19日、三度のF1ワールドチャンピオンに輝いたサー・ジャック・ブラバムが88歳で逝去したことを受けて、ブラバムが参戦した経験をもつインディ500の舞台であるインディアナポリス・モータースピードウェイ(IMS)は声明を発表。ブラバムの死を悼んだ。
ブラバムは2回目のワールドチャンピオンを獲得した翌年にあたる1961年、F1にミッドシップ革命を起こしたクーパー・クライマックスを持ち込みインディ500に初参戦。当時フロントエンジン車が主流だったインディ500において、流麗なリヤエンジン車を駆ったブラバムは9位でフィニッシュ。その後急速にインディでもリヤエンジン化が進んでいった。
その後も64年、69年、70年とインディ500参戦を続けたブラバムだが、優勝には手が届かなかった。しかし、その後もブラバムの息子たちがインディ500に挑戦。インディ500の長き歴史において重要な人物のひとりであるブラバムの逝去に、IMSは代表のジェイ・ダグラス・ボウルズによる声明を発表した。
「IMSを走るインディカーを見る度に、ジャック・ブラバムが持ち込み、61年に9位でフィニッシュしたリヤエンジンのクーパー・クライマックスT45をすべてのルーツに見ることができるだろう」
「ブラバムはIMSにリヤエンジン革命を起こし、インディ500で四度戦ったほか、自らデザインしたレーシングカーでインディ500を戦っている。我々の思いはブラバム家に捧げられる。特に、彼の息子であり、インディ500を戦ったジェフ・ブラバム、そして彼の孫であり、現在インディライツに参戦しているマシュー・ブラバムに対してだ」