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入社条件は「キャンプ好き」 スノーピークの「感動品質を売る」経営戦略

2014年09月20日 18:40  キャリコネニュース

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2014年8月28日放送の「カンブリア宮殿」は、アウトドア人口が横ばいの中で、ここ10年は右肩上がりで年商41億円というV字回復を遂げた日本のアウトドアブランド「スノーピーク」の経営戦略に迫った。

新潟県三条市に本社を置く同社の二代目社長、山井太(とおる)氏は53歳。年間40泊はするという大のキャンプ好きだ。本社の目の前には、東京ドーム4個分の広大なオートキャンプ場が広がっている。彼は社員の前で、信条をこう語る。

「スノーピークの仕事の品質は、2つしかない。その基準は、ユーザーの笑顔があるかどうか、ユーザーから見て期待以上の品質があれば『感動品質』、なければ『失望品質』ということだ」

本社前のキャンプ場では華金に飲み会

本社前のキャンプ場では、キャンプはもちろん、スノーピーク商品をレンタルできたり、テントの張り方を教えてくれたりもする。社員が会議やアフターファイブにも使うこともあり、金曜日の午後5時にはテントの中でプライベートの飲み会が始まっていた。

ある男性社員は、「『やるぞ』と言うと、みんな『おー』と集まる感じですね」と楽しそうに笑っていた。この日は途中で雨が降り出したが、慣れた調子で雨対策に動き、引き続き宴が続いていた。

スノーピークの社員は、全員がキャンプ好きだ。入社の条件は「アウトドアが好きなこと」。山井社長は、これが他にはない自社の強みだと語る。

「一番うちが強いところは、自分たちがユーザーであること。キャンプのベテランじゃないとできない発想がある」

世界一小さいランタンや、折り畳み式の焚火台、何にでも挿せる丈夫なペグなど、他社が売っていないオリジナル商品を開発し、根強いファンを獲得している。スノーピーク製品だけで100万円以上かける男性も紹介されたが、このような熱烈ファンを「スノーピーカー」と呼ぶそうだ。

スノーピークの創業は1958年、山井社長の父親が、趣味が高じて登山用品と釣具を製造・販売する会社「山井幸雄商店」を興した。1986年に入社した山井氏は、市販の貧弱なテントに不満を持っており、コスト度外視で丈夫で雨漏りしないテントを開発した。

価格は16万8000円になってしまったが、100張も売れた。その瞬間、「チャレンジして、ユーザーとしてよいものをつくれば欲しいという人は必ずいる」と悟ったという。

流通はパートナーだが「真のお客様はユーザー」

しかし、常に順調だったわけではない。1993年をピークに業績が悪化、6年連続で減収となる。復活のきっかけとなったのは、1998年から行っているユーザーを招いたキャンプ大会「スノーピークウェイ」だ。

山井社長はお客とキャンプを共にし、「高い」「店の品揃えが悪い」という問題点を指摘され、問屋との取引を全廃、品質を落とさず値下げ。1000店舗以上あった販売先を正規特約店に絞り、250店舗に縮小した。現在は全国46店舗に社員を常駐させ、接客でも商品の良さを伝わりやすくしている。

これを機に見事にV字回復、海外にもファンが多く、17カ国に輸出し売り上げの35%を海外が占めている。村上龍の「問屋からの反発は」という問いに、山井社長は、ビジネスでは流通はパートナーだが、真のお客様はユーザーと話したと語る。

「我々はユーザーを幸せにすることに、焦点を合わせないといけない。今の流通の仕組みが、お客様を幸せにしていないのは明らか。それを変革しないといけない」

ユーザーの幸せだけでなく、スノーピークは地場産業を守りながら「質のいいオンリーワン製品」を、世に送り出している。地元の燕三条は、江戸時代から続く金属加工技術を持った町工場がある。それらの工場の仕事なしには、「スノーピークの商品の3分の2は作れない」と社長は明かす。

番組に映っていた社員は20~30代の若手が多く、スーツ姿の人も皆無。キャンプ場での飲み会や、店舗で働く様子からも、心からアウトドアが好きな人たちが会社を支えていることがよく分かる。珍しく趣味と実益が伴った仕事だと感じた。(ライター:okei)

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