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レーシングドライバー山野哲也、上智大同窓生を代表し挨拶「まだ極めたい」

2014年05月26日 16:40  AUTOSPORT web

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上智大卒業生を代表し挨拶した山野哲也
三度のスーパーGT300クラス王者であり、昨年スーパーGTを“勇退”した山野哲也が、25日に上智大学の全学同窓会である“ソフィア会”の卒業25年を祝う『銀祝』の会に出席し、卒業生を代表して挨拶を行った。

 山野は1999年からJGTC全日本GT選手権に参戦し、2013年限りでGTを“勇退”するまで、15年間で12勝をマーク。また、2004年から2006年までの3年間は、3年間とも異なるマシンをドライブしながら、3年連続でGT300クラスチャンピオンを獲得する前人未踏の成績を残してきた。また、全日本ジムカーナでも23年間で92勝、15回の王座という驚異的な成績を残している。

 そんな山野は、1989年に上智大学を卒業し本田技研に入社。サラリーマンを続けながらモータースポーツ活動を行ってきたが、そのルーツは大学在学時に所属していた上智大体育会自動車部にある。山野は在学中、上智大学土田將雄学長から最優秀選手賞を授与されたこともあるという。

 上智大学では、その卒業年度に応じて金・ルビー・銀・銅と卒業から経過した年度により5月の最終日曜日に開催されるホームカミングデイで祝福されるが、今年で卒業25年にあたる“銀祝”となる1989年卒業生の中で、モータースポーツ界で華々しい成績を収めてきた山野が代表して挨拶を行った。

 ブラックのスーツに身を包んだ山野は、壇上に立ち「無類のクルマ好きだった私は、体育会自動車部に入部しました。『安全運転技術コンテスト』で優勝したことをきっかけに、ジムカーナというタイムトライアルレースをはじめました。4年生のとき、全日本学生ジムカーナ選手権で優勝しました。そして昭和63年12月、上智大学、土田学長から最優秀選手賞をいただきました。賞状はいまでも部屋に飾ってあります」と挨拶を行った。

「卒業後は本田技研工業に入社し、サラリーマンをしながら、週末はモータースポーツに夢中になりました。上智大学在学中に始めたジムカーナを、社会人になっても続けました。25歳の時に日本自動車連盟が公認する、JAF全日本ジムカーナ選手権で当時最年少でシリーズチャンピオンを獲得しました」

「31歳のとき、本田技研工業を退職し、プロの世界に入りました。常時1/1000秒を争っている非常に厳しい世界です。ジムカーナはもちろん、スーパーGTという世界的に有名なレースにも参戦するようになりました。そのスーパーGTでは15年間に12回の優勝をし、年間シリーズチャンピオンとしては2004年、2005年、2006年と3年連続で獲得することができました。この記録はおそらく永遠にやぶられることはないだろうと思います」

「またJAF全日本ジムカーナ選手権では23年間で92回の優勝、15回のシリーズチャンピオンという日本記録を樹立。48歳になった今もさらなる記録更新を狙っています。『極めたい』という思いが私の原点です。そのために努力を惜しまず、ひたすら技術を磨きます。上智大学在学中に日本一のタイトルを獲得することができたことは、その後の自分にとって、大きな自信となりました」

「これからの人生、まだまだ『極めたい』という原点を忘れずに、自分自身を進化させていきたいと思っています。自分のなかの情熱を形にしていく、その環境を与えてくれたのが上智大学です。ソフィアンズの一員であることを誇りに思い、感謝の気持ちを皆様にお伝えしつつ、私の挨拶とさせていただきます」

 モータースポーツという世界で多くの偉業を成し遂げてきた山野だが、同窓生を前にしっかりと大役を果たすと、さらなる“極み”に向け意気込みを新たにしていた。