どうも、服部です。数回にわたって昭和初期の映像まとめをお送りしてきましたが、今回は久々に昭和30年代の日常をお伝えします。
※文中「 」でくくっている部分は、著者がナレーションを翻訳したものです。
この記事の完全版 (画像32点、動画1点)はこちら『TOKIO von 12 bis Mitternacht(真夜中の12の東京)』というタイトルのドイツ語の動画です。タイトルバックには、この年、1958年(昭和33年)に完成した東京タワーが映っています。
「地球半周ほど離れているヨーロッパから日本までは、以前なら船で月単位も掛かったものですが、現在は飛行機で40時間ほどで来ることができるようになりました」
この当時はまだヨーロッパと日本間の直行便はなく、1950年代は【南回りヨーロッパ線】と呼ばれた乗り継ぎルートが使われていました。エールフランス機が映っているので、パリ(フランス)-ベイルート(レバノン)-カラチ(パキスタン)-サイゴン(ベトナム/現ホーチミン)-東京(羽田)と経由してきたのかと思われます。
この1958年(昭和33年)に東京国際空港(羽田)がアメリカ軍から全面返還されたからなのか、空港にはたくさんの見物人が来ています。
戦後、日本人は【業務や視察、留学などの特定の認可し得る目的】(Wikipediaより)のない自由旅行をすることができず、観光目的の旅行ができるようになるのは1964年(昭和39年)になってからのことでした。そのためか空港ターミナル内には、現在のようにラフな格好をした人は見当たりません。
取材陣は空港を後にし、街へ出ます。街のいたるところでビルなどが建設されています。「先の大戦を終えてから、東京はどんどんと国際化してきています」とナレーション。
築地の魚市場で見学している女性が、どうやらこの動画の案内人のようです。
「ショッピング街である銀座です。映画館や大きなデパートが林立しています」。映像に映る映画館では、チャーリー・チャップリンが米国を追放された後に撮った1957年のイギリス映画『ニューヨークの王様』が上映されているようです。
築地にいた案内人の女性が、デパートの家電売り場にやってきました。ショーケース内にはカメラなどが並んでいます。
「ここ10年で、日本はカメラや電化製品の製造が盛んになってきており、さらに上昇傾向にあります」
そして、こちらが幻のテレビ(冒頭の画像)です。テレビの上に【魔法のピストル】と商品名が表示されています。
店員さんらしきから案内人が何やら渡されました。実はこれがリモコン、【魔法のピストル】です。テレビに向けてスイッチを押すと、先端がピカッと光ります。すると……、
回転式チャンネルが自動的に回り……なんと、テレビチャンネルが変わりました。話には聞いたことがありましたが、映像に残っているのは初めて見ました。なんと貴重な!
『これも何かの縁ですから・・・』というブログの『昔のテレビリモコンはこんなんですか?~魔法のピストル??』という記事に【魔法のピストル】の当時の広告記事が掲載されていましたので、興味のある方はぜひ見てみてください。
続いては新聞社の日常風景です。
路上に停まっている車。新聞社の車のようです。中では記者がトランシーバーのようなもので記事を読んでいます。
それを受信している速記者でしょうか。片耳に鉛筆を突っ込み、受話器で聞いた音声を書き殴っています。
場面は切り替わり、建物にハトが集まってきました。さらにハトは建物内へと入っていきます。
ハトが入っていった部屋に男性が入って来て、やや乱暴にハトを捕まえます。ハトを見てみると、なんと原稿がくくりつけられているようです。伝書バトが使われていたんですね。驚きです。
その後、手書きによる修正がなされ、写植機で打ち込まれ、新聞のできあがりです。まさか、ハトを使って新聞が書かれていたとは想像もしていなかったです。
【動画】TOKIO von 12 bis Mitternacht(真夜中の12の東京)いかがでしたか? 面白そうなところだけ切り取ってみましたが、実に興味深い動画でしたね。こんな動画がゴロゴロと転がっていると思うと、検索(創作)意欲がかき立てられます。では、また。
(服部淳@編集ライター、脚本家)