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シューマッハー初期の愛車。ハイテクF1集大成のベネトンB193。5月の鈴鹿イベントに来日

2015年04月30日 14:30  AUTOSPORT web

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アラン・プロスト(ウイリアムズFW15C)の追撃を交わし、1993年のポルトガルGPを制したミハエル・シューマッハー(ベネトンB193)。自身2度目のF1勝利である
2015年5月23日と24日に、鈴鹿サーキットで「SUZUKA Sound of ENGINE 2015」が開催される。このイベントには国内外から数多くの名車が集結する。その中には、ミハエル・シューマッハーのF1キャリア初期のマシンもある。ベネトンB193だ。

 1991年のベルギーGPで、ジョーダン191を駆ってF1デビューを果たしたシューマッハー。その走りはデビュー戦から注目の的となり、すぐさまベネトンが引き抜いて続くイタリアGPからシートを提供する。シューマッハーはベネトン加入初戦で5位に入り、自身初の入賞。続くポルトガル、スペインと3戦連続入賞を果たし、その才能の片鱗を見せる。

 シューマッハーは翌1992年のベルギーGPで初優勝。F1参戦開始ちょうど1年で勝利を掴む。この年、シューマッハーの相棒となったのはベネトンB192。“バナナノーズ”と言われた、当時は異様に映ったハイノーズのマシンは、マックスパワーに劣るフォードHB V8エンジン搭載にも関わらず、マシンバランスとドライバビリティを武器に、ドライバーズランキング3位を獲得している。

 当時のF1は、ちょうどハイテク化著しい時代。しかしこのベネトンB192はセミオートマも、アクティブサスペンションも搭載されていない、“ローテク”F1マシン。にも関わらず、ハイテクで武装したウイリアムズやマクラーレンに対し接近戦を挑み、前述のように勝利まで収めた。

 そのベネトンが、満を持して“ハイテクマシン”として送り込んだのが、今回ご紹介するベネトンB193である。見た目は、前年のB192と瓜ふたつ。事実、開幕戦(南アフリカGP)と第2戦(ブラジルGP)にはハイテク装備を間に合わせることができず、“B192”と呼んでも差し支えないローテクカー“B193A”で出走している。それでも、シューマッハーが表彰台登壇を果たすなど、やはりマシンの素性は素晴らしい。

 迎えた第3戦ヨーロッパGP。ここにベネトンは“B193B”と名付けられたマシンを登場させる。このマシンはセミオートマチックトランスミッション、アクティブサスペンション、ABS(アンチロック・ブレーキシステム)などで武装した、まさに“ハイテクマシン”と言えるものだった。その後、モナコGPではTCS(トラクションコントロールシステム)、日本GPでは4WS(四輪操舵システム)が投入されていく。

 ハイテクデバイスを満載したベネトンB193Bは、成績こそローテク“B193A”時代と大差ないが、特にレース終盤、燃料搭載量が少なくなりマシンが軽くなってくると、戦闘力が大幅に向上。若きシューマッハーの強靭な体力もあり、この年5回ものファステストラップを記録するなど、チャンピオンを獲得したウイリアムズに匹敵する速さを見せた。しかしその反面、前年までの長所だった信頼性が低下。14戦中6回ものリタイアを喫することになる。完走さえすれば、表彰台は確実だったシーズンなのに……(完走8回の全てが表彰台登壇)。結果、シューマッハーは前年よりひとつ順位を落としてドライバーズランキング4位。チームメイトのリカルド・パトレーゼは2度の表彰台登壇を果たして5位となった。

 この年を最後に、F1ではハイテクデバイスの使用が禁止される。すなわち、B193BはハイテクF1マシンの集大成とも言うべき存在だ。ハイテクデバイスが禁止されると、ベネトンの戦闘力はそれに合わせて大幅に向上し、翌1994年にドライバーズタイトル(ミハエル・シューマッハー)、1995年にはダブルタイトルを獲得することになる。

 5月23日と24日に鈴鹿サーキットで行われる“サウンド・オブ・エンジン”には、このベネトンB193が登場。B193が来日するのは、1993年の日本GP以来のことである。フォードHB V8サウンドを堪能できる機会も、日本では稀少。このチャンスを逃す手は無い。