「まだタイヤ的には余裕があったけど、アンダーカットして、2ストップ作戦で行くつもりでいた」という小林可夢偉の1回目のピットストップは、14周目。スーパーソフトからソフトにタイヤを履き替えて、ピットアウトした。
アンダーカットとは、順位を争っている相手より先にピットストップを済ませて、ポジションを守る、あるいは逆転するというタイヤのデグラデーション(劣化)が大きいピレリのワンメイクになってからの作戦である。この日、可夢偉が戦っていた相手は、ひとつ前の18番グリッドからスタートしていたジュール・ビアンキ(マルシャ)だった。
9周目にDRSを使用し、3コーナー手前でビアンキをオーバーテイクした可夢偉。チームはレース前に立てた作戦通りに2ストップでレースを戦おうとしていたため、少し早いがポジションをキープするために14周目に可夢偉をピットに呼んだ。
ところがピットアウトした後、可夢偉に驚くような無線が入る。それは「このタイヤで最後まで行く」というものだった。
ピレリによれば、ソフトで可能なロングランの最長周回数は45周前後だった。にもかかわらずケータハムのピットウォールは、ソフトタイヤで57周を走る作戦に変更したのである。可夢偉はタイヤを交換してから26周後の40周目に1分15秒274の自己ベストをマークした後、徐々にペースダウン。結果、56周目に同じ1ストップ作戦で走っていたビアンキにオーバーテイクされてしまう。
スタート前から1ストップ作戦を立てていたマルシャ陣営は、ソフトでビアンキをスタートさせ、1回目のピットストップを40周目まで引っ張っていた。14周+57周の可夢偉と、40周+31周のビアンキでは、同じ1ストップ作戦でも、レース後半のペースがまったく違うことになるのは、自明の理だった。
ビアンキの後塵を拝して16位に終わった可夢偉は、マシンを降りるなりチームのストラテジスト(戦略担当エンジニア)にその理由を尋ねた。すると、「俺は間違っていない」と自らの責任を認めようとしなかったという。
「今日はビアンキに勝てたと思う」と、悔しがる可夢偉。レース後、ビアンキの担当レースエンジニアで、ザウバー時代に可夢偉のレースエンジニアを務めていたフランチェスコ・ネンチに1ストップ作戦のことを尋ねると、「我々とはマシンの性能が違うケータハムが、1回ストップで来るとは思わなかった」と驚いていた。
ケータハムの判断は正しかったのか……。
(尾張正博/F1速報)