2011年から2013年までシンガポールGPを3連勝していたセバスチャン・ベッテル。やはり、ここで現チャンピオンの強さが戻ってきた。2時間の市街地バトル、そして無線内容に制限がかけられた最初のレースをベッテルとチームはどう戦ったのか。レース中の交信と決勝後の言葉から探ってみよう。
「このタイヤを最後まで保たせろ」
「できるとは思えないよ」
2位を走るセバスチャン・ベッテルは、レースエンジニアのギヨーム・ロケリン(通称ロッキー)からの指示に弱気な態度を見せた。
31周目、セルジオ・ペレスのフロントウイング破損によるセーフティカー導入は、ベッテルにとって最悪のタイミングと言えた。その数周前のピットストップでアンダーカットを許したフェルナンド・アロンソを最後に逆転するため、ベッテルは最後にスーパーソフトを履いてプッシュする作戦を選ばざるをえなかったからだ。
スーパーソフトが保つのは、せいぜい12周程度。つまり、残り周回数がそこに達するまでピットストップは許されないのだ。
「(2度目の)ピットストップが遅すぎたせいでフェルナンドにポジションを奪われた。そこで僕らは戦略面で少し冒険をしてプライム(ソフトタイヤ)で行くことにしたんだ。セーフティカーが出ないのを願ってのことだったけど、その矢先に出てしまったんだから最悪だったね!」
セーフティカーによる事故処理が終わり、38周目のレース再開からフィニッシュまでは23周。ベッテルのタイヤは2位争いのライバルである僚友ダニエル・リカルドより2周、そしてアロンソより6周も古かった。ただでさえ今季これまでタイヤの扱いに苦労してきたベッテルが、リカルドよりも古いタイヤでポジションを守り切らなければならなくなった。
「できるだけこのタイヤでプッシュして、残り12周だけオプションで走ろうよ」
これまで何度も戦略の拙さでタイヤをダメにし、リカルドに先行を許してきた苦い経験が頭をよぎる。だからベッテルは古いタイヤで走り切るのではなく、最後にフレッシュなタイヤに履き替える作戦を採りたがったのだ。
しかし、セーフティカーで後続との差は詰まっている。ピットインに要する27秒を稼ぎ出すのは難しそうだった。
「後ろも何台か同じ(最後まで走り切る)戦略をやろうとしているんだ。ピットインしたら、かなりの台数を抜かなければならなくなる」
ロッキーに説得されるかたちで、ベッテルは作戦を受け入れた。だが、その時点では成功するか半信半疑だったという。
「後ろのみんなよりも古いタイヤで27秒のリードを作るのは難しいとわかっていたから、ベストな結果を手に入れるためには最後まで走り切るしかなかった。正直言って、僕はできるかどうか自信がなかった。その前のスティントの摩耗から考えるとね」
しかし、土曜夜の豪雨でグリーンになっていた路面は、レースが進むにつれて急激にコンディションが向上。タイヤの摩耗レートはそれに呼応して良くなっていったのだ。
「セバスチャン、さっきのスティントの摩耗はダニエルと同じだった。良い仕事をしているよ」
「ハミルトンはダニエルの前に戻ってくる。君は君のレースをしろ。彼は構わずに行かせろ」
ロッキーも無線でベッテルを勇気づけるように伝える。52周目に首位ルイス・ハミルトンがピットイン、ベッテルの後方でコースに戻りフレッシュタイヤの猛烈な勢いで追い上げてくる。ポジションを守ろうと無理なバトルをすれば、ベッテルのタイヤはたちまちダメになっていただろう。
ベッテルは54周目のバックストレートエンドで譲るつもりでいたが、ハミルトンはその前にスリップから抜け出して自力で抜いていった。
「僕にとってはあそこで彼と争ってもしょうがないし、彼と戦えるだけのタイヤがなかった。彼がどう動きたいのはわからなかったんだ。僕は彼に抜かせるため、次のコーナーでイン側にスペースを与えるつもりでいたんだけど、そこまで待てなかったみたいだね」
バーレーンでもカナダでもハンガリーでも、タイヤを保たせることができずに僚友に負けた。その屈辱をベッテルはついに晴らした。なんとかタイヤを保たせ、2位を守ったまま2時間のレースを走り切ったのだ。
「もうタイヤはまったく残っていないよ。やれるだけのことはすべてやった」
打ち上がる花火のなか、ベッテルは無線で言った。
「セーフティカーは考えられる最悪のタイミングで入ったんだ。だから、ステイアウトして、そのタイヤのまま最後まで走り切る作戦を狙うことにした。ものすごくギリギリの線だった。ダニエルとフェルナンドから激しいプレッシャーも受けたしね。でも、この2位は本当にうれしいよ──」
ドライバーの腕と集中力が問われる、F1で最もタフなサーキットで王者の腕が光った。
(米家峰起)