元F1ドライバーとして知られるアンドレア・デ・チェザリス氏が、イタリアにてバイクの事故で亡くなった。享年55。
イタリアの報道によると、10月5日、チェザリスはローマで事故に遭い、ほぼ即死だったという。
チェザリスは1980年から1994年までF1に参戦。1980年はヨーロッパF2を戦い、第13戦カナダGPでアルファロメオからF1デビュー。1981年にマクラーレンで、初めてフルシーズンのシートを手にした。
しかし、勝利を挙げるには至らず、クラッシュが多いことから『壊し屋』の異名をとり、1シーズンでマクラーレンを離脱。1982年にはアルファロメオに復帰、その後はリジェ、ミナルディ、ブラバム、リアル、スクーデリア・イタリア、ジョーダン、ティレル、ザウバーと数多くのチームを渡り歩き、214戦にエントリーした。
1982年はロングビーチでキャリア唯一、当時最年少記録のポールポジションを獲得。1983年のベルギーではレースをリードし、ファステストラップを記録。ベルギーでは、1991年に新興チームのジョーダンで一時2位を走行するなど、速さを見せた。
1993年のティレルを最後にシートを失ったが、1994年に出場停止となったエディ・アーバインの代役としてジョーダンから出走。また、モナコGPで大事故に遭ったカール・ベンドリンガーの代役でザウバーのシートを得たが、F1でのキャリアは第14戦ヨーロッパGPが最後となった。
通算成績は表彰台5回、ドライバーズランキングのトップ10入り3回、ポールポジション1回、ベストリザルト2位。
記録以上に記憶に残り、『壊し屋』のイメージとは裏腹に長くF1界に独自のポジションを築いた愛されるキャラクターだった。