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ノーベル賞・田中氏がいまも働く島津製作所 短期的な金儲けに走らず「画期的な発明」

2015年03月01日 12:40  キャリコネニュース

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13年前に社員の田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞し、一躍注目を浴びた島津製作所。2015年2月26日放送の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、年商3000億円、エンジニア1400人を擁する技術者集団の、研究にまい進する想いと仕事ぶりに迫った。

明治時代に京都で創業した島津製作所は、「見えないモノを見る・測る」分析・計測機器を製造する専門メーカーだ。田中耕一氏がノーベル賞を受賞した業績も「タンパク質を分析計測できる方法を発見」したことである。

京都の仏具職人が「科学」に興味持ち創業

島津製作所が開発した機器は、ビールの味や品質保持、節水シャワーヘッドの開発など、食品や製造業、医療分野での研究開発になくてはならない存在だ。

田中さんはこの会社で、55歳になる今でも一社員として働き、病気の早期発見などに役立つ分析技術の研究に没頭している。島津製作所の真髄について、彼はこう語る。

「こうした機械を使い、見えないものを見えるようにしよう。見えることによって何かに役立つ。それが私たちのやりがいでもあります」

島津製作所の創業者、島津源蔵はもともと京都の仏具職人だったが、文明開化と共に欧米から入ってきた「科学」に興味を持つ。140年前の1875年(明治8年)に会社を興すと、仏具加工の技術で科学実験教材を次々と国産化した。

その息子の2代目源蔵は、父親に輪をかけて科学に没頭した。日本で初めてのX線撮影に成功するなど事業分野を医療・分析機器へ広げ、「日本の十大発明家」にも選ばれている。現社長の中本晃氏も、大ヒット商品となった液体分析装置を開発したエンジニアだ。

「製品は、開発するだけでなく普及して世の中の役に立ってこそ価値が出る」

そう語る中本社長は、村上龍に「島津は、礎でありながら金儲けは下手」という評判を指摘されると、うれしそうに苦笑していた。

面白そうで世の中に役立つなら「やってみよう」という風土

明治初期に京都でベンチャーが起こった背景には、東京に首都が移った危機感があったようだ。島津製作所に続いてオムロンや村田製作所、京セラなどが生まれるなど、島津から刺激や影響を受けた成長企業は多い。

しかし売上高では京セラ1兆4千億円、オムロン7730億円に対し、島津は3075億円と大きく水をあけられている。この理由について、中本社長はこう説明した。

「京都には(島津の)協力企業が多い。そういうところに技術を惜しまず連携をとっているのが、(売り上げが大きく伸びない)元になっているのではないか」

番組では、島津製作所と浜松医科大学が共同開発し、がん治療に劇的な進歩をもたらすと期待される「iMスコープ」も紹介した。

世界で初めて形状と中身を同時に見て分析できる機械で、がん細胞の位置や形と同時に、薬がどこまで細胞に浸透しているかなどが一目瞭然になる。開発には、入社17年目の原田高宏さん(分析計測事業部)が10年の歳月を費やした。

機械の開発を依頼した浜松医大の瀬藤光利教授は、「いろんな会社に話を持って行ったが、島津製作所だけが真剣に一緒にやってくれた」と明かす。開発者の原田さんは、島津の社風をこう語った。

「島津は、そういう依頼を受ける会社。面白そうなもの世の中に役立つものだったら『やってみよう』という風土はある」

「島津なくして放射線医学の発展はなかった」

顧客のニーズに応じた調整をするため、ほとんどの製品を国内で手作りし、膨大な開発費がかかっても世の中の役に立つとなれば挑戦を惜しまない。自社の売上金額だけにこだわるならできなかった画期的な技術の発明も多い。

日本医科大学放射線医学教室の汲田伸一郎主任教授も、「島津なくしては放射線医学の発展はなかったかもしれない」と語っていた。

村上龍が編集後記に書いた、「島津製作所が、もし短期的な金儲けに走っていたら、日本を代表する京都の企業群は誕生していないかも知れない」という言葉に深く納得した。(ライター:okei)

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