2015年03月01日 12:21 弁護士ドットコム
殺人犯とはどんな人間なのか――。筆者は「傍聴ライター」として長年、多くの犯罪者たちを法廷でみつめてきたが、多くの被告人は、テレビドラマのように犯罪者然とした雰囲気を醸しているわけではない。
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2009年に世間を騒がせた「松戸女子大生殺害放火事件」の犯人もそうだった。法廷では「気の小さそうな、頭の薄いおじさん」と見えた男が犯した凶悪な事件。その裁判を傍聴した私は、彼がどんな人間なのかを確かめたくて、面会や文通を重ねた。その男、竪山辰美(53)の裁判は今年2月上旬、最高裁が上告を棄却し、無期懲役の刑が確定することになった。
竪山とは、これまでに複数回、拘置施設で面会し、17通の手紙を受け取った。その一部をここで紹介したい。「出来れば菓子類か、甘味品等が良いです」と差し入れを要望したと思えば、女性の好みや自殺願望を吐露してくる。そんな甘えや弱さを、手紙の文章からのぞかせていた。凶悪犯の素顔は「ごく普通のおじさん」だった。(ライター・高橋ユキ)
最高裁判所第二小法廷(千葉勝美裁判長)は2月3日付で、東京高裁による無期懲役判決を支持する結論を出した。1審(千葉地裁)は裁判員裁判で審理され、被告人の竪山には死刑が言い渡されたが、2審で破棄されて無期懲役となっていた。一般人が審理に加わって出した判決を、プロの裁判官が覆した格好だ。
事件は2009年10月、千葉県松戸市の住宅街で起きた。竪山は、21歳の女子大生が住むマンションの部屋に侵入し、帰宅した女子大生に包丁を突きつけて現金とキャッシュカードを奪ったうえ、胸を刺すなどして殺害した。さらに、女子大生から奪ったキャッシュカードで現金を引き出したあと、マンションに舞い戻り、殺害現場に火を放って証拠隠滅をはかった。罪状は、強盗殺人や現住建造物等放火など多数にのぼる。
私は、この竪山と、2011年から2012年までに複数回、面会し、17通の手紙を受け取っている。その前に、千葉地裁で1審の公判も傍聴している。そこで気になったのは、女子大生殺害事件の前後の竪山の行動だ。
竪山は殺害事件を起こす前月の2009年9月1日に刑務所を出たばかりだった。1審の検察側冒頭陳述によれば、そのときは、刑務所での作業報奨金など合計46万円の所持金があった。その後、上京して、サウナやネットカフェに宿泊して過ごした。
だが、3日後の9月4日にはキャバクラで15万円を使い、所持金が一気に減ってしまった。9月中旬にはさらに金が減り、空き巣を働き始める(これらは起訴されていないが、竪山曰く18万円ほど盗んだという)。ここから立て続けに強盗殺人を含む8件の事件を起こしたのだが、そのときの心情について、竪山の手紙には次のように書かれていた。
「裁判で傍聴されていたので知っていると思いますが、刑務所を出て所持金も少なくなり、職も見つからず犯罪を犯すしかない思いに至った時、自殺をしようとしましたが、失敗し、今考えれば色々な方法があった事に気が付きますがその時は考えられず後で怖くなり出来ませんでした」(原文ママ)
自殺か、犯罪か。堅山は逡巡したようだが、結局、犯罪を取り、9月半ばから11月半ばにかけて、以下の事件を立て続けに起こした(1審の判決文より)。
(1)9月16日 住居侵入、窃盗(被害者Aさん・男性・佐倉市)
(2)10月2~3日 住居侵入、強盗致傷(被害者Bさん・76歳女性・松戸市)
(3)10月6日 住居侵入、窃盗(被害者Cさん・男性・佐倉市)
(4)10月7日 住居侵入、強盗致傷(被害者Dさん・61歳女性・佐倉市。Dさんとその夫、娘Eさんと3人暮らし)
