2014年10月24日 10:41 弁護士ドットコム
ノーベル物理学賞に選ばれた米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授が、社員が発明した特許を「会社のもの」とする特許法改正案に「猛反対」を表明している。中村氏は、朝日新聞の取材に対し、「私の裁判を通じて(社員の待遇が)良くなってきたのに、大企業の言うことをきいて会社の帰属にするのは問題だ」と批判している。
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中村氏は2001年、発明の対価をめぐり、発明した当時に在籍していた「日亜化学工業」を相手取り提訴。2004年、一審で会社側に200億円もの支払いが命じられ、経済界に激震が走った。だが、翌年に東京高裁で和解が成立し、会社側の支払額は8億4000万円に減った。
これまで「発明の対価」を求めてきた中村氏がノーベル賞を受賞したことで、特許法改正の議論にどんな影響があるのだろうか。また、現在の改正論議をどう読み解けばいいのか。メーカーでのエンジニア経験をもち、知的財産権にくわしい岩永利彦弁護士に聞いた。
「中村氏の一連の裁判が『発明の対価』をめぐる議論に大きな影響を与えたことは確かです。現在の職務発明の規定である特許法35条は、2004年に大きく改正され、現行法の4項5項が加わりました。これは、対価の算定の明確化に関するものです。
2004年以前の職務発明をめぐる味の素事件やオリンパス事件、日立製作所事件といった一連の訴訟、そして、中村氏の裁判により、会社側が相次いで敗訴し、かつての従業員に高額の支払いをさせられたことが契機になっています」
では、今回の中村氏の受賞は、特許をめぐる動向に影響を与える可能性があるのだろうか。
「いいえ、ほぼゼロと思って良いでしょう。知的財産=特許制度は、技術=発明とは異なる純粋法的なものですし、受賞の理由となった研究は1980年代から1990年代初頭にかけてという昔の研究です。
ただし、訴訟リスクをあまりに恐れる企業関係者の中には、2004年法改正で退治したはずの、もはや存在しない亡霊に取り憑かれている方も多いようです。そのような方には、今回の受賞が再度の悪夢となって、法改正へのインセンティブとして強く働くことになるのかもしれません」
では、現在の法改正の流れをどうみればいいのだろうか。
「直近で報道されているように、『職務発明』が会社帰属となり、会社には従業員への報奨を義務化するような改正となった場合、どのような影響を与えるかを考えてみましょう。
今回の法改正の建前上の目的は、訴訟リスクの解消のようですから、従業員が報奨にいくら不満でも、原則として、これを訴訟で解決することはできなくなるはずです。さらに、報奨が十分かどうかということは将来の話のため、発明時点ではわかりません。そうすると、お金に不満があっても、その不満は他の方法で補うしかなくなります。
一方で、財産権としての特許は会社に帰属することになるようですから、従業員に残るのは主として名誉です。そうしますと、結局、今回の改正によって従業員が重視するようになるのは、発明者としての名誉になりそうです」
それでは、従業員は納得しないのではないか。
「特許出願へのインセンティブはかなり小さくなると思います。企業の特許出願は、代表取締役や知財部員が音頭をとって出願しているわけではありません。多くの場合、個々の発明者(従業員)が発明したから出願したい、ということが契機となって特許出願につながってきました。
ところが、特許出願したからと言って、得られる確実なものは『名誉』しかないとすると、特許庁の対応など、面倒なことが多い特許出願を積極的に行うことは考えにくい。同じ名誉をもらえるのであれば、論文の執筆のほうが良いということになるのではないでしょうか。今回のノーベル賞受賞の件でも、中村氏がきちんと論文を書いていたから受賞につながりました。
また、中村氏の国籍が既に米国になっていることにも注目です。今回の改正が実現すれば、さらに優秀な発明者は他国へ流出することでしょう」
会社側にとってはメリットが多いのだろうか。
「良いことばかりとは言えません。訴訟リスクが無くなるということは、訴訟に代わりうる程度のルールを内部できちんと整えたり、手続きを極めて厳格に行ったりしなければならなくなります。
今回の法改正の本音の目的は、会社内部で対価を算定する事務処理の煩雑さを解消することだといわれています。ですが、今回の改正案が成立すれば、原則として訴訟に代わるだけの手続きを要請されますので、事務処理の煩雑さは、従来の比ではないと思います。
会社側はこれまで、発明者ともめたときには、納得できないなら訴訟を起こせばよいと投げ出すことが可能でした。ところが、今回の法改正が成立すると、投げ出すことはできなくなるはずです」
企業にも従業員にもメリットがないのであれば、どうすべきなのか。
「2004年の改正前の規定に戻したほうがまだマシでしょう。そうなると、会社はどんぶり勘定で対価の算定をやれば済みます。会社の事務処理は非常に楽になります。他方、額に不満の発明者は、中村氏のように訴訟を起こせばよいのですから、白黒はっきりします。
加えて、日本の制度がそのような制度ということが知れ渡れば、優秀な技術者は日本を目指すのではないでしょうか。良い発明をすれば青天井で対価が得られます。
改正法の議論は、いよいよ特許庁から『改正法の規定の骨子』が発表されるような最終段階に来ています。しかし10年経ったら、また改正されるようなものであってはならないと思います。ですから、今回の受賞により、改正法の議論に注目が集まるのならば、非常に良いことだと思います」
岩永弁護士はこのように締めくくった。
(弁護士ドットコムニュース)
【取材協力弁護士】
岩永 利彦(いわなが・としひこ)弁護士
ネット等のIT系やモノ作り系の技術法務、知的財産権の問題に詳しい。
メーカーでのエンジニア、法務・知財部での弁理士を経て、弁護士登録した理系弁護士。著書「知財実務のセオリー」好評発売中。
事務所名:岩永総合法律事務所
事務所URL:http://www.iwanagalaw.jp/