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「社員との信頼関係なんかクソくらえ」と吠えた若き経営者 津波を前に「社員をクビにしない」と決意

2015年03月09日 17:00  キャリコネニュース

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岩手県陸前高田の老舗しょうゆ店「八木澤商店」の9代目河野通洋社長は、東日本大震災当時は37歳で専務として会社を切り盛りしていた。2015年3月5日の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、地方を支える若き経営者の試練と再生戦略を紹介した。

4年前、会社があった場所に津波が押し寄せ、何もかも流されていく光景を、河野さんは避難した山の上から眺めていた。しかし頭の中は意外と冷静で、社員を守りながら再建する経営上の計算が浮かんでいたという。

「現預金で自分たちの役員報酬をゼロにしたら、売り上げも営業活動もなしで社員の給料だけ払う場合、何か月持つか、という計算をしていた」

逆境の中で新しい挑戦「ご協力よろしくお願いします!」

営業再開のメドも立たない中、生き残った社員を集めて「パートさんも含めて、雇用は全員維持することをお約束します」と宣言した。かき集めた預金から、その場で給料を全員に支払い、父親から社長職を引き継ぐことも明かした。

河野さんは「誠心誠意やらせていただきます。ご協力よろしくお願いします!」と社員たちに深々と頭を下げて営業再開を誓ったのは、震災からわずか3週間後のことだった。

震災前の取引先を津波で失ったため、一般向け商品の開発に力を入れた。味噌ケーキなどのスイーツ事業を軌道に乗せ、クラウドファウンディングで資金を集めると、わずか1年半で自社のしょうゆ工場を再建した。

さらに津波で全壊した食品関係メーカー4社を集め、「madehni(までーに)」というスープブランドも立ち上げるなど若い発想と行動力を武器に会社の再建に奔走する。

河野さんは、「震災という逆境の中で、今まででは考えられないチャレンジができた」と語る。しかし、そんな彼も20代の頃は「利益第一主義」だったという。

「社員との信頼関係なんかクソくらえだ」と言い、経済規模が縮小していく中で「勝ち組にならなきゃいけない」と繰り返していた。「利益を出すのが重要で、『俺たちは営利集団だ』と平気で経営の大先輩の前で語っていた」と照れ笑いしながら話す。

「皆が安心して暮らせる世の中」の考え方に覚醒

その考えを変えさせたのは、加入していた中小企業家同友会という組織だった。「どんなにきれいごとを言っても利益がなければ会社は回らない」との河野さんの主張に、今は故人である前事務局長の若松氏はこんなことを言い諭した。

「強いものだけが勝ち残る世の中をつくるより、皆が安心して暮らせる世の中をつくる方がよっぽど難しい。それをやる人間は『青臭い』と指を差されて笑われるだろう。でも、これができるのが日本の中小企業なんだ」

そして「日本の中小企業は地域の中で息の長い持続可能な社会を作り続けてきた。一緒にこ の運動をやらないか」と話をされたとき、河野さんは「ぶわーっと燃え上がった。この人と一緒にやりたいと思った」と熱く語った。

その後も先輩経営者たちから、中小経営者のあるべき姿を教えられた。赤字決算が見込まれ社員の昇給をあきらめた時、「働いている人たちの苦労に報いるという姿勢を、最後の最後まで諦めずにやるのが経営者の責任だ」と叱咤されたこともある。

その年は3月末まで必死に社員と共に働き、結果的にギリギリ赤字を免れた。河野さんはこの経験をもとに、確信をもってこう話した。

「諦めないで最後まで粘り続けると、みんなが協力してくれるので、そういう危機的な状況も回避できる」

「雇用を守る」は日本全体の最優先事項

河野さんは、震災を機にさらに地元の中小企業の連携に力を入れ、同友会のメンバーから決算書を見せられるほどの信頼関係を築いている。岩手県の同友会の仲間と共に、被災地での新規事業をサポートする「懐かしい未来創造株式会社」も設立した。

助言者に恵まれ経営者として成長していった河野さんだが、単に諭されたからといって、聞き入れる素直な心と相手との信頼関係がなければ、考え方が一変することはなかったのではないだろうか。

村上龍も「『雇用を守る』というのは、被災地だけではなく、日本全体の最優先事項である」と語ったように、河野さんのような人が増えて、皆が安心して暮らせる社会が築けたらと考えずにいられない。(ライター:okei)

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