住居侵入、強盗致傷、強盗強姦、監禁、窃盗(被害者Eさん・31歳女性・佐倉市~成田市)
(5)10月20~22日 住居侵入、強盗殺人、窃盗、現住建造物等放火、死体損壊等(被害者Fさん・21歳女性・松戸市被害者方、JR松戸駅周辺ATM)
(6)10月31日 強盗致傷(被害者Gさん・22歳女性・印西市の病院駐車場)
(7)11月2日 住居侵入、強盗強姦未遂(被害者Hさん・30歳女性・印旛郡)
(8)11月13日 住居侵入、窃盗(被害者Iさん・男性・印旛郡)
こうして一連の犯行を見てみると、男性が被害者となっている事件は「住居侵入、窃盗」すなわち「空き巣」にとどまっているのに対して、相手が女性のときは「強盗致傷」や「強盗強姦」という暴力を伴うものになっていたことがわかる。その最たるものが、女子大生を殺害した事件だったのだ。
女性に対して凶悪な犯罪を繰り返していた竪山辰美とは、どんな男なのか。私は裁判所で公判を傍聴するだけでなく、彼が勾留されている施設を訪ねて、その実像を確かめてみようと考えた。
初めて千葉の拘置施設を訪れたのは、2011年の7月だった。千葉には拘置所がなく、竪山は刑務所内の拘置区に収容されていた。私の知る限り、裁判が続いている未決囚は、面会が1日1組に制限されているが、その日、竪山には別の面会の予定があった。また、事前に手紙を出さずにいきなり訪問したこともあり、私は面会を断られてしまった。
だが、古めかしい千葉の拘置施設の面会室にその旨を伝えに来た職員さんの後ろで、小さく背中を丸めている竪山の姿を見ることができた。竪山はドアの奥からこちらをのぞきながら会釈した。その見た目はいたって普通で、とても強盗殺人や強盗強姦といった凶悪犯罪を立て続けに起こした人間には見えなかった。法廷で見たのと同じく、気の小さそうな、頭の薄いおじさんだった。
その後、しばらくして拘置施設を訪れ、竪山との面会が実現したが、あえて事件に触れることはしなかった。いきなり本題に入るのを嫌がる被告人もいるからである。取材目的だと警戒されないよう、その日の天気や、自己紹介をかねた私自身の話など当たり障りのない話を心がけた。
8月のある暑い日の面会では「部屋が暑い」と言ったり、公判でいつも寝ていた裁判員の話をしたこともあった。公判では当然のことながら笑顔はなかったが、面会時には愛想もよく、ごく普通のおじさんに見えた。
一連の事件の裁判で、竪山は起訴事実をおおむね認めたが、強盗殺人については殺意を否認していた。弁護側の冒頭陳述では「被害者と包丁の奪い合いになり、もみ合いになった。そのはずみで、胸に包丁が刺さってしまった」と主張した。これは本当なのか、聞きたいのはそこだったが、本人はあまり語りたくないようだった。
17通の手紙の中でも、その点について言及した部分はごくわずかだ。そこには、こんなことが書かれていた。
「まず被害者がまったく身動きが出来ない状態で強固な殺意を持って力強く一気に刺したものであると言われた事です。(中略)事件当時に私自身パニックてしまい、頭の中が真白になり、あまり覚えていない状態であり、警察の誘導で調書を作成された部分もあり」(原文ママ)
私に送られてきた手紙の内容についていえば、多かったのはむしろ、事件とは直接関係のない話だ。たとえば、自分の「女性観」について、次のように記している。
「私は厚化粧や爪にネイルアートで、けばけばしい人は苦手で、そんな人とは相性が合わないのです。貴女がこのような人なら面会した時に直に何も話すことはないといって終えていたでしょう。お会いした時、何かインスピレーション的な感じを受けて、何か懐かしさを感じて以前から知り合いだったような気持ちになりました」(原文ママ)
