2014年08月17日 14:31 弁護士ドットコム
女性器をテーマにした作品をつくって世に問うてきた芸術家「ろくでなし子」さんが7月中旬、警視庁に逮捕された事件は、社会に大きな波紋を広げた。自らの女性器をスキャンし、3Dプリンタで出力するためのデータを送信した行為が、「わいせつ電磁的記録媒体頒布罪」に該当するとされたのだが、起訴に至らぬまま釈放された。
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釈放後の記者会見で、ろくでなし子さんは「自分の性器を『わいせつ』だと思っていません」と述べ、犯罪行為はしていないと強調した。この発言を受けて、ネットでは「わいせつとは何か」の論争が起きた。「性器はわいせつだ」「芸術だからわいせつではない」と賛否両論が飛び交っている。
「わいせつ」をどうとらえるかは人それぞれだろうが、刑事事件として重要なのは、裁判所がわいせつについて、どう考えているのかという点だ。そこで、「わいせつ」の定義をめぐって争われた、3つの代表的な最高裁判例を振り返ってみよう。
チャタレイ事件は、イギリスの小説『チャタレイ夫人の恋人』を、1950年に日本で出版した出版社の社長と、小説を翻訳した翻訳家が「わいせつ物頒布罪」に問われた裁判だ。
もともと『チャタレイ夫人の恋人』は、イギリスの小説家D・H・ローレンスが1928年に発表した小説。戦傷により半身不随となった貴族の妻が、領地で森番をしている男と恋に落ちるという内容だ。当時としては露骨な性描写で、本国イギリスでも物議をかもした。
この裁判で示されたのが、次の「わいせつ3要件」という基準だ。
(1)いたずらに性欲を興奮または刺激すること
(2)普通人の正常な性的しゅう恥心を害すること
(3)善良な性的道義観念に反すること
この3要件の判断方法について、最高裁は、その時々の「社会通念」にしたがって、裁判官が行うとしている。
つまり、写真や小説が「わいせつ物」かどうかは、裁判官がこの3つの要件に当てはめて考えるということだ。
最高裁は1957年、『チャタレイ夫人の恋人』について、この基準に照らして「わいせつ」文書だと判断し、翻訳家と出版社社長を有罪とした。その後、『チャタレイ夫人の恋人』は問題の部分を伏字にして出版された。最高裁決定から約40年後の1996年、ようやく完訳版が新潮文庫として発行された。
この事件も、小説がわいせつ物にあたるかどうかが争点だった。
問題とされたのは、フランスの小説家マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』。修道院で育てられた敬虔な13歳の少女が、ある女性にそそのかされて、悪行と淫蕩の生涯を送るという内容だ。
こちらも、出版社社長と翻訳者が「わいせつ物頒布罪」で起訴され、最高裁で有罪が確定した。
最高裁はこの裁判で、先ほどのわいせつ3要件をふまえたうえで、さらに踏み込んで、「わいせつ」かどうかは一部の表現だけでなく、「文書全体との関連において判断されなければならない」と述べ、注目を集めた。
こちらは、出版社社長が、アメリカから日本に帰国する際に持っていた写真集が、東京税関から「輸入禁制品」の「風俗を害すべき図画」だと通知された事件だ。社長は、通知の取り消しと国家賠償を求めて、国を相手に裁判を起こした。
問題とされたのは、花やヌードのモノクロ写真で知られるアメリカの写真家ロバート・メイプルソープの作品集『MAPPLETHORPE』。その中には、男性の性器を正面から写した作品もあった。
なお、この裁判では「関税定率法」の規定が問題とされたが、この法律の「風俗を害すべき」というのは「刑法のわいせつと同じ意味だ」と考えられている。
最高裁判決は、写真集の作品について「いずれも性器そのものを強調し、その描写に重きを置く」写真だと認定する一方、次のような点を指摘した。
(1)メイプルソープは写真による現代美術の第一人者として、美術評論家から高い評価を得ていた。
(2)『MAPPLETHORPE』は、写真芸術や現代美術に高い関心を持つ者に購読、鑑賞されることを予定していた。
(3)写真集全体に対して、性器を写した写真の占める比重は低かった(384ページ中19ページ)。
最高裁は結局、写真集には「芸術性など性的刺激を緩和させる要素」が存在し、「写真集を全体としてみた」場合、「見る者の好色的興味に訴えるものと認めることは困難」として、この作品集を「風俗を害すべき図画ではない(わいせつではない)」と判断した。
特に有名な3つを紹介したが、わいせつをめぐる裁判は他にも多数存在する。「何がわいせつなのか」「どんなものを、なぜ規制すべきなのか」といった論点について考える際には、過去の裁判で示された判断が参考になるだろう。
(弁護士ドットコムニュース)