志を高く──コンペティションの世界では絶対に不可欠な精神であるものの、圧倒的な強さを証明したF1チームにとって、自らのハードルを“どこまで引き上げるか”という判断ほど難しい課題はない。追う立場のチームやメーカーには2014年のメルセデスが示した速さが最低限の目標値(あるいは実現可能な基準)となるが、トップを行くメルセデスの前にはライバルという目に見えるターゲットが存在しない。速さを追求したい気持ちだけを優先すると、どこかで必ず信頼性が犠牲になる。あるいは、信頼性だけを大義名分として掲げてしまうとライバルの接近を許すだけでなく、チームとして加速していく勢いを失ってしまう。
だから、ディフェンディングチャンピオンのレースは難しい。
メルボルンの週末、メルセデスのガレージやホスピタリティエリアの周辺から、チャンピオンチームの余裕や楽観的な空気を感じることは一度もなかった。パスコントロールやメディアセンターとの位置関係から何処に行くにも必ず通る場所なのに、パディ・ロウをはじめとする技術陣が誰かと談笑するようなシーンには一度も出会わなかった。“厳格"と表現してしまうとドイツ的で冷たい印象を与えてしまうが、メルセデスのガレージ裏を通るたびに伝わってきたのは、“熱い使命感" だ。2014年は性能で他を圧倒しながら、最後の最後まで100%の信頼性を手に入れることが叶わず、ふたりのドライバーの戦いにも少なからず影響を与えてしまった。2015年は、絶対に同じミスを繰り返してはならない。そして、性能面でも他の追従を許してはならない──。
既存3メーカーのなかで最も多い25トークン分のパワーユニット開発を投入して、開幕戦に臨んだメルセデス。他メーカーとの差が14年以上に広がったのはある意味、当然。しかしトラブルの兆しすら見せず完璧に走らせた、彼らの努力と気迫には脱帽しなければならない。
レースは、ポールポジションからスタートしたルイス・ハミルトンが58周を掌握した。メルセデスのマシンは確かに速く、挙動が安定していて素晴らしいけれど、フリー走行3セッションを通して試行錯誤を繰り返し理想のマシンを仕上げていったのは、今シーズンのハミルトンが、さらに磨きをかけてきた部分。土曜のFP3でもブレーキングポイントが定まらず、出口でイン側の縁石を踏んでホイールスピンを起こすシーンが見られるほどだったのだから、「理想のバランスを見出すため、エンジニアと一緒に必死で仕事をしてきた」という言葉は嘘じゃない。予選では路面温度が急激に低下したことも、きっとハミルトンには有利に働いた。結果、Q1~Q3のすべてのアタックでニコ・ロズベルグを圧倒し、その時点でオーストラリアGPの勝利をほぼ手中に収めていた。
金曜のFP1~FP2でわずかに先行していたロズベルグは、予選のアタックをきれいにまとめることができずに2位からの発進。得意だったはずの予選で敗れて、すでに劣勢を感じていたと言う。タイヤ作戦はソフト→ミディアムの交換が1回だけという状況では、ハミルトンに何かが起こらないかぎり、戦況を覆すことは不可能だった。
メルセデス・チームの空気とは裏腹に、コース上のドライバーふたりから切ないほどの緊張感が伝わってこなかったとしたら、勝利のためのカードが自分の手元にないことをニコが悟ってしまっていたからだ。僅差でタイトルを逃したあと、15年の開幕戦は何があっても先手を打ちたかったはずなのに……2位でゴールしたニコの表情が、あまりに爽やかで拍子抜けしたファンも多いはず。でも、昨年の最終戦アブダビを思い出せば、彼の気持ちを想像することができる。緊迫したレースの最中にマシンが壊れてしまうという理不尽、チームメイトを襲った不運が自分にも降りかかってくる不安を何度も経験すれば、2台そろってクリーンなレースを走れたこと自体が、きっと健全な喜びをもたらすのだ。
メルセデスの2台が別世界を行くレースではあったけれど、そこに新鮮さを加えたのは赤いベッテル──予選はQ3最後にミスをして4位発進になったものの、レースでは見事なタイヤ管理+作戦でフェリペ・マッサから3位を奪い取った。テストから好調なフェラーリ、今年は1アタックだけでなくロングランでも速い。車体性能を犠牲にすることなくパワーユニット自体の効率を大幅に向上し、燃費に厳しいアルバートパークでも最後までペースを落とすことはなかった。ベッテルにとっては、トラブルフリーの週末が何より嬉しい。フェラーリでの最初のレースで表彰台に立つと、久しぶりに子供のような笑顔になった。
そんなベッテルに負けないくらい、爽やかな風を運んできたのはフェリペ・ナスル、カルロス・サインツJr.、マックス・フェルスタッペンの若手たち。彼らと並ぶとベッテルですら年齢を感じさせるほど3人とも表情はあどけないが、いったんマシンに乗ると3人そろって驚くほど落ち着いている。
GP2時代から独特の存在感を備えていたナスルは、リカルドとの攻防を堂々と制することによって存在感の理由をひとつ解き明かしてくれた。強気であっても無茶はしない。走行ラインに迷いがない。そして安定している。
サインツJr.の場合は父親があまりに偉大な存在であるけれど、マシンの挙動が乱れたときに取り戻す技は父親譲り。スピンをしても精神的には乱れていない──マシンに振り回されているわけではないのだ。
そして17歳のフェルスタッペンは“天才"という噂もなるほど──思いきりよく独自の走行ラインやブレーキングを見出していく。トロロッソのふたりは見ていて楽しくなるほど元気が良い走りをするが、とりわけ評価が高いのはターン3、ターン15という低速コーナーで彼らが発揮した創意工夫の技。
ルノーのパワーユニットは冬のテストから、ずっとドライバビリティの向上を課題としてきた。ドライバーにとって難題は低速域に入るとトルクに不安定な凹凸が発生して予測がつかないことで、その欠点がアルバートパークで最も色濃く表れたのがターン3、ターン15という低速コーナーだった。サインツもフェルスタッペンもミスをしたが、リカルドでさえ手を焼いているのが現時点でのルノーPUの欠点だと理解して見れば、彼らの対応能力の高さがわかる。
F1らしい高速コーナーがない公園の公道コースは、毎年、新人ドライバーたちに活躍の場を提供する。今年の3人も、実力が試されるのはこれからではあるけれど──きっと輝きを増す、楽しみな存在であることは確かだ。
(今宮雅子)