2015年03月01日 11:01 弁護士ドットコム
「路上駐車をする運転手が許せなかった」。そんな理由で、路上駐車した車に石で傷をつける行為を繰り返したとして、兵庫県警兵庫署は2月中旬、神戸市に住む無職男性(42)を器物損壊の容疑で送検した。同署の調べで、計32件(被害総額約740万円)の容疑が裏づけられたという。
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報道によると、男性は昨年6~11月、神戸市内の路上に停めてある車のドアに、石で傷をつけるなどの行為を繰り返した疑いがもたれている。男性は「路上駐車をする運転手が許せなかった。正義の味方として、社会的制裁を加えたかった」と話し、容疑を認めているという。
このニュースに対してネットでは「傷つけるのは酷い」という批判がある一方、「路上駐車している方が全面的に悪い」「気持ちは分かる」「邪魔な車は蹴りたくなる」と同情する声も見られた。迷惑な路上駐車に対して「社会的制裁を加えた」という男性の罪が軽くなることはないのだろうか。刑事事件にくわしい布施正樹弁護士に聞いた。
「裁判所が刑の重さを決める際には、被告人が犯行に至った動機も、判断要素の一つとされるのが一般的です」
布施弁護士はこのように切り出した。男性の言い分はどう判断されるのだろう。
「今回のケースで男性が述べている『路上駐車に憤慨した』という動機は、単なるいたずら心のような全く自分勝手な動機と比べれば、理解・共感できる部分もあります。したがって、男性に有利な事情として、はたらくものと言えます。
とはいえ、本人の語る動機が本当にそのとおりであったと、客観的に裏づけることは困難です。客観的な裏づけが得られない事情は、裁判で一応考慮されるとはいえ、あまり重要視されないでしょう」
本心かどうか不明だが、男性は「正義の味方として社会的制裁を加えたかった」とも話している。そもそも、一個人が「社会的制裁」を加えることが許されるのか?
「現在の法制度は、違法行為に対して刑罰を科す権限を『国家』に独占させています。一般の個人が、他者の身体や自由、財産などに制裁を加えることは許されません」
それはなぜなのか。
「人の正義感というのは往々にして偏りがちです。もし個人による私的制裁を認めてしまうと、制裁の対象となった人に不当あるいは過剰な損害を生じさせて、かえって社会の秩序を乱す結果になりかねないからです。
このような法の仕組みからしても、一個人の独断で『社会的制裁』を加える行為を正当化する余地は乏しいでしょう。
そういうわけで、男性の行為は、動機の面で情状酌量の余地がないわけではありませんが、それを理由に刑の重さが大きく変わる可能性は低いと思われます」
布施弁護士はこのように述べていた。
(弁護士ドットコムニュース)
【取材協力弁護士】
布施 正樹(ふせ・まさき)弁護士
横浜弁護士会所属、同会刑事弁護センター運営委員会委員。刑事弁護・少年事件に特に力を入れて取り組む一方、一般民事事件・家事事件等も手がける。現在、他士業と連携した無料メールマガジン( http://www.mag2.com/m/0001640642.html )を発行中。
事務所URL:http://bengoshi-loj.jimdo.com/