「運転する楽しさ」
子供の頃、年端も行かないのに実家にあるバイクやクルマの運転席に座って運転の真似事をしたことを覚えている人は多いだろう。実は、レーシングドライバーの原点はそこにある。つまり、運転に興味を持つこと、バイクやクルマに興味を持つこと。全ての原点はそこにあるということだ。
子供がバイクやクルマの運転席に座るということは、父親や母親がバイクやクルマを走らせる姿を見て、それらを動かすことへの欲求が自然に頭をもたげてくる結果である。そしてひとたびそれを経験すると、自分以外の力で移動できる驚き、それも自分の希望通りの方向へ進む喜び、次に想像も出来なかったスピードで動くことへの驚きという具合に、次第に感情は広がっていく。
本連載の講師・長谷見昌弘も例外ではない。長谷見の生家は青梅の生地屋。幼少期から実家にバイクやクルマがあり、長谷見も子供の頃から乗り回した。当時は14歳でバイクの免許が取得でき、長谷見は免許取得と同時にモトクロスなどの競技に参加した。長谷見の原点はここにあるのだが、早くからバイクやクルマに乗り始めたということ以外に、レーシングドライバーにとってもうひとつ大切な要素を備えていた。それが、競争が好きだということだ。長谷見の言葉を聞いてみよう。
「運転するのは何でも好きでした。タイヤがふたつでも4つでも3つでも構わない。それ以上に競争が好きでした。最初は参加するレースの格式なんか関係ない。小さなレースでも大きなレースでも、競い合って好成績を残すことが大切だと思ったんです」
この考えは、家族の支援という大切な事柄に結びつく。
「レースで好成績を出してトロフィーを持って帰るんですよ。小さなトロフィーでいいんです。それが度々だと、家族が『うちの息子は上手いのかな』と思うようになるんですね。それが続くと次第に家族も興味を持ち始め、レースを見に来てくれるようになる。そこでまたトップ集団を走る。そうすると協力者になってくれるんです。最初は反対していた家族もだんだんと応援してくれるようになる」
家族の理解というものが、レースをやりたい人にとれば不可欠の要素だと長谷見は言う。レースは危険なものだから、もしものことがあれば自分ひとりのことでは済まなくなる。家族の理解と協力を得て、まずその第一の壁を乗り越えることだ。
そして、家族の協力を得られるということは、もうひとつの重要な問題を解決できる可能性があるとうことでもある。それは、何を隠そう金銭的な負担である。バイクにしろクルマにしろ、レースをするにはお金がかかる。それは、機械を使うスポーツだから仕方がない。性能の良し悪しにかかわらず、相当の出費を覚悟しなくてはならない。それには家族の理解が無ければまず無理だ。
しかし、もうひとつ重要なことを忘れてはいけない。それは自分の才能を見極める力だ。幼い時期には無理かもしれないが、ある程度の年齢になると自分の才能はおおよそ見極められる。そこで、将来に希望がないと分かった時には、レースを続けることをきっぱりと諦める覚悟が必要だ。才能もないのにダラダラとレースに齧り付き、親を破産させた例は枚挙にいとまがない。
(赤井邦彦)