2014年07月16日 16:00 弁護士ドットコム
「全聾(ぜんろう)の作曲家」「現代のベートーベン」と呼ばれ、多くのクラシックファンの人気を集めていた佐村河内守さん。その地位は今年2月、音楽家の新垣隆さんが「ゴーストライターをつとめていた」と告白したことで、一気に暗転した。
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だが、そもそも、音大などで正規の音楽教育を受けたことのない佐村河内さんが、なぜ「現代のベートーベン」と称されるまでになったのか。新垣さんの作曲が素晴らしかったのが一因だとしても、それだけでは説明がつきにくいのだ。
佐村河内さんをスターダムに押し上げた原動力として、よく言及されるのが、2013年3月に放送されたNHKスペシャル「魂の旋律~音を失った作曲家~」だ。
この番組は、聴力を失った佐村河内さんが作曲のために苦闘する姿を描いたドキュメンタリーで、佐村河内さんが壁に頭を打ち付けるシーンなどが、強い印象を残した。だが、番組の一部が虚構だったことが判明し、番組を制作したNHKや担当ディレクターに非難が浴びせられた。
だが、NHKスペシャルとともに、「佐村河内神話」の形成に大きく寄与したマスメディアの作品があるという。それは、2007年11月に講談社から発売された佐村河内さんの自伝本「交響曲第1番」だ。
実は、佐村河内さんの代表曲とされた「交響曲第1番 HIROSHIMA」のCDが発売されたのは、2011年7月のこと。つまり、CDが発売される4年も前に「交響曲第1番」という名前の本が出版されていたのだ。
このことを問題にしたのは、今年6月に東京・阿佐ヶ谷で開かれた、佐村河内問題を検証するトークイベントの出席者たちだ。週刊文春で佐村河内さんを告発する記事を書いたノンフィクション作家の神山典士さんや、佐村河内さんと付き合いがあったというジャーナリストの塩田芳享さんが、7年前に発売された自伝本の果たした役割を解説した。
イベントのなかで、神山さんは「交響曲第1番」のCD発売前から同名の本が存在していたことを指摘。そのうえで、「こんな立派な本が講談社から自伝として出ていた。これがその後の『佐村河内守ブランド』をつくる大きなきっかけだったんじゃないかと思います」と語った。
一方、塩田さんは、佐村河内さんの自伝本の帯に記された「推薦文」に注目する。そこには、作家・五木寛之さんの名前で、次のような言葉が書かれていた。
「もし、現代に天才と呼べる芸術家がいるとすれば、その一人は、まちがいなく佐村河内守さんだろう」
「これがすべての原点です。これで、全部の企画が通ったんですよ。たとえば、なんでNスペが企画を通したかというと、すべてがここから始まっていった。五木寛之さんは、佐村河内さんが作ったと言われている曲を絶賛したらしい」
塩田さんはこのように話したうえで、「彼を最初にモンスターに仕上げた最初の部分というのは、五木寛之さんと講談社だ」と持論を展開していた。
(弁護士ドットコム トピックス)