マレーシアGPの大切な要素は、何よりもまず、フェルナンド・アロンソ、バルテリ・ボッタスがレースに帰ってきたこと。セパンでは無事にFIAの検査をパスしてコースイン──体調は、スポーツ選手として彼らが目指す“100%”ではないものの、マシンの動きからは走る高揚感が十分に伝わってきた。パドックの関係者もテレビで見守るファンも、大きな安堵と喜びを共有した金曜日だった。マクラーレン・ホンダのタイムは遅くても、アロンソの存在感はF1を引き締める。
もうひとつのポジティブは、言うまでもなく、猛暑をものともしないフェラーリが開幕戦以上に活き活きと走り、メルセデス・ワークスとの差を詰めてきたこと。タイヤに的にも、マシン全体の排熱においても、パワーユニットの冷却に関しても、フェラーリは暑くなるほど力を発揮した。相対的に言うなら、他のすべてのチーム、パワーユニット勢が熱対策のために速さを代償として支払わなければならなかったのに対して、フェラーリにはその必要がなかったぶん、速さが際立った。
今シーズンのフェラーリの鍵は“冷却”にある。テクニカルディレクターのジェームス・アリソンは空力を犠牲にするような「穴を空ける」セパン対策は施さなかったと説明したが、外気温が何度であっても性能を発揮するマシン、冷却に重点を置いた思想はパワーユニットの性能にも表れる──燃焼室内に送り込む空気の温度を抑えることができればV6ターボ自体の効率はずっと向上しパワーも上がる。回生システムも無駄な発熱を抑えれば十分にエネルギーを回せる。熱による物理的な破損やセンサーの誤作動など熱害のリスクも小さくなる……F1マシンは元来タイヤさえ作動すれば、真冬の冷たい空気のなかで最も速さを発揮する。フェラーリのマシンは、自らの身体のなかで、その環境に近づくべく英知を集結した賜物だ。
ただし、ドライバーにとっては熱帯雨林性気候の苛酷な条件から逃れる術はない。表彰台に上がるセバスチャン・ベッテルの足取りが──完全無欠だったレースとは裏腹なほど──おぼつかなかったのは赤道直下の現実。右足に神経を集中してアクセルとブレーキを繊細に操作し、その先にあるタイヤの“機嫌”を全身全霊で感じ取り……50℃を超えるコクピットのなかで1時間40分以上、完璧な集中力を維持しなければならなかった。フェラーリでの初勝利のチャンスをつかんだのは、ベッテルの精神力の強さでもあった。
フェラーリのマウリツィオ・アリバベーネ代表は、朝のミーティングでエンジニアたちの説明を聴くうちに「今日は面白いレースになるかもしれない」と感じたと言った。マラネロのストラテジストたちが組み立てた作戦は説得力十分。キミ・ライコネンが2周目の不運な接触で大きく後退したときも、マーカス・エリクソンのコースアウトによって4周目にセーフティカーが出動した際にも、作戦はまったく揺るぎなく遂行された。正確な計算を可能にしたのは金曜日のFP2。ベッテルがハード、ライコネンがミディアムを装着してロングランの貴重なデータを収集した──ルイス・ハミルトンのハンデはこの部分で、FP1でエンジンのインレットに問題が発生したため金曜はFP2の後半しか走行できず、セットアップを仕上げてロングランを行うという通常の作業が行えなかった。
ジェームス・アリソンは「セーフティカー出動によって、フェラーリはリスクを冒すことなく首位に立った。もしセーフティカーがなくメルセデスも同じ作戦なら、たとえコンマ数秒自分たちのペースが速くとも難しかったかもしれない」と謙虚に振り返る。
ベッテルの第1スティントは予選で3ラップ使用したミディアムで17周。第2スティントはミディアムのニューセットで20周。一見、単純なこの作戦を成功に導くため、彼はどれほど神経を擦り減らしたことだろう? 第1スティント後半は1分46秒台、最後の4周は0.1秒ずつラップタイムを落としながら耐えた。第2スティントは1分44秒台から入った後、10周のあいだ1分45秒台を維持──最後の2周は0.3秒落として第3スティントにつないだ。
金曜日からタイヤの性能維持に苦労していたメルセデスは、4周目のセーフティカーで迷うことなくピットイン。首位ハミルトンはステイアウトしていた集団の後方、6位でコースに戻ったが、再スタートの後にも即座にベッテルとの差を詰めることができず10秒のリードを許してしまった。レースの鍵となったのは、17周目に最初のタイヤ交換を行うまでベッテルが維持した9秒のリード。そしてミディアムのニューセットでハミルトンを追い詰めた第2スティント前半。3ストッパーのハミルトンが24周目にミディアムに交換した後は、追い上げるメルセデスに間隔を詰められながら、スティント終盤は絶妙なペースコントロールでメルセデスの気勢を制した。
ベッテル、37周終了時点でミディアム→ハードへ交換。ハミルトン、38周終了時点でミディアム→ハードへ交換。ふたりの間隔は14秒。同じタイヤで残り周回数も同じ。主導権を握っていたベッテルの勝利は、この時点で確実になった。そのぶん彼が背負った重圧は計り知れない──物理的にはタイヤと作戦で説明されるレースでも、マレーシアGPの勝敗を大きく左右したのは、きっと、ベッテルの“勝ちたい”という強い思いだ。自身にとってもフェラーリにとっても、何があっても逃してはならないチャンスだった。
4度のタイトルに輝いたドライバーが、表彰台では涙を抑えるのに苦労した。ドイツ国歌が流れる間は空を見上げて自らの胸に思いを馳せ、イタリア国家を聴くときにはチームのみんなが合唱する声に笑顔で耳を傾けた。
スクーデリア自身でさえ予想していなかった“新生フェラーリ”の勝利。キミ・ライコネンも後方から追い上げて4位入賞を果たした──赤いマシンが速いと、F1はこんなに楽しく華やかになる。
そして、真紅の大輪が開く後方で、たくさんの花を咲かせたのは今回も元気な若者たち──ベッテルが作戦でトップに立ち、その座を守り抜いたレースなら、コース上の格闘技に一瞬の隙も見せなかったマックス・フェルスタッペン、2ストップ作戦を完成させたカルロス・サインツJr.の新人らしからぬレースも今シーズンを楽しみにする要素。ウイリアムズのふたりの攻防、55周目のターン4でフェリペ・マッサのブレーキングを予測し、後方からイン側のラインに入って出口で並び、高速のターン5でチームメイトをかわしたバルテリ・ボッタスはマレーシアGPのベストオーバーテイクを実現した。
そして──盤石なメルセデスが露呈した精神的な綻びも、F1が人間のスポーツであることを改めて思い起こさせた。フェラーリの勝利は物理の法則であったかもしれないが、“強いメルセデス”が初めて経験した「正当に戦っても負けるかもしれない」状況は動揺を生み、それは無線交信にも表れた。ファンが抱えたいくつもの“?”は、彼ら自身も抱えていたのだ。
勝ちたい気持ちだけでは勝てない。しかし灼熱のセパンで、勝ちたい気持ちのすべてを“冷静”に活かしたフェラーリは、自分たちのなかに生まれた新しい力を感じているはずだ。そしてベッテルも、自らのなかに“跳ね馬を牽引する力”を感じているに違いない。
(今宮雅子)