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「中小企業が超絶ブラック」厳しすぎる昭和30年代の日常まとめ

2014年09月12日 16:00  gooランキング

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どうも、服部です。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の頃は本当に良い時代だったのか、当時のニュース映像で検証した前回記事『「生きていくの大変すぎ!」と驚愕する昭和30年代の日常まとめ2』や、前々回の『「これ本当に日本?」と驚く昭和30年代の日常まとめ』がたいへん好評をいただいたこともあり、引き続き昭和30年代の日常をまとめてみたいと思います。



●修学旅行も命懸け(昭和30年)


まずは、「楽しい修学旅行を」というタイトルのこの動画から。

この年(昭和30年)の5月17日、修学旅行生を乗せた東海道線に、発火性ペイントを積んだアメリカ軍トレーラーが衝突炎上し、33人の生徒が重軽傷を負ったのだそうです。上の画像は、焼失した同車内です。

さらに同日、福岡県柳川市では修学旅行のバスが突然火を噴き、29人が火傷を負ったのだそうです(動画には包帯を顔に巻いた子供たちが映し出されてますので閲覧注意)。

これらの事故を受けて、各学校では修学旅行中の事故に備えての避難訓練が実施されたのだそうで……北海道の学校では、実際のバスを使っての脱出訓練が、川崎市の学校では、廊下を電車内に見立てて訓練が行われました。

でも実際に修学旅行に出てみれば、列車の8人掛けの椅子だけでは足りず、通路にも生徒たちがビッシリ座る詰め込みぶり。避難訓練をしようが、これでは実際に事故が起きたら、なかなか逃げ出せそうにありません。

電車を下りれば、「となりのトトロ」でも登場するボンネットバスでクネクネ山道を上がっていきます。ガードレールがかなり低く、見ているだけでおっかない。しかし、動画で運転手さんのハンドルさばきを見るところ、結構スピードを出しているように見受けられます。

子供たちはスリルを楽しんで(または怖がって)はしゃいでますが……。安全よりも早く着くということが重要視されていたのでしょうか。到着する頃には、車酔いでグッタリしている子供たちの姿も。そりゃ酔いますって。

家で待っている親御さんたちは、修学旅行中は気が気じゃなかったことでしょうね。



●ブラックすぎる!?住み込み従業員たちの日常(昭和35年)

続いては、多くの昭和時代ニュースを提供してくれている静岡県庁より「働く若もの」というタイトルの動画です。

笑顔で電話に出る若い女性店員さん。受話器の中央にあるつまみを持って話しています。こんな持ち方をする電話機があったのですね。

坊主頭の店員さんは、いくつぐらいなのでしょう。かなり若く見えます。Wikipediaによると「昭和30年代~昭和40年代(当時)では、中卒者の高校進学率は半数程度」だったそうです。

動画に映るどの店員さんも素敵な笑顔で接客をしています。接客態度という面では、昔からレベルは高かったんですかね。

「だが、こうした明るい表情の裏に、お客さまには分からない苦労をたくさん抱えています」とナレーションが入ります。店員さんたちのハードな1日の紹介が始まります。

「午前5時半、彼らの1日が始まります」。ひゃっ!早い。前掛けをして、お店に向かいます。

フライパンを振る青年の後ろでは店主(?)が厳しい目で見ています。



彼らはどんな思いで毎日を過ごしていたのでしょうか。県民会館が県で働く青年たちの声を集めていました。

いわく、「朝、仲間たちと飛び起きて、1日働いて寝るまで、自分たちの時間はありません。1日中調理場やお店で休む暇もなく、立ち働かねばなりません。お店は午後11時に閉めますが、その後片付けがまたひと仕事なのです」

5時半に起きて、午後11時に店が終わってもまだ終わらない! しかも、1ヵ月に休めるのは2、3日(これは後に紹介されます)。労働環境が原因で精神を病んだり、過労死した人も少なからずいたのではないでしょうか。

午後11時40分です。やっと1日の仕事が終わり、みんなで銭湯に入りにいきます。これから朝起きるまでだけが休める時間となります。

寝床に就くのは、午前1時頃。4時間半しか寝る時間がありません。

「だが、一概に使用者たちが店員を酷使しているとは言い切れない」、とナレーションは提議します。「店主たちも同じように朝早くから夜遅くまで働いているのが大部分の商店の実体。そこに日本の貧しい中小企業の姿があるのです」。

うーん、右も左も分からない中学を出たばかりの青年らと、店主をやってるような大人とを同列で比べるのはどうかと思いますが。。。



そんな労働者が軽視される時代ではありましたが、彼らへ目を向けてくれる人たちもいました。

静岡市の若い人たちの集まり「よく学びよく遊ぶ会」(現在でいうボランティア団体のようなものでしょうか)の呼び掛けで、「住み込み店員さんたちと過ごす集い」というものが開かれました。会の人たちと店員さんらを乗せてバスは出発。

移動中はみんなで合唱です。富士山のふもとの「国立中央青年の家」というところに着くと、今度は広い体育館でフォークダンス。青春ですね。

最後は別れを惜しんでキャンドルサービス。普段のハードな日常から、ふとこんな1日を迎えたら、簡単にマインドコントロールにかかってしまいそう、などとつい余計な心配をしてしまいます。



一方でこの動画は、休日にどこにも行かずに街をブラブラしている青年たちには辛辣です。あまりにも辛辣なので、ほぼ全文掲載してみますと……。

「せっかくの休日に街をさまようたくさんの若い人たちがいます」

「ただ看板をボンヤリ眺めたり」
「朝から晩まで盛り場で暇を潰したり」
「あてもなくブラブラと可惜(あたら)青春を無意味に送っているのです」
「真の青少年対策への道はまだまだ全部解決されたとはいえないようです。この少年たちは、いったい何を求めているのでしょうか」

そこ!? こんなに身を粉にして働いているのに、休日ぐらい好きに過ごさせてあげてよ、と思わずツッコミたくなる結びでした。



いかがでしたか? 現代に生きる我々にはとっても興味深い昭和30年代、引き続き紹介していきたいと思います。

(服部淳@編集ライター脚本家)



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