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今も生き続ける、アイルトン・セナの想い

2014年05月05日 06:10  AUTOSPORT web

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セナの慈善事業への想いは、今も財団を通じて生き続けている
アイルトン・セナの人生は、1994年5月1日にイモラ・サーキットで途絶えてしまった。しかし、彼の意志は、今も受け継がれ、生き続けている。

 生前、セナの慈善家としての一面は、あまり知られてはいなかった。しかし、1990年にボローニャのモーターショーに出席した際の報酬のすべてを、恵まれない子供たちを救済する団体へ贈るように指示するなど、“隣人を助けたい”という想いを強く持っていた。このセナの意志を継いで設立されたのがアイルトン・セナ財団で、現在はアイルトンの姉であるヴィヴィアーニ・セナが代表を務めている。

 ヴィヴィアーニは、現役レーシングドライバーであるブルーノ・セナの母親でもある。実は彼女の夫(つまりブルーノの父親)も、アイルトンがこの世を去った翌年、アイルトンのバイクを修理工場から持ち帰る途中で交通事故に遭い、他界している。

「アイルトンには夢がありました。貧しい子供たちに可能性を与えたかったのです。そのことを、私たちは何度も話しました。ブラジルのあちこちの街で多くの通りを歩き、この国の現実を見せ付けられた時に……」

 ヴィヴィアーニはそう当時を振り返る。そしてその夢は、アイルトンの死後に現実へと変わり始める。アイルトン・セナ財団の創立である。

「アイルトンが逝ってしまった翌年、財団が創設された時には、私たちの救済プログラムの対象は2万人の子供たちでした。その後、信じられないような勢いで成長し、97年の終わりには30万人、今では50万人くらいの子供たちを救済しています」

 この財団はどのように活動しているのだろうか? ヴィヴィアーニは次のように説明してくれた。

「基本的な方針はひとつだけ。誰にでも可能性を与えるということです。支援を受けているすべての子供たちが、将来を築いていくための土台を提供しようとしているのです。私たちが関わっている子供たち全員が、幸せな人生を歩むというわけにはいかないでしょう。でも、すべての子供たちに可能性を与えたいのです。教育や医療を受ける機会も提供したい。ブラジルでは、残念ながら中等教育のレベルはかなり低いものです。ですが私たちは、ソーシャルテクノロジーという新しい方法を導入し、結果を出しています」

 アイルトン・セナ財団は、今もF1界との深い繋がりを持ち、多くのF1関係者が財団のオフィスに出入りしている。

「フランク・ウイリアムズ、ロン・デニス、アラン・プロストらは管財に携わり、我々の活動の計画や進行の決議にも参加しています。連絡も頻繁に取り合っていて、彼らは常に高い関心を保ち、重要な役割を果たしています」

 とはいえ、特にフランク・ウイリアムズは、アイルトンが亡くなった際にドライブしていたマシンのオーナーだ。彼との関係は、大丈夫なのだろうか?

「私は、フランクとはこの話をしません。彼はセナ財団の運営委員会に加わっているけど、そこでその話題が出ることはありません。わだかまりが生じるのは財団にとって良いことではありませんし、フランクだってあの事故で大きな打撃を受けているのは理解していますから。彼は、アイルトンを非常に高く評価していたので、チームに招き入れた途端にあのような形で失ってしまったことについて、深く傷ついているのです」

 とはいえ、ヴィヴィアーニは「真実を知りたい」と言う。

「事故の審議では、なぜコースアウトしたのかについては言及されませんでした。私たちは誰のことも責めるつもりはありませんが、真実が知りたかったのです。彼がミスをしたのではなく、マシンに何かが起こったということは分かっています。しかし、裁判では何ひとつ解明されませんでした。フランクやパトリック・ヘッドを有罪にしたいわけではなく、ただアイルトンが亡くなった理由を知りたいのです」

 アイルトン・セナと彼の家族には、ひとつの教訓がある。「望みを叶えるべく生きた人生は、あらゆる瞬間に価値があり、それは永遠に残る。それだけ生きるかよりも、いかに生きるか……それが大切なのだ」。その教訓の通り、アイルトン・セナの想いと意志は財団を通して生き続け、それを彼の姉が支えている。そして財団だけではなく、アイルトンの存在は、今も私たちの中に生き続けている。