台風の影響を心配した昼下がりから、果てしない時間が流れたように感じた。夜のパドックでは撤収作業が進められ、ピットロードにはロシアGPに旅立つ機材のケースが並んでいる。
集まったファンの祈りが通じて、セーフティカー先導ながらレースは15時にスタート。強まる雨足にいったんは赤旗が提示されたものの、15時25分には再度セーフティカー先導で再開――9周終了時点で“本物の"スタートが実現してからは、多彩なオーバーテイクが灰色の空に包まれたサーキットを華やかにした。困難なコンディションで際立つドライバーのテクニックは、最後の赤旗が提示された16時56分まで、見る者を魅了した。
しかし表彰台に笑顔が溢れることはなかった。ファンの祝福に応えようと努めながらも、ジュール・ビアンキの容体を案じる3人のドライバーの表情は固く、シャンパンが振り撒かれることもなかった。セレモニーの後、いつもより長い時間を置いて記者会見場に姿を現した3人からは、表彰台で見せたかすかな柔らかさも消えていた――こんな状況でさえ、会見できちんと話す彼らはプロだ。でも、自分が話している瞬間以外、一点を見つめて動かない視線の先に会見場の風景はなかったに違いない。ルイス・ハミルトン、ニコ・ロズベルグが自分たちのレースを最小限の言葉で説明する間、セバスチャン・ベッテルは祈るように両手の指を組んでいた。
「セーフティカーが入って来た時点で、僕らはエイドリアン(スーティル)がターン7でコースアウトしたことは認識していたと思う。でももちろん、その後に何が起こったかはわからなかった……。ここは大好きなコースだし、こんなトリッキーなコンディションで表彰台に上がれたのは素敵だ。でも最終的には、それが大事なことだとは思えない。一番大切なのは、たぶん僕ら全員が同じだと思うけど、ジュールの容体だ……すぐにでも、何かいい報告が聞けることを僕らは祈っている」
会見を終えたベッテルはTV各局が待つ場所には向かわず「チャーリー(ホワイティング競技長)に会いたい」と、ピットビル内の道筋を訊ねて足早に去っていった。
ビアンキの容体に関して、非公式な(しかし信憑性の高い)情報はいくつかあるが、日曜夜の時点で大半のプレスが公式発表以上の報道を控えているのは、誰もがビアンキの尊厳を最優先しているからだ。
報道という意味でもっとも辛い立場に置かれたのは事故現場にいて救出作業を目にしたエイドリアン・スーティルで、F1ドライバーとして“公"の立場上、最小限の対応は行わなくてはならなかった――彼が事故の“物理的な"説明以外「ディテールには触れたくない」と説明したからこそ、ビアンキの尊厳を最優先するレース現場の倫理が保たれた。
スーティルがターン7でコースアウトしたのは16時47分。首位ハミルトンから1周遅れの41周目を走行しているときだった。ビアンキがスーティルの前、17位で同じポイントを通過した直後のことだ。そして42周目、ビアンキは1周前のスーティルとほぼ同じ地点でアクアプレーニングに見舞われコースアウトしたと説明されている。スーティルの場合はタイヤバリアが衝撃を吸収したのに対して、ビアンキのマシンはザウバーの撤去作業を行っていた重機の後部に衝突してしまった。
事故を回避できなかったのかと考えると、様々な意見が生まれる。スーティルがコースアウトした時点でセーフティカーが入るべきだった。重機がコースサイドまで出動すべきではなかった。ウェットコンディションでレースを行うべきではなかった。雨天で日照が乏しくなるならスタート時間を早めるべきだった。あるいは暗くなった時点でレースを終了すべきだった……。
しかし事故が重大になった理由には様々な要素が加担していて“犯人"を名指しすることはできない。事故現場ではイエローフラッグ2本が振られていた。スーティルのコースアウトの後、他のドライバー全員がこの地点を“無事に"通過して、最後にターン7に入ってきたのがスーティルの目の前を走行していたビアンキだった。雨足は強弱を繰り返していたものの、スーティルやビアンキを含めて過半数のドライバーがフルウェットではなくインターミディエイトを装着していた。完全な“フルウェット"のレンジでもなければ、F1マシンが走れない水の量でもなかったのに、スーティルやビアンキという優れた技量のドライバーでさえ、マシンはアクアプレーニングでコントロール不能に陥った。舗装も路面の傾斜も、鈴鹿は排水に優れたサーキットであるにもかかわらず。
何人かのドライバーが指摘しているとおり、日没前の鈴鹿で西の雲が厚くなれば思いがけないほどサーキットが暗くなったことだけは事実だ――晴天なら、路面が黄金色に輝く美しい時間帯でもある。
ハミルトンもロズベルグも、自分たちに関しては、インターミディエイトで走行することに問題はなかったと話した。最適なバランスを得ていたハミルトンは「同じペースで走行することができた」と言う。ラップタイムがそれを証明している。
ロジカルな説明を加えたのはロズベルグで「僕たちは他のドライバーよりかなり重いダウンフォースで走行していたけれど、その状態で少しだけ難しくなっていたから、ダウンフォースがずっと小さなマシンではフルウェットが必要な限界に達していたのかもしれない。僕自身はフルウェットに交換したドライバーがいると聞いて驚いたけれど」
ベッテルはニコの意見を支持して「ボーダーラインだった」と続けた。通常なら、インターミディエイト/フルウエットの境界がマシンによってこれほど異なることはない。しかし今回の鈴鹿では日曜の雨がほぼ確実であったため、レッドブルのように予選を犠牲にしても土曜から雨用のセットアップを採用したチームがあれば、通常のセットアップで挑んだチームもあった。もちろん、マシンがもともと備えた性質の差もある。
ベッテルは「総体的な問題は」と、一歩説明を進めた。「雨量が増えるとインターミディエイトはもう作動しないし、フルウエットにはすごく狭い作動領域しかなく、おそらく備えるべき排水効率も備えていない」———だから自分は最後のピットインでもインターからインターに交換したけれど、自分にとってはボーダーラインだった。もちろん、ニコが上手く説明したとおり、マシンが優れていればいるほど上手くいくけれど……。
慎重に時間をかけて考察すべき問題はいくつもあって、現時点でひとつの要素を批判したり、単純な“解決法"を探るべきではない。論争を展開すべきタイミングでもない。ひとりのドライバーが病院で必死で戦っているのだから――F1界もファンも、彼が無事に戻ってくることを真摯に祈ることが大切で、今はそれしかできない。
(今宮雅子)