「職場の権力」を濫用したいじめや嫌がらせは、昨今では「パワーハラスメント(パワハラ)」という言葉で問題が顕在化しやすくなっている。それでも水面下では、いまだ表沙汰になっていない被害者が数多く存在していることだろう。
特に大学や研究所で行われる「アカデミックハラスメント(アカハラ)」は、閉鎖的な関係性の中で行われるため、被害者に大きなダメージを与えるにもかかわらず、研究員としての将来を考えて泣き寝入りしてしまうケースも少なくない。
しかし今回、勇気ある告発者のおかげで、ひとつのケースを明らかにすることができた。事件の舞台は、独立行政法人 日本原子力研究開発機構(本部:茨城県東海村)の量子ビーム応用研究センター。そこで起きていたのは、担当教授による学生への不正経理処理の強要と告発しようとした学生への脅迫、学位審査を盾にしたアカハラであった。(文:新田 龍 株式会社ヴィベアータ代表取締役、ブラック企業アナリスト)
研究室に招いてくれたはずの教授が、研究を妨害
量子ビーム応用研究センターは、X線等の放射光を利用した最先端の計測技術を開発する研究機関だ。告発者のA氏は会社員時代に同機構で若手研究者を募集していることを知り、博士号の取得も兼ねて2011年4月からB博士と共同研究を始めた。
B博士は同センターの研究主幹で、研究グループリーダーも務める理学博士。専門分野はA氏のT大学院での研究と関連性が強く、A氏は「B博士の強い招き」で勤務先を辞める決断をしたと当時を振り返る。
しかし、事態は思わぬ方向に動いた。入所直前の3月11日に、東日本大震災が発生したのだ。福島県で原発事故が発生し、震災復興予算が増額される中で、研究所への若手研究者受け入れを支援する研究費が大幅に削減されてしまった。
それでもB博士は、当初「震災のことは関係ないから好きな研究をやっていいよ」とA氏を励まし、A氏も研究に熱心に取り組んだ。さらにA氏にとある触媒関係の研究を任せ、「(研究を)うまくやったら待遇をよくできる」などと約束したという。
ところが研究を進めるうちに、B博士の態度が変化し始めた。A氏の研究サポートを一切行わなくなったばかりか、大型放射光施設「SPring-8」(兵庫県佐用町)に入る重要な手続きを告知しなかったり、触媒研究に必要なメタノールやメタンガスなどを突然「禁止薬物」と言い始めたりして、順調に進んでいたA氏の研究をすべて取り止めさせてしまった。
そしてB博士はA氏に「もうお金がつかないから○○大(A氏の母校)に帰ったほうがいいよ」と言った。A氏は「震災で予算の割り振りが変わってしまい、私を受け入れる金銭的なメリットがなくなったので追放を図ったのではないか」と振り返る。
出張費や装置修理費の「不正流用」を学生に強要
周囲に聞き取りをすると、B博士は以前から出張費や装置修理費を不正な方法で浮かせたうえ、独断で使いこんでいたようだ。上司や事務方も困惑していたが、教授という「聖域」を盾にするB博士を注意してやめさせることができなかった。
研究室のある学生は、「△△大学(学生の母校)に行くなら、ついでに(B博士に関係する)東北や北海道の学会に行ってこい」と強要された。本部の予算を流用して学会に行かせ、B博士の予算を浮かせるためだ。
またある学生は、B博士から装置の故障を偽装して研究資金の不正利用をするよう強要され、良心の呵責に耐えかねて体調を崩してしまった。
「C君、悪いけどC君が壊したことにさせてください。卒業が近いので、保険を使うのはこれが最初で最後でしょう。それでC君の名義を貸してほしいです。保険金の申請書類をもらってきてください」(実際のメールの文面より)
A氏や他の学生たちは、不正行為を何度か止めようとしたが、要求を断ろうとすると、B博士の研究室に閉じ込められ、数時間かけて圧迫的な要求を繰り返された。そうして浮かせた経費がどういう用途で使われていたのかは分かっていない。
このほか実際に見聞きした人物の証言によると、B博士はこんなことを口走っていた。
「私が(センターに)いられなくなったら、爆弾を巻きつけて自爆してやろうかな?」
