チームメイト同士の接戦では、シーズン中に幾度か、ふたりの波が交差する。同じマシンで競い合えば、波には精神戦の跡が色濃く表れる。パワーユニット元年――他を圧倒するメルセデスとて100%の信頼性を得るのは難しく、ふたりにはマシントラブルという非情な現実を呑み込んで消化する強い心も要求された。
最初の“交差"はモナコGP。ニコ・ロズベルグのコースオフによる黄旗でQ3のアタックラップを阻まれた際に抱いた不信感はルイス・ハミルトンの心に長く留まり、その結果、ハミルトンは自ら予選のペースを崩してしまった。母国イギリス、ウエット路面の変化を読み切れなかった失敗はレースで勝利したことによって払拭されたものの、ドイツ、ハンガリーではマシントラブルによってはるか後方からのスタートを強いられた。夏休み明けのスパではスタートで前に出ることに成功したものの、レコンブでの接触によってレースを失った。この時点で、選手権1位のロズベルグとの差は29ポイント。
しかしシーズンふたつ目の大きな転機、ハミルトンが精神的に上位に立ったきっかけはこのベルギーGPだ。チームもパドックも、大半が“接触の非はロズベルグにある"としてハミルトンを支持――冷静に対処する環境を得て、彼は失ったポイント以上に貴重な何かを獲得した。
「何年か前なら、今シーズンのように対処することはできなかったと思う。きっと、自分のためにはならない、他の考え方を選んでしまっていた。でも今年は数年前より成熟して、これから先の日々を考え、違うエリアに集中することができるようになった。(ベルギーGPに)続くレースには違うアプローチで臨むことが可能になった。具体的に何をしたか、説明するつもりはないよ。これからも活かしていこうと考えているから」
モンツァ以降は5連勝。その快進撃の具体的なメソッドを、ハミルトンはタイトル獲得の後も明かそうとしなかった。
今シーズンの彼は、まず、言葉でチームメイトを乱そうとする手段を控えるようになった。そして優位に立ったとわかると、さらに無口になった――勝利の喜びを語りながら、手の内はけっして明かさない“戦術"を身に着けたのだ。もちろん、そんなプレス対応は氷山の一角。チーム内においても彼が賢明に密かに、自分だけのレース戦略を築いていったことは結果が示している。
ハミルトンとは対照的に、ロズベルグは饒舌になった。勝てるマシンを手に入れた喜びと、持ち前のサービス精神と、自尊心。シーズン序盤、言葉によって自らがダメージを受けると、精神戦では言葉も意外と役に立つのだと気が付いた。
圧倒的なマシンを手にして認識したことはもうひとつ――今年のパワーユニットでチームメイトと戦う場合、作戦を違えることによってポジションを覆すのは不可能に近い。したがって、先手必勝。予選で前に立つことは必須。コーナーに入ってから器用に挙動を修正していく楽しみは控えて、ニコはより正確に洗練された予選の1ラップを走行するようになった。そのために、フリー走行では“自分のフィーリングに合ったセットアップ"を貪欲に探求し続けた。
予選のアタックを磨き続けたロズベルグにとっては、ポールポジションから首位を守るレースが勝利のパターン。しかし物事には何にでもコインの表と裏があるように、それはレース中の“不完全な"環境で凹凸を生んだ。ハミルトンはトラブルやミスで予選を失っても、レース中に必ず追い上げて勝負を挑んでくる。対するロズベルグは前のマシンから受ける乱気流やそれによるタイヤの性能低下に繊細で、長所/短所が同じマシンの後方に回ると抜けないパターンに入ってしまう。そこに陥る前に勝負をかけると、ベルギーやロシアのようなミスにつながった。
