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サルが写真家のカメラを奪って「自分撮り」 写真の「著作権」は誰のもの?

2014年08月26日 10:51  弁護士ドットコム

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いたずら好きのサルが自分自身を撮影した写真をめぐり、論争が起きている。報道によると、写真は英国人の写真家デービット・スレイター氏のカメラで撮影された。インドネシアの島を訪問していたスレイター氏のカメラを、好奇心旺盛なサルが奪い、シャッターを押しているうちに、アングルもピントも表情も、完璧な形で撮影された。


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この写真が著作権無料の写真を集めた「ウィキメディア・コモンズ」に登録されたため、スレイター氏が写真を削除するようにウィキメディアに要請。これに対し、ウィキメディアはサイト上で、「人間によって撮影された写真でない以上、誰にも著作権は帰属しない」と反論し、削除要請を拒否した。



結局、米国では、著作権局が8月19日、「動物や植物によって制作された作品を登録することはない」との見解を示したが、もし日本で論争が起こったとしたら、著作権は誰のものになるだろうか。また、著作権が「誰のものでもない」と判断された場合、その著作物はどのように扱われるのだろうか。著作権の法律問題にくわしい井奈波朋子弁護士に聞いた。



●人間の精神活動によるものでなければ、著作物ではない


「サルが人間のカメラを奪って、シャッターを押し始め、その過程で撮影した自撮り写真が著作物となるかどうか。結論から言えば、日本では、このような写真は著作権法で保護される著作物に該当しないでしょう」



このように井奈波弁護士は言う。なぜだろうか。



「日本の著作権法では、著作物とは『思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの』と定義しています(著作権法2条1項1号)。このように、著作物であるための要件の一つとして、『思想または感情』の創作的表現であることが必要となります」



つまり、サルには思想や感情がないということだろうか。



「はい。この『思想または感情』とは、人間の精神活動全般を指すと解釈されます。ですから、人間の精神活動に基づくことなく、撮影された写真は、『思想または感情』の創作的表現でなく、著作物とはなりません。



問題の写真は、サルが本能的に撮影したもので、写真家の精神活動によるものと認められません。そのため、著作物に該当せず、問題の写真に著作権は成立しないことになります」



●写真は「パブリック・ドメイン」にならざるをえない


なるほど、そもそも人間以外の動物には著作権はないということか。



「その通りです。今回のケースでは、撮影したサルに著作権があるかのような議論も見られます。



しかし、著作権も含め、権利の帰属主体つまり権利者になることができる者は、人間(場合によっては法人を含む)だけで、動物は権利者になれません。民法3条1項に『私権の享有は、出生に始まる』と規定されていて、人間であることが重要なのです」



とすると、たとえ同じことが日本で起こったとしても、ウィキメディア側の反論が正しいということになりそうだ。



「そうですね。結局、写真の著作権がサルに帰属することはありません。そして、写真家も、自分で撮影したわけでもなく、自分の手足のようにサルを利用して撮影させたものでもないので、自分の著作物であると主張することはできません。



そうすると、問題の写真は著作物でもなく、また、誰かに著作権が帰属するものでもないということになります。この場合、写真は公有(パブリック・ドメイン)になると考えざるを得ません。誰でも自由に使えることになります」



それにしても、このサルが撮影した写真は、完璧だった。このサルだけには、著作権を認めてあげたい気もする。


(弁護士ドットコムニュース)



【取材協力弁護士】
井奈波 朋子(いなば・ともこ)弁護士
出版・美術・音楽・ソフトウェアの分野をはじめとする著作権問題、商標権、ITなどの知的財産権や労働問題などの企業法務を中心に取り扱い、フランス法の調査、翻訳も得意としています。
事務所名:聖法律事務所
事務所URL:http://shou-law.com/