「毒ガスを撒いて、装置を使えなくしようかな?」
「(B博士をたしなめた上司を名指しして)俺の言うことを聞かないから、刺してやろうと思ったんだよね」
「この世界では怒鳴った方、ごねた方が勝つんだよ!」
自分への忠誠を求めて「次期計画で私のプランに乗らなかったら、福島に左遷されるぞ」などと脅したり、最近では「私がこの世界を救済する」「教祖である私がいないとやっぱりここはダメだな」などオカルトめいた発言をしたりするなどエスカレートしていった。
「君と同じことを言った人が自殺したんだけどな?」
同じころ、一部の学生たちがB博士の過去の論文に虚偽の疑いが濃い記載を発見し、検証実験と訂正の必要性を指摘した。しかしB博士は「検証は意味がない」と一蹴したうえ、指摘した学生に対し、
「君と同じことを言った人が自殺したんだけどな?」
「博士論文審査に出るが、そんなこと言っていいのかな?」
「君の論文がどうなるのか理解できないかな?」
といった脅しを行っている。耐え難い脅迫的な言動が続いたため、A氏がB博士の上長に相談したところ、B博士は「何で勝手にしゃべったんだ!」と激怒。
「私は何も間違えていない。マスコミでも弁護士でも、訴えられるなら訴えてみろ!」
といった反論を繰り返した。そのうえ周囲に対し「Aが仕事をしない、論文を書かない」「私を追い落とそうとしている」というあらぬ噂を吹聴していたという。
理不尽な妨害で研究や博士号取得が滞るおそれが生じたA氏は、怒りを通り越して悲しくなり、家族と相談してあらゆるリスクを覚悟した上で、上記の情報を筆者に提供した。
筆者は2014年12月に、一連の疑義についてB博士の上司などに取材依頼を行った。これを受けてセンターが内部調査に乗り出したところ、B博士は「誰が密告したんだ!」と怒鳴り、「バレたら関係者はみんな巻き添えだぞ!」と開き直ったそうだ。
しかしその後は観念したのか、筆者が直接B博士に取材を申し入れたところ、FAXにて以下のような回答を得られた。
「(A氏や被害者の学生に対して)十分な対応ができていなかったことを反省している。(一連の事件については)当方の上長に報告を上げており、今後、組織内におけるハラスメント関連の調査が行われるものと考えている」
いまだA氏に「直接の謝罪」はないが…
実際にB博士が上長に報告を上げているかどうかは確認できないが、告発者のA氏はB博士のアカハラをストップさせるという当初の目標が達成できたことに対し、筆者に感謝の気持ちを述べてくれた。しかしB博士から直接の謝罪はないという。
「新田さんには『反省している』というFAXを送ったようですが、私や同僚たちは無視されていて会話もない。できれば謝って欲しい気持ちはあるのですが、いまは日本原子力研究開発機構がいろいろと調査しているようなので、その結果を待ちたいと思います」
現在、A氏は「応急処置」としてB博士の上長付けで研究を続けている。一方でB博士は、他部署への「栄転」の打診を断り、研究設備に居残ってA氏などへの誹謗中傷を続けているそうだ。
指導や専門、学位などを隠れ蓑に行われる卑劣なアカハラが原因で、研究者や学生が心を病んでしまったり、自殺に至ったりする例は少なくない。幸いメンタルヘルスを崩しかけたA氏も、健康を取り戻して研究に戻ることができた。
今回のアカハラの背景には、発言の異常さから見ても、震災というパニックを契機としたB博士のメンタルヘルス不全などが存在する可能性も否定できない。また本来であれば、このような個別労働紛争は双方から事情を聞かないことには、事実関係が確定できずA氏との個人的な人間関係にすれちがいがなかったかどうかも確認できない。
しかし、現実にパワハラやアカハラに直面して悩み苦しむ人がおり、被害者が泣き寝入りすることも多い中で、メディアを背景に取材を申し入れることで今回のように被害の拡大を防げる場合もある。すべてのケースを記事化することはできないが、加害者をけん制するためにも、今後も引き続き取材調査を行っていきたい。
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