「赤旗が出てレースが終了したので、本当の完走とは言えないけど、この難しいコンディションの中でも、目標通りしっかりと走り切れたことは良かった。でも、いまは(ジュール・)ビアンキのことが心配です」
そう言って、可夢偉は2年ぶりの日本GP決勝レースが私たちが思っている以上に厳しい状況の中で行われていたことを明かした。
「特に最初のセーフティカー先導でのスタートのときは、そのセーフティカーに付いて行くことさえ難しかったくらい路面コンディションがひどかった」
レースは2周したところで赤旗が出て中断。19番手でスタートした可夢偉は、チームメイトのマーカス・エリクソンがスピンしたため、18番手に上がってピットに戻ってきた。
約20分後にFIAが全車ウエットタイヤの装着を義務づける中、再びセーフティカー先導によってレースは再開。すると今度はフェルナンド・アロンソがマシントラブルでストップし、労せずして17番手へと上がる。その後、雨脚は弱まり、セーフティカーがピットへ帰還して10周目にリスタートされると、その2周後の11周目に可夢偉はピットインする。
「もう、そのころには路面コンディションは良くなっていたので、11周目にインターミディエイトに交換したら、思っていたほどタイムが上がらなくて少し苦しい走りになった」
そこで可夢偉は26周目に新品のインターミディエイトに交換。すると「かなりペースは戻ってきた」(可夢偉)という状態で、レース後半へと臨んでいった。
ところが、35周目をすぎたあたりから、雨脚が再び強くなる。そこで可夢偉はレースエンジニアに無線で「ピットインして、路面コンディションが変わったから、(ウエット)タイヤを履き替えたい」という希望を出す。ところが、レースエンジニアはその時点でコース上に、インターミディエイトを履いて走るドライバーがまだ多く残っていたため、まず「インターミディエイトに交換する」という指示をメカニックに出してしまう。しかし、直後にコース上でウエットタイヤを履くドライバーのペースのほうが良くなっていったため、すぐにレースエンジニアはメカニックに「ウエットタイヤ」と変更の指示を出すが、そのときにはすでにメカニックたちはインターミディエイトを運び出し、可夢偉もピットレーンを走行していたために間に合わず、インターミディエイトを装着させてピットアウトするしかなかった。
「コースに復帰したら、思っていたよりもグリップがないんで、『あれ、なんかおかしいな』と思っていたら、エンジニアから『ごめん、間違えた』って無線が入ってきたので、2周後にまたピットインしました。あのタイヤ付け間違いがなくて、その後、レースも赤旗で終了していなければ、セーフティカーラン明けのレース再開後は、ちょっと面白い展開になっていたかもしれなかっただけに残念。でも、難しい状況の中で生き残れたので、良しとしないと」
今回の完走で、可夢偉は2010年に初出場してから4度の日本GPをすべて完走したこととなった。12年のように表彰台に上がることもできなければ、ポイント争いにも加われなかったが、「今回が一番、きつかった」という可夢偉。その走りは、過去3度と比べても、決して遜色のない素晴らしいものだったことは、雨の中、可夢偉が目の前を通過するたびに応援旗を振り続けたファンは知っている。
(尾張正博)