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東大、京大の式辞に共通点 「ひとりよがり」と問題視、学生に「意志」「タフさ」求める

2015年04月08日 19:40  キャリコネニュース

キャリコネニュース

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4月は入学式のシーズン。全国の学校で校長や学長がさまざまなあいさつをしている。5日には信州大学の山沢清人学長が、式辞で「スマホやめるか、大学やめるか」と問いかけたと大きな話題になった。

その他の大学の式辞にも「これは名言」「格式が高い」といった称賛の声があがっているものがある。7日に開かれた京都大学の学部入学式では、山極寿一(やまぎわ・じゅいち)学長が新入生約3000人に向けて式辞を述べた。これが8日付の天声人語(朝日新聞)にも取り上げられている。

京大生は「対人力」に難あり?

山極学長は京都大学の使命について、「単に競争的な環境を作るのではなく、分野を超えて異なる能力や発想に出会い、対話を楽しみ協力関係を形作る場を提供していきたい」と考えを表明した。

「そういった出会いや話し合いの場を通じてタフで賢い学生を育て、彼らが活躍できる世界へ通じる窓を開け、学生たちの背中をそっと押して送り出すことが、私たち京都大学の教職員の共通の夢であり目標なのです」

学長は「タフで賢い学生」「野性的で賢い学生」といった言葉を繰り返し使っている。対極として挙げられた現在の学生の傾向は、「内にこもりがち」「IT機器を常時持ち歩き、狭い範囲の仲間と常につながりあう」「自己決定ができない、ひとりよがりの判断でよしとする」といった性質だ。

企業の人事担当向けの調査でも、京大出身の新卒社員は「知力」「学力」「独創性」は高かったものの、「対人力」が低かったのだという。その一方で、社会からの要請として「国際的な交渉の場で力を発揮」できる人材を育ててほしい、との声が高まっている。

だから学生には「自分ばかりでなく他者の知識や経験を総動員して自己決定する意思を強く持つことが必要」だと説いている。批判もあった信大・山沢学長の式辞にも通じる内容であり、大学が共通して直面している課題といえるのかもしれない。

「自分の考えに行き詰まったり、仲間から批判されて悲観しそうになったりしたとき、それを明るく乗り越えられるような精神力が必要です。失敗や批判に対してもっと楽観的になり、それを糧にして異色な考えを取り入れて成功に導くような能力を涵養しなければなりません」(山極学長)

東大でも「タフでグローバルなソクラテスに」と呼びかけ

東京大学でも、3月25日の卒業式で石井洋二郎・教養学部長が読み上げた式辞が話題だ。1964年3月の同校卒業式で、当時総長だった大河内一男さんが語ったとされる「肥った豚より痩せたソクラテスになれ」という訓示は、草稿にはあったが実際は読みあげられなかったのだという。

しかし、当時のマスコミが草稿をそのまま大河内総長の言葉として報道してしまった。しかしそれも間違いで、「肥った豚より…」の言葉は英国の哲学者、J・Sミルの言葉であり、しかも原文の意味とは大きな乖離があるというのだ。

これに象徴される「善意のコピペや無自覚なリツイート」のような情報を疑い、一次情報に立ち返り、自分の頭と足で検証する「健全な批判精神」が教養の本質だと、学生たちに語りかけている。

「あらゆる情報を疑い、検証し、吟味した上で、東京大学教養学部の卒業生としてみずからの名前を堂々と名乗り、自分だけの言葉を語っていただきたいと思います」(石井学部長)

この「情報の真偽」に関しての内容がネットで話題になったが、京大の学長と共通しているのは「自己決定する意志」「自分だけの言葉を語って」と、意志の「表明」の重要性が強調されていることだ。

石井学部長は、卒業生に「タフでグローバルなソクラテスになれ」とも呼びかけているが、これも京大学長の「タフで賢い学生を育てたい」とする言葉に似ている。

でも「美しく輝く宝石」は1つか2つしかない?

すべての入学生・卒業生に「可能性」を語りかけるものとは対照的な式辞が、4月7日の読売新聞「編集手帳」欄に掲載されている。彫刻家の澄川喜一さんは、東京芸術大学に入学した際に「鼻っ柱をポキンと折られた」ような式辞を当時の学長から送られたと振り返る。

「おめでとう。入学した170人は磨けば光る原石である。このなかから1つか2つ、美しく輝く宝石のような芸術家が生まれれば、それでよい。ほかの168人は宝石を磨く手伝いをせよ」

確かに、「タフでグローバルなソクラテス」や「輝く宝石」には、皆がなれるわけでもない。しかし編集手帳では、それが現実だとしても、「輝く手伝いをするよりは、誰しも自ら輝きたいのが人情だろう」「ポキンはまだ早い。宝石になろう」と、学生たちに独自のエールを送っている。

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