2015年5月23日と24日に、鈴鹿サーキットで「SUZUKA Sound of ENGINE 2015」が開催される。このイベントには国内外から数多くの名車が集結する。中でも特に注目なのは、トールマンTG184である。
1984年、ひとりの天才がF1にデビューする。アイルトン・セナである。1983年のイギリスF3選手権でチャンピオンを獲得したセナは、中堅トールマンをF1初年度の所属チームに選ぶ。トールマンはF2選手権で活躍し、1981年からF1にステップアップしたチーム。セナがデビューする前年には終盤4戦連続で入賞を果たすなど、中堅チームながらそのポテンシャルを発揮していた。
セナのデビュー戦のマシンはトールマンTG183Bという、前年マシンの改良版。それでも、セナは2戦目で入賞を果たすなど、その才能を早々に発揮しはじめた。
そして第5戦フランスGPから投入されたのが、TG184である。TG183Bではフロントに搭載されていたラジエターをマシン側面に配置。タイヤもピレリからミシュランへ換装している。また、サスペンションはフロントがプルロッド、リヤがプッシュロッドとなっている。
このマシンの設計を担当したのがロリー・バーン。後にベネトンB194、B195を生み出し、若きミハエル・シューマッハーと共にF1界を席巻することになる人物である。当時のF1はまだ空力優先の時代だったというわけではないが、バーン作の空力を重視したマシンは、非力なハート直4ターボエンジンにも関わらず、素性の良さを披露した。その最たる例が、伝説のモナコGPである。
第6戦モナコGPは、大雨の中レースが行われた。セナにとってはモナコ初挑戦。彼は13番グリッドからレースをスタートさせる。
そのセナは雨の中を水を得た魚のように快走し、前を走るマシンを次から次へと抜いていく。フェラーリのミケーレ・アルボレートとルネ・アルヌー、ウイリアムズ・ホンダのケケ・ロズベルグら強豪を蹴散らし、先頭を走るマクラーレン・TAGポルシェのアラン・プロストに迫る。しかし強くなる雨。先頭のプロストは再三に渡ってレースを中止にするように訴え、32周目に赤旗終了。その時には、セナはプロストのすぐ後方、2番手の位置に迫っていた。そして、あと少しあれば優勝できたと悔しがる。セナが“モナコマイスター”呼ばれるようになる、その第一歩は、トールマンTG184・ハートと共に踏み出されたわけだ。
このトールマンTG184が、5月23日と24日に鈴鹿サーキットで行われる“サウンド・オブ・エンジン”でデモランを披露するために来日する。このクルマが日本に来るのはもちろん初。しかも、今回はこのイベントのためだけに空輸されてくるので、日本のファンが目にすることのできる機会は、もう2度とやってこないかもしれない。
ちなみに、セナはこの1984年限りでトールマンを離れ、当時のトップチームの一角を担っていたロータスに移籍。トップドライバーとしての歩みを進めていくことになる。セナ離脱後のトールマンは徐々にその勢いを無くし、1985年末にイタリアのアパレルメーカー、ベネトンに買収される。ベネトンと名を変えた後は、潤沢な資金的バックアップもありチーム力が上昇。前述のシューマッハーの活躍もあり、2年連続チャンピオンに輝く活躍を見せている。
なお、1984年当時のトールマンには、現在はジャーナリストとして活躍している津川哲夫氏がメカニックとして在籍していた。