2015年04月17日 18:11 弁護士ドットコム
わいせつ電磁的記録送信などの罪に問われている漫画家・芸術家「ろくでなし子」さんの初公判が開かれたことを受け、「わいせつとは何か」を議論するシンポジウムが4月16日、東京都内で開かれた(主催:週刊金曜日)。シンポジウムには現代美術家・文筆家の柴田英里さんが登壇し、「ろくでなし子作品」について、次のように評した。
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「ろくでなし子さんの作品を初めてみたとき、『すっごいバカバカしいな』という印象を受けました。『バカバカしい』というのは、褒め言葉です。
いままで日本で『まんこ』は、神秘的かわいせつか、母かエロかみたいな扱いをされてきました。ろくでなし子さんは、コロコロコミック的なギャハハハハと笑う表現、バカバカしさによって、そうやって女性を二分化することを脱却してしまった。
そこがすごく面白いなと思ったんです」
ろくでなし子作品は「アート」なのか――。そうした点について、柴田さんは次のように語る。
「昨年、東京芸大で開かれた、ろくでなし子さんのシンポに集まった人たちのうち、芸大生はわずか1割程度でした。美大・芸大生の中には『あれは芸術じゃないから、俺らは知らない』みたいなことをいう人もいるようですが、それは美大入試のデッサンと実技以外は芸術ではない、というような感覚だからではないでしょうか。でも、芸術の本質は『新たな創造』とか、『世の中に意見を提示すること』。ろくでなし子さんの作品は、意見の提示がすごくあると思います」
それは、はたして新しいものだったのだろうか?
「フェミニストや美術史家からすれば、『まんこアートはジュディ・シカゴ(※アメリカの著名なフェミニスト・アーティスト)が1970年代にやっているじゃないか。またやったって意味がない』って言われることもあると思います。でも、なし子さんの作品には『バカバカしさ』がある。そこが、ジュディ・シカゴの作品とは決定的に違う」
いま、ろくでなし子作品が持つ意味について、柴田さんはこう語る。
「時代が違うというのもありますけど、これまでのフェミニズム・アートは、女性が受けてきた痛みだとか怒りが表面化することが多かった。参政権がなかったり、財産を継承する権利がなかったりといった抑圧をされてきた歴史の中で、痛みに触れなければどうしようもなかったという面があるからです。
今の女性にも痛みはあるけど、その種類が違う。石を投げつけられる痛みと真綿で締め付けられる痛みは違いますよね。そして、真綿で締め付けられるような2000年代以降のバックラッシュの状況のなかでは、『バカバカしさ』がすごく重要だったと思います」
なぜ、それが重要なのだろうか。柴田さんは次のように語っていた。
「いまの若い世代は、学校教育で男女平等を教えられ、女性だから選挙権がないとか、財産を相続できないとか、そういったことはない。突き詰めれば差別はあるけれども、表面上はすごく女性として生きやすいみたいな感覚になっている。
それなのに、女はこんなに苦しんできたんだって言われたら、『不幸扱いしないでよ』って拒否反応が出ることがあると思うんです。でも『バカバカしさ』は、そういう人にも受け入れられやすい。
それにたとえば、自分の身体のことで悩んで痛みを感じてる人にとっては、こんな風に『バカバカしい』と思っても良いというメッセージになる。
すごく自分が悩んでいたことが『たいしたことなくね?』って思える。青天の霹靂みたいな衝撃を受ける人だって、いたと思うんですよ。そんなバカバカしい力が、『まんこちゃん』や『マンボート』など、ろくでなし子さんの作品にはあると思います。
最近、ネットやSNSでも、良い人じゃないといけないっていう圧力がすごい。そういう『ピア・プレッシャー』(※仲間からの圧力)、『良い人でいたい症候群』みたいな空気の中で、そんな空気読まなくったって良いじゃんみたいな作品って、すごく重要だと思っています」
(弁護士ドットコムニュース)