中東のイスラエルにも、日本が大好きな人たちがいます。ヴェレッド・フェルベルさんは、日本とイスラエル間のビジネスコンサルティング会社2社を経営しています。
日本との出会いは、偶然だったとか。国内の大学で経営学を学んだ後、1991年に友だち2人と1か月のアジア旅行へ出かけたときのこと。当初はタイとフィリピン、インドを旅する予定でしたが、タイに着くとすぐに「ぜひ日本に行くべきだ」と助言する人がいました。
そのまま日本へ飛んで、東京に2週間滞在。初めての日本では、まるで実家へ戻ったかのような印象を受けたそうです。人も食事も文化も、人々の尊厳も――。短期旅行を終えてイスラエルへ戻る時には、彼女は「必ず日本へ戻る」と決心していました。(文:夢野響子)
「日本との関係を一生続けられる仕事」を考えた
帰国後、両親に日本で勉強したいことを告げて、東京へ舞い戻ります。国際協力機構広尾センター(当時)で日本語を学んで修士を取得、1998年まで7年間滞在しました。日本はイスラエルと本当に違うところが多く、好奇心を刺激されたそうです。
イスラエルへ戻って日本との関係を一生続けられる仕事を考えた末、創設したのが日本とイスラエル間のビジネスの掛け渡しをするThe Asian Institute社です。
2000年当時、イスラエルには日本を知るビジネス関係者はほとんどいませんでした。しかし日本とイスラエル双方からの、相手を知りたいという気持ちの強さが強く印象に残っているといいます。みんな活気に満ちていました。
とはいえ日本のビジネスのやり方はイスラエルとはかなり違うので、経験なしに日本と取り引きすることは困難です。その一方で知識が元手なので、資本金がなくてもビジネスが始められる。そして、他に同じことをしている人は誰もいなかった時期の会社創設でした。
最初はテルアビブの自宅で仕事を始め、忙しくなると秘書を雇いました。現在は日本とイスラエル間のビジネスコンサルティング事業のほか翻訳サービスも行っており、日本語のほか中国語や韓国語の語学コースも開講しています。
夏休みに子ども向けに日本のマンガや寿司を紹介
彼女は夏休みには10歳から16歳までの子ども向けサマーコースを開講して、イスラエルで人気の日本のマンガを教えたり寿司を味わわせたり、日本文化を十分堪能させるまでに事業を拡大しました。毎年参加するリピーターの中には、彼女のふたりの息子も含まれています。
いまでは日本とのビジネス分野ではイスラエルで一番知られている会社ですが、ずばり成功の秘訣を聞くと、こう答えてくれました。
「同じことを続けることですね。過去5年間の日本経済の後退で、動きの速いイスラエルビジネス界は中国にフォーカスを移す傾向がありますが、私は大好きな日本一筋です」
これまでは事務的な仕事が多く、従業員はすべて女性でしたが、新たにセールス職に男性を採用しました。従業員のマネジメントで難しいこととしては、最近の若い世代に対する苦言を述べていました。
「残念ながら彼らは自主的に考えて行動しないし、すぐに新しいところへ乗り換えて長続きしません。一番長くいたのは(産休の1年を含めて)4年間いた女性でした」
子育てと事業とのやりくりは、どうしてきたのでしょうか。
「とにかく助けが必要です。助けなしには不可能です。うちは10年間ヘルパーがいましたが、これも長続きしないので何人か代わりました。やはり家の中で、フルタイムで料理をしたり、子どもの宿題を助けてくれたりする人が必要です。ただ私は事業主なので自分の時間を調整できますから、子どもの学校の行事など必要な時は参加できます」
女性であることは起業家として「もちろん得です」
起業家として女性であることは得でしょうか、損でしょうか。
「もちろん得です。私は女性でよかったと思っています。イスラエルの男性は紳士ですから、ビジネスの交渉でもとても気を使ってくれますし」
ヴェレッドさんに、若い女性たちに起業を勧めますかと尋ねたところ、「条件付きで」勧めると答えてくれました。
「個人の能力次第ですが、自分だけの分野を持っていて、他にライバル企業がなかったらやるべきです。ただし、自分の時間をマネージすることができない人には向きません。また、周囲に助けがあることは必須です」
1月に安倍首相がイスラエルを訪問し、ネタニヤフ首相夫妻が主催する夕食会が開催されましたが、彼女は両首相の協力体制を身近に感じることができて「大変感銘を受けた」そうです。彼女は今後も、同じように日本とイスラエルの2国間のビジネス開発に貢献し続けていきたいということです。
あわせてよみたい:イスラエルのサイテジック社に「先進的なサイバーセキュリティの考え方」を聞く