そんなチームメイトの悩みを見透かしたように、ハミルトンはレースのスタートにいっそうの力を注ぐようになった。日曜日のスタート時のコンディションにおける路面/タイヤと、クラッチ/トルクの関係。フォーメーションラップのスタートでデータエンジニアにテレメータ情報を送った後、彼はドライバーにしかわからない詳細なフィーリングを伝え続けた。クラッチの繋がり具合は? もう少しトルクが必要? あるいはあと少し滑らせるのが理想・・・? こうしてエンジニアとの仕事を進化させながら、アクセル操作とシフトアップのタイミングを最適化する経験値を積んだ結果、スタートで挽回できる可能性を広げていった。それに、乱気流のスパイラルに陥る前に一気に抜き去る生来の得意技があれば、予選の敗北も決定的な問題とはならなかった。
失意のUSGPの後、スタートからゴールまで首位を守り続けたロズベルグはハミルトンの連勝を阻止することに成功した――それがシーズン3度目の大きな転換期になったかどうかは、大きなプレッシャーを抱えてアブダビで走り始めるまで、本人たちにもわからない状態だった。
アブダビGPの週末には、そんなシーズンが集約された。1戦であっても、1シーズンを決定する戦い。金曜日のフリー走行を順調に走り始めたハミルトンと、どこか動きがぎこちないロズベルグ。しかし土曜の予選ではニコが完璧なフィーリングを得ることに成功して、まったく無駄のない美しいラップでポールポジションを獲得した。
ハミルトンにとっては、予選で負けたこと以上に“明日ですべてが決まる"事実が重くのしかかった。土曜の夕方の彼は、意外とリラックスして言葉数も少なくはなかった。きっと「まず、ありとあらゆるネガティブを想定したうえで、ポジティブな要素を注入していく」作業の最中だったのだ。辛くとも、それによって築いた(想像上の)ポジティブによってリラックスし、レースに挑むことが要になる。これまでの知識と経験から、それがタイトル決定戦に挑む最適な方法だとわかっていたとゴール後のハミルトンは説明した。07~08年、最終戦で力を発揮できなかった自分は未熟だったのだと今は思う。ロズベルグよりも、自分自身との戦いだった。スタートでトップに立てれば自分のレースをしよう。それが叶わなければ第1スティントは後ろを走りながら考えよう……
自力勝利が望めないロズベルグにとっては、ポールポジションだけでは足りなかった。ハミルトンを乱すため「ルイスがブラジルのようなミスを犯せば」「ウイリアムズが間に入ってくれれば」と、言葉の攻撃をしかけていった。誤算は、ハミルトンが外乱を完全にシャットアウトし、自らのスタートに集中していたこと――。
「クラッチを担当するエンジニアが、コースインの前に僕の部屋にやって来て『今日はどんなふうにアプローチしたい?』と訊いてくれた。『いつも以上でも以下でもなく、普段のとおりに』と、僕は答えていた。そうして僕らは、完璧なスポットを射止めることに成功した。人生で最高のスタートだった」――その瞬間にハミルトンは多くの選択肢を得て、ロズベルグが自ら“獲りに行く"チャンスはさらに小さくなった。
エネルギー回生システムのトラブルは、2位を走るロズベルグのチャンスを残酷に決定的に奪っていった。それでも、苛酷なシーズンを戦ってきた精神力が彼を清廉にした。ポジションを落としながら、レース終盤はもうタイトルの望みがゼロになったとわかっても「最後まで走りたい」と言ったのは、厳しくとも愛しい2014年シーズンを完結したかったから。「ルイスが正当に戦って勝利したのだから、僕自身のレースが結果を左右したわけではない」とトラブルを受け入れたのは、彼が最後の数週間、あるいは数時間で大きく成長したから。
メディアセンターでは、様々な言語で“きついなぁ"“残酷"という言葉が飛び交った。それなのに――みんなの心が祝福と落胆に二分されている間に、打ちひしがれているはずの本人が自ら進んで最終戦を祝祭の色に染めた。
F1を包む様々なネガティブ要素が噴出したシーズン。最後はドライバーという人間が政治や経済の問題を払拭し、F1が最高峰の、素晴らしい戦いであることを証明した。
初めてのタイトル争いに敗れたニコは、今シーズンの偉大な敗者。レースはやっぱり楽しい。人生は素晴らしい――そう教えてくれたドライバーたちは、F1ファン全員が誇りに思う、世界最高のスポーツ選手だ。
(今宮雅子)