。


・■M.11「先回りして3」


ーーそして「先回りして 3」によって、アルバムの幕が一旦下ります。


小林:人生は必ずしも成功や正しさに向かっているわけではないんだけれど、どんな人にもあってほしい“希望”を肯定するような歌=新たな芽生えを経て、「先回りして」という子守唄は一応、終りを迎えます。


・■M.12「アイニユケル」


ーー本編の物語を終えた後、2年前のシングルでもあるこの曲が流れます。


小林:この曲はいまの現実を踏まえた、このアルバムで一番強い曲だと思います。ある青年が、福島で原発事故が起こり、故郷が避難区域になったがゆえに戻るという『家路』という映画の主題歌です。それだけ歪んだ現実があり、取り返しのつかないことですが、そこへ戻って命を全うしようとする強いベクトル。それにすべて賛同しているわけではないですが、福島のそういうことを乗り越えて向かっていける、出会っていける、ということに強い希望を見た歌です。


ーー今回の取材を通じて、曲順にも綿密な流れがあることがわかりました。5月5日に始まる全国ツアー『Salyu TOUR2015Android&Human Being』では、ライブ後半で今作が曲順通り完全に再現されると聞いています。


小林:僕のプロデュースのなかでは、Mr.Childrenの『深海』というアルバムをフルで演奏しようと企んだのが96年のことで、それ以来やっていません。はじめから再現ライブをやろうと思ってこのアルバムを作ったわけではないですが、導かれるようにそういうライブに向かっています。すごく手応えがありますし、そういう意味でもこのアルバムに関心を持ってもらえたらうれしいですね。ぜひライブに足を運んでもらいたいと思っています。


(取材・文=神谷弘一)