ロランド・ラッツェンバーガーがグランプリ中の事故で命を落としてから20年が経過し、親しい友人だったジョニー・ハーバートが当時を振り返った。
オーストリア出身のラッツェンバーガーは、フォーミュラ・フォード、FF1600フェスティバル、イギリスF3、イギリスF3000を経て、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権、全日本F3000、全日本ツーリングカー選手権と日本のレースに1989年から1993年まで参戦した。
1994年にシムテックと契約し、F1に昇格。しかしその年の第3戦サンマリノGPの土曜予選、走行中にフロントウイングが脱落、ビルヌーブコーナーでコースオフしてクラッシュ、死亡した。
元F1ドライバーのハーバートはラッツェンバーガーとは互いにF1昇格前から友人関係にあった。
「F1の話をしたものだ。ふたりともF1参戦を目指していた。どのようなステップを踏むのかは分かっており、お互いに意見をぶつけあった」とハーバートは振り返った。
「(シムテックとの契約を)聞いた時には本当によかったと思った。彼がどれだけF1昇格を望んでいたのか、知っていたからね。ついにチャンスをつかむための支援を得られたんだ」
「彼に会った時、ハグして『やったな!』と言ったのを覚えている。彼は『君より少してこずったけどな!』と答えたよ」
1994年サンマリノGPでルーベンス・バリチェロが大クラッシュを喫した後、ふたりはそのアクシデントについて話をしたという。
「金曜にロランドと話した」とハーバート。
「互いに見たことを伝え、どれだけ激しい事故だったかを話した。『恐ろしい事故だった』と彼は言った。安全性の問題についてもう少ししっかり取り組むべきだと彼は言っていた」
土曜の予選で、ラッツェンバーガーの事故現場を通りかかった時のことをハーバートは忘れられないと述べた。
「(土曜の予選で)赤旗を見た。シムテックが事故に遭ったのが分かったけれど、どちらのマシンか分からなかった。減速して見てみると、彼がぐったりしていて、『なんてことだ』と思ったのを覚えている」
「(亡くなったと知り)本当に悲しかった。ニュースを聞いた後、ホテルに戻って少し泣いた」
翌日の日曜、アイルトン・セナが決勝中のクラッシュで死去した。ハーバートはセナとラッツェンバーガーの両方の葬儀に出席した数少ないドライバーのひとりだった。
「日曜に起きたことによってあの日(土曜)のことが完全に吹き飛んでしまった。だからこそ僕は両方の葬儀に参列したのだ。最後の敬意を表すために」
「F1で本格的に戦うチャンスを得られないまま連れ去られるなんて、本当に不公平だと思った」
「アイルトンはたくさんの功績を成し遂げているから、常に彼のことが思い起こされる」とハーバートが述べたとロイターが伝えている。
「ロランドはほとんど忘れられている。僕は人と話すとき、『アイルトンの週末』とは言わない。『アイルトンとロランドの週末』と言うようにしている。他の人にもそれを忘れてほしくない」
「彼は本当にいいヤツだった。F1ドライバーになるために必死に努力した。本当に素晴らしい男で、笑顔じゃない時がないぐらいだった。そういう人間を僕らは失ってしまったんだ」