2014年10月25日 21:31 弁護士ドットコム
受託収賄罪などで起訴され、刑事裁判の被告人となっている岐阜県美濃加茂市の藤井浩人市長が10月24日、名古屋地裁の法廷に立ち、被告人質問に答えた。検察側から資金管理のずさんさを追及されたが、「現金を受け取ったことはまったくない」と業者からの金銭授受をあらためて否定した。(ジャーナリスト/関口威人)
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藤井市長は、弁護側の質問にしたがって、警察の取り調べの様子を説明した。今年6月、愛知県警に任意同行を求められたとき、「席に着いた瞬間から机に書類をたたきつけられ、『さっさと認めろ』とどなりつけられた。それからはひたすら、同じことの繰り返しだった」と振り返った。
その後、刑事から「早く認めないと美濃加茂市を焼け野原にするぞ」と言われたという。その言葉については「支援者や関係者にどんどん捜査を広げていくという意味だと受け止めた。特に、議員との兼業で経営していた塾の教え子のところまで行くこともほのめかされ、つらかった」とした。
その塾にかかわる金の出し入れが、事件との関連で厳しく追及されたという。
贈賄側である名古屋市の浄水設備会社「水源」の中林正善社長は、昨年4月2日に美濃加茂市内のファミリーレストランで、市長に10万円を手渡したと、供述している。その2日後の4月4日、塾の口座に「9万5000円」の入金があった。
藤井市長は、この入金について、「塾生から集めた月謝を、塾の家賃の引き落としに合わせて振り込んだものだ」と取り調べ段階から主張していたが、刑事らは「そんなものはない」と取り合わなかった。検事も、取り調べの最後まで「認めるなら今しかない。あなたが認めなくても検察が立証して有罪になる。有罪のとき、お父さんはどんな気持ちになるか」と、警察官である父親を引き合いに出して、自白を迫ったという。
保釈後、市長の手元に戻ってきたパソコンで管理していた帳簿を見直すと、やはり月謝の集金はあった。4月の月初め、しかも年度初めだったため「年間維持費」や「教材費」などを普段の月よりも余分に受け取っていた。塾講師に支払うバイト代などを差し引いても、手元に10万円以上はあった。さらに、4月3日には前年の確定申告に対する国税の還付金約30万円が振り込まれていた。
「これは取り調べのときには忘れていたが、当時は自分としても当てにしていた。年度初めについては資金繰りに余裕があった」と藤井市長。
その後、4月30日には、やはり塾の口座に「8万6000円」の入金があった。検察側の主張によれば、名古屋市内の居酒屋で20万円の「現金受け渡し」があったとされる4月25日の5日後のことだ。
「(贈賄側の)中林からもらったんじゃないか」と公判で問う検察官に、藤井市長は「そういうことはない」と、これも否定した。
だが、ここで藤井市長の資金管理のずさんさが露呈する。実際の収入に比べて、税務署への確定申告で記載された収入が少ないと、検察官が指摘したのだ。
塾の月謝と議員報酬などを合わせると、当時月60~80万円ほどの収入があったはずだが、確定申告では月15万円ほどの収入で、赤字申告されていたという。
藤井市長は「そこまで少なかったかどうか覚えていないが、少なく申告している認識はあった」と認めた。「意図的ではない」としたが、収入を過小に偽って申告し、30万円余りの還付金を受け取ったことになる。公判後の記者会見では税理士と相談し、いずれ修正申告するつもりだと釈明した。
検察側が過少申告に注目したのは、藤井市長の「資金繰りの厳しさ」が賄賂を受け取った動機だと主張するためだ。だが、過少申告によって還付金を受けていたことは、資金に余裕を生み出すことにつながったとも考えられる。裁判長も「本件にどこまで関係があるのか」と、それ以上の検察の追及を制止する場面となった。
昨年の4月ごろといえば、前市長の病気療養に伴う辞意表明で、藤井氏の市長選出馬が突然降ってわいたころだ。もともと資金管理が甘かったところに、選挙関連の資金の出し入れが加わり、この時期に大きな混乱が生じていたことは否めない。
「選挙運動に際しては、選挙違反などを絶対に出さないという意味で、顔の見える市内のメンバーだけでやる方針にした」と、藤井市長は強調した。しかし、政策について相談していた名古屋市議秘書のT氏が選挙期間中、側面的な支援のため美濃加茂市内の旅館に滞在し、その宿泊費を中林社長が肩代わりしていたことなど、周辺の複雑な動きまでは把握できていなかった。
※下につづく・・・検察は市議会でのやり取りを追及
(弁護士ドットコムニュース)