「元嫁さんにも、いかにも化粧していますと、わかるような化粧はするなと、化粧しているか、していないか、わからないようなナチュラルな化粧をしていて欲しい、と言っていました。(中略)これが私の理想とする女性なのです」(原文ママ)
竪山は、清楚な女性を好んでいたようだ。一連の事件の合間に、何度もキャバクラに通っているところから見て、女性に癒しを求める性分なのかもしれない。しかし金目的の犯行の最中、被害女性の顔を殴るなどの行為も多く、若い女性であれば強姦も行った。
女子大生を殺害した後も、その傾向は変わらなかった。人を殺してしまったことがきっかけで、改心することもなかったのだ。
殺害事件から10日後には、再び、若い女性を襲っている。印西市の病院駐車場に停めていた車に乗ろうとしていた看護師の女性(22)の顔面を殴りつけ、ドライバーを首に押し当てた。「騒いだら殺すぞ。ココ刺したら死ぬと分かってんだろ」などと言って、結束バンドで後ろ手に縛り、車のキーの場所を聞き出そうとしたが、目撃者が騒いだため未遂に終わった。目撃者がいなかったら、最悪の事態になっていた可能性もある。
そのわずか2日後には、印旛郡の住宅に侵入し、台所から包丁を持ってきて住人の女性(30)を脅し、金を奪った。さらに、強姦までしようとしたが、女性が生理中だったため、未遂に終わった。検察側によれば、竪山は犯行の際に「騒ぐと殺すぞ、人を刺す感触は病み付きになるぞ」などと口にしたというが、松戸の強盗殺人の件を脅しの文句に使っていたことになる。
このように女性ばかりをターゲットにして危害を加え続けてきた竪山だが、そのことについて、手紙や面会で言及することはなかった。
その一方で、少し神経質ではないかと感じさせることもあった。私あての手紙の中で、差し入れ品について、こんな注文をつけてきたことがある。
「差し入れしてくれた食品に苦手な物は何もありませんでしたが、さんまの生姜煮を食べた後ゴミが直に出せないのでしばらく部屋に置いて置くので臭いが酷いでした。出来れば菓子類か、甘味品等が良いです」(原文ママ)
また、自己嫌悪から逃れたいと、自殺を図ったこともあるという。
「私としては被害者、被害者遺族そして自分で自分の馬鹿さかげんと無能な自分への怒り、そして運命を呪いたい気持ちと徹底的に自分自身に嫌悪感を味わい、自殺出来なかった悔しさ、憎しみ、恨みをどうしようもなく自分一人で悩み辛く苦しく逃避の方向へと向かって行きここの拘置所(千葉)でも自殺をしようとしましたが、途中で気を失ているところを職員さんに発見され失敗してしまいました」(原文ママ)
1審で死刑判決が出たあと、竪山も一時は死刑を覚悟していたようだが、結局、死刑は回避され、無期懲役となった。刑が決まったことを受け、凶悪な犯罪に走った自らのことをどう振り返っているのか。2審の東京高裁の判決前に受け取った手紙には、次のような述懐が書かれていた。
「刑務所の辛さ苦しさを充分わかっていたはずなのに、安易に犯罪に向かった自分が今でもわかりません」(手紙より)
私と交流のあった当時、竪山は1審の死刑判決を受け、死におびえていた。いまはどんな心境なのか。現在の竪山の思いを聞くことができるのであれば、ぜひ聞きたいと思っている。
【プロフィール】
高橋ユキ(ライター):1974年生まれ。プログラマーを経て、ライターに。中でも裁判傍聴が専門。2005年から傍聴仲間と「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。主な著書に「霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記」(霞っ子クラブ著/新潮社)、「木嶋佳苗 危険な愛の奥義」(高橋ユキ/徳間書店)など。好きな食べ物は氷。
(弁護士ドットコムニュース)