2015年05月02日 11:21 弁護士ドットコム
中国湖南省出身の李小牧(り・こまき)さん(54)が、日本に帰化してわずか2か月で新宿区議会議員選挙(4月19日告示、26日投開票)に出馬した。緊張の高まる日中関係を背景に、日中両国の人たちから非難や応援の声を受けるなか、精力的な選挙活動を展開した。李さんは「民主主義のない中国と、選挙に行かない日本の若者に対し、双方にインパクトを与えたい」と語っている。その選挙戦に密着した。(映像作家・ライター/岸田浩和)
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李さんの選挙戦を追ったドキュメンタリー動画はこちら
https://youtube.owacon.moe/watch?v=3eFq-fOi4Bs
選挙運動期間の最終日を迎えた4月25日の夜、日本有数の歓楽街・新宿歌舞伎町の街頭に、李さんの姿があった。
往来の絶えない歌舞伎町一番街に、拡声器に載せた熱のこもった声が鳴り響いていた。声の主を取り囲むように、人垣が出来ている。輪の中心には、黒いスーツ姿に青いタスキを掛けた、李さんがいた。
19時59分。選挙ボランティアの大学生が時計を確認し「李さん、あと30秒あります」と告げる。李さんが「あと30秒」とうなずき、マイクを両手で包み込むように持ち替え、力を込める。
「日本国バンザイ、歌舞伎町バンザイ!」
人生の半分を過ごした日本に、そして暮らしてきた町への感謝の言葉が自然とこみ上げてきた。辺りを見回すように顔を上げ、「民主主義万歳」と続ける。54年間の人生ではじめて手に入れた民主主義への思いが、最後の言葉へとつながる。
「選挙権バンザイ、被選挙権バンザイ!」
深々と一礼すると、周囲からは拍手や声援が上がった。スマホを手にした中国人のグループが、堰を切ったように走り寄り、「一緒に写真を撮ってくれ」と声を掛けていた。その周りをテレビカメラや報道記者が取り囲み、フラッシュが明滅する。あたりは異様な熱気に包まれていた。
李さんは中国湖南省長沙市の出身で、来日して27年。中国、香港、台湾からの観光客を歌舞伎町の飲食店に案内するガイド業を開始し、一躍有名になった。「歌舞伎町案内人」の異名で知られるようになり、同名の著書はベストセラーになっている。
雑誌へのコラム連載や10冊もの著書を出版するなど、作家としても活躍。ふるさとの湖南省料理を出すレストラン「湖南菜館」の運営でも、成功をおさめている。
すでに日本の永住権を取得している李さんは、日本での生活を続けるために帰化する必要はなかったが、2014年3月、日本への帰化を宣言した。同年6月、日本国籍を申請し、2015年2月に正式に受理された。
なぜ帰化をしたのか。李さんは「選挙権を手に入れ、立候補するため」と話す。
「いまだに民主主義がない中国では、出版や言論の自由がない。もちろん、一般市民には投票権もなく、選挙の仕組みを知らない人もたくさん居る。中国人(当時)の自分が、日本国籍を取って選挙に出馬すれば、中国人にとって大きなインパクトになる」
背景には、冷え切った日中関係もある。「そもそも、中国と日本の価値観がもっと近ければ、争いは起きないですよ」「仲良くするには、お互いの考えを理解し、尊重することが大切。そのためには、中国にも民主主義の考えが必要だと思う」と語る。
自らが民主主義の世界に飛び込み、その体験を発信することで「日中の架け橋」になれると李さんは考えた。「中国生まれの私が選挙に出たら、中国の人たちも選挙や民主主義について注目してくれるでしょう。民主主義とは何なのか、中国はこのままでいいのかと、考えるきっかけになるはずです」
外国人に参政権がない日本では、帰化するしかその方法はない。李さんは、選挙へ出馬するために、日本国籍を取得することを決断した。
「私が日本に帰化すると発表したら、裏切り者、売国奴といった非難の声がたくさん上がりました。次に、選挙に出馬するとウェイボー(微博、中国版ツイッター)に投稿したら、800万回も再投稿(リツイート)されました。今度は応援の声もたくさんありましたよ」
自身の行動が大きな注目を集めていることを実感している。
さらに李さんは、日本の若者にも選挙に興味を持ってほしいと訴える。選挙期間中は、新宿区内にある早稲田大学を訪れ、たびたびキャンパスの入り口で街頭演説を行った。
周囲からは「新宿区外から通う学生が多く、20歳未満の学生もいる。有権者が少ない場所に行っても意味がないのでは」と制止を受けたが、「若者に選挙や政治について興味を持ってもらいたい」と連日、足を運んだ。「なぜ中国人だった私が、故郷の国籍を捨ててまで選挙に出ようとしたのか、学生たちも不思議に感じるかもしれません。私をきっかけに、民主主義の存在や価値を知ってくれたら嬉しい」
2015年4月26日夜。選挙の開票結果の発表を前に、李さんの運営する「湖南菜館」には支援者やメディア関係者がたくさん詰めかけた。22時過ぎに「開票率30%台で現在、600票。当落は今後の伸び次第」との一報が入って店内が活気づく。23時過ぎの続報で「開票率90%台で、得票数が1000票。1400票が当落線なので厳しい」との連絡が入った。
結果は1018票で落選。定数38人に対して、52人が立候補した選挙で、李さんは45番目の得票数。最下位当選の得票数が1440票だったため、まだ400票以上足りなかった。
翌朝8時。いつも街頭演説で訪れていた大久保駅の前で、マイクを手に立つ李さんの姿があった。
「皆さんが投票して下さったにもかかわらず、わたくし李小牧は落選してしまいました。応援して下さったみなさん、本当にごめんなさい」と三方向に向かって頭を下げる。
李さんが街頭に立つ姿を見て、横断歩道の向こう側から、胸元で小さな拍手を送る女性や「応援してたよ!次も、がんばって」と駆け寄る男性の姿があった。
選挙を振り返り、「生まれて54年間ではじめての投票と選挙活動を体験した1週間でした。自分の好きな場所に出向いて行って、街頭で自分の考えを演説する。すべてが中国では出来なかったこと。興奮して眠れませんでしたよ」と明るい表情を浮かべた。
選挙結果については「落選は残念だったが、私の準備不足の結果だと素直に反省したい。一方で、中国人や日本の若者へ訴えた思いには、手応えも感じた」と話す。
昨年は、台湾や香港で、次々と民主主義や普通選挙を求める大きな学生運動が起こった。一方で、民主主義が確立された日本では、若者の政治への無関心と投票率の低下が深刻な問題になっている。こうした状況の中、中国や日本に、一石を投じた李小牧さんの行動の意義は大きい。
落選のお詫びのため、演説用のスピーカーをママチャリの前かごに乗せ、次のポイントに向かおうとサドルにまたがった李さんは、「ここは、民主主義の国だから、議員じゃなくても政治活動は続けられるんでしょ」と笑顔を見せた。「外国人の心を持つ日本人として、私にしか出来ない政治活動があるはず。4年後の選挙と東京オリンピックに向けてがんばりますよ」といい、大久保通りの喧噪のなかへとペダルをこぎ出していった。
(弁護士ドットコムニュース)