8月22日にキャリコネに寄稿した「『サービス残業で正社員に登用!』 派遣社員のエピソードは『成功例』なのか?」では、AllAboutに掲載された午堂登紀雄(ごどうときお)氏の「サービス残業でチャンスを掴む」という記事を取り上げました。
午堂氏は、ある派遣社員が「サービス残業」をして派遣先の上司を感激させ、正社員への登用を勝ち取ったというエピソードを紹介しつつ、
「凡人に限って『働いた分はもらうのが当たり前』『残業代が出ないなら働かない』『この金額だからサービスもここまで』という権利意識が強く、こうした先行投資ができないのです」
という主張を展開しています。(文:深大寺 翔)
サビ残で感激するのは「ケチで不正な輩」
しかし「残業代が出ないなら働かない」というのは、私にはどう見ても正しい考え方としか思えません。したがって私は上記の記事で、次のような指摘をしています。
「大げさに言えば派遣社員の(サービス残業で上司のゴキゲンを取る)行為は一種の『贈賄』であり、これを上司が肯定すれば正直者(定時で帰宅する派遣社員)がバカを見ることになる」(カッコ内は今回の補足)
これを受けて9月11日、午堂氏から「『サビ残』を活用してハッピーにつなげる金持ちの法則」という反論(?)のエントリーがあがりました。主旨は基本的に最初のエントリーと変わっておらず、
「人に認めてもらうには、正義や正論にしがみつくのではなく、感激を売るという先行投資が必要」
という考えを貫いています。しかし私は、「サービス残業程度で感激する」ような上司は「壊れた価値観の持ち主」と指摘したのであり、話が噛み合っていません。正直なところ、そのような上司を「ケチで不正な輩」とすら考えているのですが、午堂氏が、
「ルールを守ることが目的になっている」「人間の感情の機微への洞察に欠ける」「『そんな考え方はおかしい』と言う人は、部下を持ったことがない人か、人間心理を理解していない人のどちらかです」
としているのは、非論理的な反論だなという印象を持ちました。
有能な部下ほど 「不正な評価基準」に白ける
私は大手企業の会社員時に十数人の部下を持ち、4~5人の派遣社員を常時受け入れていたこともあります。しかし、彼らにサービス残業をさせたことは一切ありません。
部下というのは、「自分が評価されるために何をすべきか」を探ろうと、つねに上司の言動を観察し、聞き耳を立てています。不正な基準で評価しようものなら、自分も不正なことをしようとするか、あるいは有能な部下ほど白けて上司を見切って退職してしまいます。
不正で評価されようとする人が増えると、組織が乱れ、統制が取れなくなります。また、組織が成果でなく残業時間の長さを競うようになれば、生産性は落ちていきます。
このような状況を見聞きしているからこそ、「サービス残業をポジティブ評価することの危うさ」を身にしみて感じています。もちろん、人間ですから誰しも「感情の機微」があります。しかしこれを不正な形で刺激されることを、上司は頑として拒否しなければならないのです。
実際、「感情の機微」を言い訳に、企業内でどれだけのパワハラやゆがんだ評価が横行していることでしょうか。確かにそれはまぎれもなく日本企業の現状ではありますが、これをそのまま認めてよいとは私は思えません。
サビ残する部下を決して高評価すべきでない
午堂氏は今回の文章で、
「『人は自分の価値観や考え方とは違う主張に感情を揺さぶられたら、学習能力も低下する』というのが、今回の新たな発見」
と書かれていますが、これが私の批判に対する指摘だとすれば、まずはご自分の書かれたものもそれに当てはまっていないか、確認することをお勧めしておきましょう。
少なくとも読者は「サビ残で先行投資」みたいな卑屈な方法を、まともな組織で応用しようとすれば、手痛いしっぺ返しが来る可能性を認識すべきです。まともな同僚からは白い目で見られ、まともな上司からは冷めた目で見られてしまうリスクがあるのは、少し考えれば分かることです。
また、これを読むまで「サビ残してくれる部下を高評価するのは当然」と考えていた上司がいれば、それは自分の認識の甘さに気づくべきです。あなたに与えられた権限は、自分で思うよりも強大だったりします。その権限を行使する方向性次第で、組織は大きく変わることを慎重に見つめなおすべきです。
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