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シリア拘束中の湯川氏―ミリタリーショップ経営の過去などにネットでは戸惑いの声

2014年08月24日 13:31  おたくま経済新聞

おたくま経済新聞

シリア拘束中の湯川氏―ミリタリーショップ経営の過去などにネットでは戸惑いの声

 シリア北部で過激派「イスラム国」により、日本人男性の湯川遥菜氏とみられる人物が拘束された問題で、湯川氏の現在の職業が日本ではめずらしい「民間軍事会社」の経営者とあり、彼の前職には世間から関心が集まっていた。


 当初、湯川氏の前職は傭兵もしくは、どこかの軍隊などの経験がある「プロの兵士」と考える人が多かった。しかし、19日頃からネット上に「2005年頃まで千葉市美浜区にあった、ミリタリーショップの店長ではないか」という疑惑が浮上し、東スポの22日報道でそれが事実であると紹介されている。


【元の記事はこちら】


■ミリタリーショップ経営の過去


 湯川氏が経営していた店のホームページはアーカイブで現在も確認することができる。記載された情報によると2005年に事業譲渡されている。


 経営者の欄には現在知られる「湯川遥菜」という名前ではなく、「湯川正行」という名が記されている。そして、当時の写真も掲載されたままとなっているが、動画などで知られる今の顔とは大分印象が異なる。


 東スポの記事によると、生まれた時に父親から一字もらい「正行」と命名されたものの、事業譲渡後に字画が悪いなどの理由で父親も知らないうち改名していたそうだ。
また記事には、湯川氏の前職には警察官や自衛隊の職歴はないが、サバイバルゲームへの参加経験はあるかもしれないといった父親の証言も紹介されている。


 湯川氏の個人ブログには、2005年頃の出来事として「2005年頃、僕はある人に陥れられ全てを無くしてしまった。」と当時の状況が綴られており、2007年か2008年頃には自殺未遂をおこしたことも紹介されている。
また、ブログによると自殺未遂では一命を取り留めたものの、女性ホルモンが増えるという後遺症が残り、体が女性化してくる変化にしばらく苦しめられたことも綴られている。
東スポの記事では、湯川氏の父親が息子としばらくぶりに再会したとき、一瞬女性かと思ったという記述がある。現在の見た目はこうした自殺未遂の後遺症により、経営者時代と大分変わっているようである。


■前世は「川島芳子」


 湯川氏はブログで自分の前世を「川島芳子」と度々紹介している。
川島芳子は清朝の王女として1907年5月24日に誕生。8歳で日本の川島浪速の養女となり、17歳で起こした自殺未遂の後に、断髪し男装をするようになったと言われている。そして、終戦後には中国政府に漢奸として逮捕され、銃殺刑に……。


 自殺未遂の後に男装、自殺未遂の後に女性化……共通項があるからかは不明だが、湯川氏は川島芳子という人物に特に強い思い入れがあったようだ。


 2014年3月15日、川島芳子の命日直前に、湯川氏はブログにこんなことを綴っていた。


「今月、3月25日で僕の前世である清朝、第一四王女、顯㺭(愛新覺羅顯㺭)川島芳子の生涯が終わる年齢と同じ時期を迎える。不思議な感覚がある。」


 川島芳子は満40歳、数えなら42歳で亡くなっている。当時湯川氏は41歳、そしてブログによると今年4月のシリア訪問中に42歳の誕生日を迎えたことが報告されている。
川島芳子が辿った数奇な運命。彼女の人生に自分を重ねあわせ、彼は何を感じていたのだろうか……。


■シリアへの渡航は民間軍事会社としてのキャリアを積むため


 テレビなどの報道によると、湯川氏がシリアに渡航した理由には、「立ち上げたばかりの民間軍事会社のキャリアを積むため」という証言があるという。


 また湯川氏は現地で、紛争地という非常に危険な場で、民間軍事会社の名刺を出すという常識では考えにくい行動もあったとそうだ。
他にも、銃器を持つことは現地では=兵士と見なされる場合があるようで、にもかかわらず湯川氏が拘束された当時銃器を持っていたという情報には、“自殺行為に等しい”という意見も報じられている。


 こうした情報を踏まえ、ネット上には様々な意見が投稿されていた。「ドン・キホーテだと思っていたら、本当にドン・キホーテだった」、「どういった事情であれ無事帰ってきて欲しい」、「とにかく生きていて」、「プロの兵士じゃないだと!?」、「単なるミリヲタか?」、「ミリヲタから本物になりたかったんだろうか」……。無事を願う声が多く聞かれる一方、湯川氏は”プロの兵士”だと考えていた人が多かったためか同じぐらい戸惑いの声も聞かれている。


※画像は湯川遥菜氏Facebookのスクリーンショット。