都内の金融系企業で働く30代のAさんは、毎朝の通勤ラッシュに悩まされている。利用している地下鉄の路線が、異常に混雑しているのだ。ピークをずらしたくても会社はセキュリティを理由に、始業30分前でないと事務所に入れてくれない。
ある日、恐れていたことが起きた。ラッシュ時のダイヤの乱れで、これ以上乗れないと思われる状況にもかかわらず、数多くの乗客が勢いよく乗ってきた。それに押されて倒れ掛かってきた別の乗客のひじが、Aさんのわき腹を強く打ちつけたのだ。
上司は「痛勤地獄はお前だけじゃない」というが
Aさんは何とか出社したものの、打った場所が痛くてしようがない。営業の合間に病院に行くと、レントゲン写真を撮られて「肋骨にヒビが入っています」と診断された。会社に戻って報告すると、上司は表情を曇らせた。
「おいおい、しっかりしてくれよ。お前、何年サラリーマンやってるんだ? 面倒だから労災なんか申請しないでくれよな。同じラッシュで通勤してるのは、お前だけじゃないんだから」
治療費もバカにならない、と思い悩んでいたAさんは、そこで初めて「労災申請」に思いが及んだ。確かに、同じ車両に乗っていてもケガをしていない人もいるし、通勤中は仕事をしていない。しかし、仕事のためだけに電車に乗っているのは確かだ。
こういうケガは、どういう扱いになるのか。職場の法律問題に詳しいアディーレ法律事務所の岩沙好幸弁護士に聞いてみた。
――通勤ラッシュで肋骨にヒビ…。想像しただけでも痛くなってしまいますね。Aさんのように通勤途中でケガをしてしまったという場合でも、一定の場合には労災と認められます。
労災申請ができる事故というと、どうしても勤務時間中の事故(業務災害)をイメージしがちですが、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」)では、通勤途中の事故(通勤災害)についても労災としての扱いが認められているのです。
ただし、少し注意が必要なのは、住居と就業先の往復の間であれば、どのような場合でも「通勤災害」と認められるわけではないということです。
合理的な経路および方法であれば「労災」
例えば、就業先からの帰宅途中であっても、寄り道先の居酒屋で転んでケガをしたような場合には、帰宅経路から外れていますので原則として「通勤災害」とは認められません。それでは、Aさんの場合はどうでしょうか。
労災保険法上の扱いとして、通勤とは(1)就業に関し、(2)住居と就業の場所との間を、(3)合理的な経路および方法により往復することとされ、さらに、(4)往復の経路を逸脱・中断した場合には、原則として通勤とは扱わないものとされています。
Aさんは、就業先に出勤する途中の電車内で事故に遭っていますので、就業に関し、住居と就業の場所との間で事故に遭ったことに間違いはありません。
また、会社のセキュリティ上の理由から、始業30分前でないと事務所に入ることができないとの事情がありますので、ラッシュの時間帯に通勤することもやむを得ないといえ、合理的な経路および方法での往復だったといえるでしょう。
そうすると、寄り道をしていたなどの事情もないAさんの場合は、労災保険法上の「通勤災害」として、労災と認められることになります。通勤途中での事故も就労と密接に関連する事故なので、通勤中は仕事をしていないからといって勤務先に遠慮することなく、労災の申請をすることをお勧めします。
【取材協力弁護士 プロフィール】
岩沙 好幸(いわさ よしゆき)
弁護士(東京弁護士会所属)。慶應義塾大学経済学部卒業、首都大学東京法科大学院修了。弁護士法人アディーレ法律事務所。パワハラ・不当解雇・残業代未払いなどのいわゆる「労働問題」を主に扱う。動物好きでフクロウを飼育中。近著に『ブラック企業に倍返しだ! 弁護士が教える正しい闘い方』(ファミマドットコム)。『弁護士 岩沙好幸の白黒つける労働ブログ』も更新中。頼れる労働トラブル解決なら≪http://www.adire-roudou.jp/≫
あわせてよみたい:不規則なシフト勤務の「健康リスク」