右フロントブレーキの破損によって終止符が打たれた、ルイス・ハミルトンの予選。母国イギリスで快勝を飾った後、選手権リードを目指して臨んだドイツGPで、大きな困難が待っていた。それでも土曜夕方のホッケンハイムで、ハミルトンの表情には絶望も不安も見当たらなかった。
「マシンが戻って来るまでダメージはわからないから、15位スタートになるのかピットスタートになるのか、いまは僕にもわからない。作戦なんてないし、アタックあるのみだ。身体は少し痛むけれど、こういう事故の後では普通のことだからね。明日は問題なく走れると確信している」
自動車レースを始めて以来、事故は何度も経験していると彼は説明した。ブレーキに問題が発生したマシンで不安はないのかと訊かれれば「レースに挑もうってときに、ブレーキだとかトラブルだとか考えるわけがない」と答えていた。後方から追い上げる戦いは楽ではないとわかっていても、スケールの大きなレースを謳歌しようという気概が表れた。
シルバーストンの予選6位は、自らの判断ミスが招いた結果だった。ホッケンハイムの予選16位は自らに非のないメカニカルトラブル。それでも、ハンデは今回のほうがはるかに大きい。日曜日の朝、ハミルトンにはギヤボックス交換による5グリッド降格が言い渡された。ブレーキディスクをブレンボ製からカーボンインダストリー製に換えたことに関しては“質量、慣性、機能が同等である"という理由で仕様変更とはされず、ピットスタートは免れた。
20位グリッドから、今回のプライムタイヤであるソフトを装着してスタートしたハミルトンは26周目に最初のタイヤ交換を行うまでに3位までポジションを上げた。大半のオーバーテイクはDRSゾーンであるパラボリカからヘアピン。13周目のヘアピンではダニエル・リカルド、キミ・ライコネンと並んで3ワイド……ライコネンとハミルトンが軽く接触した。
メルセデスの性能を考えれば、堅実なオーバーテイクを重ねていくことも可能だった。しかしハミルトンの攻撃モードは誰も抑えることができない。それは彼の魅力であると同時に、災いを呼ぶ両刃の剣でもある。
タイヤ交換後の30周目、ヘアピンでジェンソン・バトンのインに飛び込んだ際には、マクラーレンの右リヤに左フロントウイングを当てて翼端板を失った。それがタイヤの摩耗を早めたため、メルセデスは当初の2ストップ作戦を3ストップに変更――42周目にソフトからスーパーソフトに履き替えたハミルトンが急激にペースアップしたのは翼端板破損の影響がなかったからではなく、残り25周をスーパーソフト2セットで走行するというアグレッシブな作戦に移行しなければならなかったからだ。
2度目のピットでいったん5位にポジションを落としたハミルトンは、8秒以上前方にいたバルテリ・ボッタス、フェルナンド・アロンソ、セバスチャン・ベッテルのグループに追いつき、49周目のパラボリカではファステストを記録しながらアロンソをパス。50周目にエイドリアン・スーティルが最終コーナー出口で止まった際には、セーフティカーの可能性に賭けて3度目のピットを早め、ファステストを更新しながら再チャレンジ。最後の7周は2位ボッタスの真後ろから攻め続けた。
3位という結果は、ハミルトンにとって満足のいくものではなかったはずだ。パルクフェルメでマシンを降りると、彼はチームメイトに視線を向けることもなく車検場に進んだ……心のなかで笑みが浮かんだのはきっと、ドイツのファンから、勝利したニコ・ロズベルグに負けないくらいの祝福を送られた表彰台。選手権は16ポイント差に開いても、自分らしさを取り戻したハミルトンは良い意味で楽天的だ。
そんな先輩ドライバーとは対照的に、知的に堅実に自らのレースをコントロールしたボッタスが、オーストリア、イギリスに続いて3戦連続の表彰台。猛暑の予選で2位を獲得したラップも完璧なら、曇り空の下の67周もまったく綻びのないものだった。
ニコ・ロズベルグには届かない。でも、ハミルトンの追い上げは阻止してみせる。そんな強い意志が、レース前半から見て取れた。15周目にスーパーソフトからソフトに履き替えたボッタスは、ステイアウトして2位を走行していたハミルトンの1.6秒後方でコースに戻った。その後2~3周は間隔を詰めず相手の動きを見たウイリアムズだが、19周目の最終コーナーからは猛チャージ。DRSの権利を得て、20周目の1コーナー、2~3コーナーで急接近し、パラボリカでは間髪を入れずメルセデスを抜き去った――この20周目に1分21秒台のベストを記録した後、次の21周目には1分23周目までタイムを落としている点を見ても、ボッタスはマシンの長所とエネルギーの使い方をとても良く心得ている。
レース終盤、自分のソフトより10周もフレッシュなスーパーソフトを履いたハミルトンが迫って来ても、DRSゾーン手前の1コーナーや2~3コーナーだけでなく、すべてのコーナーの出口で早めに車体をまっすぐにして加速していくドライビングは冷静で、メルセデスに攻撃の機会を与えなかった。
スタート直後、1コーナーの事故を避けるため15位までポジションを落としたリカルドも、ドイツGPを引き締めた“主役"のひとり。DRSでライバルに接近してヘアピンに入った後、緩やかなターン7から鋭角のターン8にかけてオーバーテイクを創造していく技を見せた。
「今まで経験したなかでも最高に楽しいレース!」――リカルドにとっては、オーバーテイクに成功したとき以上に、58周目から62周目までのアロンソとの攻防が至福のときをもたらした。ボッタスがディフェンスしたハミルトンと同様、リカルドが5位を守るため戦った相手も“10周フレッシュなスーパーソフト"を履いたアロンソ……
59周目のコントロールラインでは、レッドブルとフェラーリの間隔は0.2秒。アロンソがDRSを作動させて迫るが、なかなか抜けない。ヘアピンではリカルドが右、アロンソが左。ターン8ではアロンソが右、リカルドが左。ターン9~10ではアロンソが左……巧みにエイペックスを抑えるリカルドと、コーナーのアウトからしかけるアロンソのラインは何度も交差した。ふたりの間の“聖域"は数センチ。最後は62周目のヘアピンで抜かれても「フェルナンドとなら最高の戦いができると思った」というリカルドが清々しい。
オーストリア、イギリスに続いて、ドライバーの技が光ったドイツ。ダウンフォースが削減されたF1では、こんな見事な接近戦が実現する。V6ターボの音は低くとも、コース上にはドライバーの気迫が溢れ出す。ホッケンハイムも、最高のレースになった。
(今宮雅子)