メルセデス――というより、ルイス・ハミルトンの圧勝だった。
レース当日のコンディション、スタート直後の最初のブレーキングはドライバー全員にとって“未知の世界"である。そこで大勝負を仕掛けたニコ・ロズベルグと、リスクを冒さず冷静にアプローチしたハミルトン。思った以上に一瞬で、明暗ははっきりした。ロズベルグはオーバーテイクに成功しなかっただけでなく、大きくロックアップしてタイヤにフラットスポットを作り、すぐにピットインが必要になった。
その後、53周レースの52周を1セットのミディアムで走り切った彼のペースが示したとおり、ソチのコースではタイヤの摩耗も性能低下もほとんどなかった。耐久性は好材料のように映っても、そこには必ず“コインの裏"がある――オリンピックパークのレイアウトと舗装に対して、ミディアム/ソフトというアロケーションは硬すぎたのだ。長いストレートで冷えたフロントタイヤは、その先のブレーキングで簡単にロックする。
ハードブレーキでリズムをつかんでいくハミルトンは“フリー走行"という自由なセッションでトライ&エラーを繰り返して最短でその限界を探っていく。それだけに、今回は他のどのレースより、スタート直後のターン2では慎重になるべきだと把握していた。スリップストリームを活かしたチームメイトが隣に並んだ時点で、イン側のロズベルグのほうが先に減速しないとコーナーを曲がれないことも、万が一、彼がブレーキングを遅らせて前に出た場合には即座に姿勢を変えて出口重視のラインを取ればポジションを取り戻せることも、熟知していた。ポールポジションから発進するハミルトンは、精神的な意味でも視界が開けていた。
しかし、2位グリッドからスタートするロズベルグがここまで攻めたのは、グリッドからの出足とターン2のブレーキングがレースを支配するとわかっていたから。抜けないコース形状、性能低下しないタイヤ、通常より20km/h低く制限されたピットレーン速度。どれを取っても、1ストップのレースになることは明らかだったからだ。
リスクを冒して大きくポジションを落としたロズベルグに、エンジニアは「このセットで最後まで走ろう」と声をかける。圧倒的なパワーを活かして自在にセットアップを選択できたメルセデスのマシンには、それだけのグリップがあった。硬すぎるタイヤはダウンフォースで路面に接地し、その路面は特殊ポリマーを含むアスファルトによって高いグリップを発揮していた――1セットで52周という課題を背負いながら、アクセル操作を慎重にするだけで悩みだったオーバーステアが消えたことに、ニコはすぐ気づいたはずだ。スロットルの無駄なオン/オフがない分だけ、燃費に厳しいコースで攻めても燃料消費が問題になることはなかった。
そんな恩恵を受け取ったのは、独走で勝利したハミルトンも同じ。ただし、30周目まで2位を走行したバルテリ・ボッタスのウイリアムズにとって硬いタイヤは難物で、第1スティントのソフトでは「ピットインの数周前に突然リヤのグリップを失った」うえ、第2スティントで装着したミディアムは「ウォームアップするのにしっかり10周はかかった」と言う。ピットイン前には30秒以上後方にいたロズベルグが、タイヤ交換直後には真後ろに迫ってきたのだから、冷静なボッタスでも対応のしようがなかった。
ただし、31周目のターン2で(スタート直後と同じように)インから仕掛けたロズベルグには疑問符がつく。ボッタスは「彼がインサイド(右側)から来るなんて予想していなかった」と言う。「幸い、すぐに気づいて接触を避けることができたけれど」――ターン2出口でコース幅いっぱいまで左に寄せたメルセデスを守ったのは、コース外まで道を譲ったボッタスの危機回避能力だった。
メルセデスが圧倒的でも、ソチで注目を集めたのは予選Q3、最後のアタックの最終コーナーでオーバーランするまで攻め続けたボッタス――本人にとってはもちろん悔しい結果だが、見る者にとっては“敗れて悔いなし"の見事な戦いぶりだった。そして、母国ロシアで自己ベストの予選5位を記録したダニール・クビアト。
クビアトの魅力は、そのドライビングにある。F1デビューの今年は、コースを覚える素早さに誰もが圧倒された。本人は初コースを気にする様子もなく、訊かれて初めて「えっと、この後はここもあそこも……あ、知らないコースがほとんどだ」と笑う。シャープなターンインは何度見ても目が覚めるほど爽快で、ウエットのスパ(高速のプーオン!)でも鈴鹿でも、思いきり良くステアする“切りっぷり"に思わず息を呑んだ。それでもリヤがついてくるのは、4輪を手足のように感じ取って絶妙にコントロールしているからで、反射神経と正確な操作は天性の才能である。
ロシア生まれ、ドライバーとしてはイタリア育ちの20歳からは、いつも“走る喜び"が溢れている。セッション中のエンジニアとの会話からはもちろん、インタビューでも素直さが先に立って、真面目に話している様子自体が周りを笑顔にする。鈴鹿の土曜朝に突然、レッドブルへの昇格が発表されたときにも「びっくりした! まだ誰にも電話してないよ。だって予選があったから」
そんなクビアトが難しい予選の1ラップを完璧にまとめてトロロッソで5位のタイムを記録したのだから……誰もが彼のレースを楽しみにした。本人も「最低でも5位はキープしたい」と言うほど、マシンは好調だった。
しかし“先輩"ダニエル・リカルドも何度か経験したように、トロロッソで3列目からのスタートは容易ではない。フェラーリの2台に挟み撃ちにあったような状態でポジションを落とした後、さらに困難だったのはレース前半から「燃料セーブ」の指令を受けてしまったこと。マシンはバランスが良くドライバーはアタックしたいのにアクセルを戻さなければならず、チームメイトのジャン‐エリック・ベルニュとともにポジションを落として行った。レース中盤にはフォース・インディアとの攻防でタイヤにフラットスポットを作ってしまい、自らピットインを選んだが、それが最大の後悔とならないほど燃料セーブは大きな“トラブル"だった。トロロッソのマシンは、チームとルノーの計算よりはるかに多くのガソリンを消費してしまったのである。
結果は地味な14位。でも、心に残るのは“新人クビアト、ロシア初のグランプリで予選5位!"という快挙である。ちなみに、52周目に記録したベストラップはボッタス、ロズベルグ、ハミルトン、バトンに続いてやっぱり5位(!)。悔しさを想像すると、この先がさらに楽しみになる――ダニール・クビアトは、そんなドライバーでもある。
(今宮雅子)