外食不況が続く中、11期連続成長を続けているラーメン店がある。ハイデイ日高が運営する「熱烈中華食堂 日高屋」だ。首都圏を中心に約325店舗を展開し、年商は320億円にものぼる。
わずか5坪から始めたラーメン店を一大チェーンにまで成長させたのは、創業者の神田正氏(73歳)だ。2014年9月25日放送の「カンブリア宮殿」(テレビ東京)は、神田氏の波乱万丈の人生と、社員を大切にし「人情派」と呼ばれる経営手腕を紹介した。
「村一番の貧乏家」から東証一部上場企業へ
現在の埼玉県日高市に4人兄弟の長男として生まれた神田氏は、自称「村一番の貧乏家」に育った。父は戦争で負傷して働けず、母とともに中学時代からアルバイトをして家計を支えたという。
中学を卒業後すぐに就職するが、飽きっぽい性格で15もの職を転々。24歳でラーメン店のアルバイトを始めた時、客からその場ですぐに代金がもらえることに魅力を感じた。神田氏は「キャッシュフローがいいと、子どもながら見抜いちゃった」と当時を振り返る。
1973年、32歳で大宮駅前に「来来軒」を開店する。わずか5坪の店だったが、駅前の立地と、当時は珍しかった深夜営業が受けて大繁盛した。店舗のほとんどが駅前にあるのも、当時の経験から駅前の一等地にこだわっているためだ。
いまや東証一部上場企業に成長したが、社用車はなく、番組収録のスタジオには地下鉄で来たという。本社ビルが賃貸であることを、小池栄子に問いただされると、
「本社はお金を生まない。店にお金かけるのはいいけど」
無駄を嫌い、お客や従業員の金銭感覚から離れてしまうことを嫌っている。「貧乏の家に育った精神そのままで一生を終わりたい」と言う神田氏に、驚いた村上龍が「お金は何に使っているのですか」と質問すると、心情をこう明かす。
「欲しい物はない。使い方がわからない。(運転手つきのハイヤーを持つ)お金があったら従業員に分けた方がいい。一生懸命やってくれている人に少しでも分けてあげたいという気持ちが強い」
従業員と握手しながら「ありがとう」と繰り返す
その言葉どおり、617人の社員は会社に大切にされていると感じているようだ。入社31年目の丸山鉄夫さん(45)は、中学まで施設で育ち、15歳で入社。住み込みで働き、神田氏は「会長というよりお父さん」と話す。
「人柄も良くて、優しい言葉もかけてくれる。仕事は大変でしたが、温かみのある会社で、それで30年も続けられた」
経歴は問わず、出世の道も平等に開かれている。丸山さんも働きぶりが認められ、いまでは渋谷・港区エリアなどを統括する幹部社員となっている。
6600人いるパート・アルバイトを「フレンド社員」と呼び、ボーナスを年2回支給。フレンド社員の山崎智子さんは「日々やりがいにつながるように、会社側も考えてくれている。私たちも向上心を高めていかなければと思う」と話した。
さらに「フレンド社員感謝の集い」というイベントがあり、年数回に分けて全員を招待し慰労パーティーを行っている。神田氏はパーティーを催す理由をこう語る。
「20年も勤めてくれても、『ありがとう』も言えずに辞めてしまう、一度も会えないこともある。人として耐えられなかった」
従業員たちと握手しながら何度も「ありがとう」と繰り返す神田氏に、集まったフレンド社員は「他にこんな会社はない」「会長含め会社が、フレンド社員に感謝の気持ちをもっているのが伝わる」と喜んでいた。
「人の大切さ」を熟知するサービス業は強い
神田氏は駅前で小さなラーメン店を営んでいた頃、以前は弁当を持って出勤していた人たちが、雑誌を持って出勤するようになった様子を見て、「この人たちは必ず外食するようになる」と見抜いた。いまでも出店物件は自分で確認する、洞察力にすぐれた人物だ。
「こう言えば人はついてくる」という計算で。人情派をアピールしているのではないかと疑う向きもあるだろうが、従業員を大切にしている態度や行動を見れば、信じるしかない。
人手不足にあえぐ飲食サービス・宿泊業の業界は1年以内の離職率が3割を超えるというが、日高屋は11.1%と圧倒的に低い。人がいなければ成立しないサービス業で「人の大切さ」を熟知している経営者は強い、と改めて感じた。(ライター:okei)
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