3度F1タイトルを獲得したアイルトン・セナが死去して20年の節目を迎えるにあたり、多数の現役ドライバーたちが彼への思いを語った。
マクラーレンで3回王座に輝いたセナは、ウイリアムズに移籍した1994年、第3戦サンマリノGPの決勝中にコースアウトを喫してクラッシュ、命を落とした。
今年の5月1日はセナが亡くなってからちょうど20年となるため、多数の現役ドライバーたちがセナへの思いを語っている。
■ルイス・ハミルトン「セナの影響でドライバーになった」
子どものころ、彼の本やビデオはすべて持っていた。レースを始める前から、アイルトンは尊敬するドライバーだった。
彼の影響でドライバーになった。彼が亡くなった日……家族に感情を見せたくなかったから、静かな場所に行った。数日はとても辛かったよ。自分のヒーローが去って行ったわけだから。
本当に偉大な人物だ。彼のレースへのアプローチの仕方や走り方には、いまだに学べることがある。いつか彼のような走りができる人物として評価されたいと誰もが思う。僕にとって大好きなドライバーはいつだってアイルトンだった。(The Guardian)
■フェルナンド・アロンソ「子どものころ、女の子でなくセナの写真を飾っていた」
アイルトンからは刺激を受けたよ。当時スペインではF1が放映されていなかったけれど、ニュースでレースについて報道された時に見たのを覚えている。
教科書に飾っていたのは女の子の写真ではなく、アイルトンの写真だった。アイルトンの大きなポスターを持っていたし、最初のゴーカートはアイルトンのマクラーレンカラーに塗られていた。父も彼を好きだったんだ。
(彼が亡くなった時は)本当に悲しかった。残念ながら大きな意味を持つことになったこの日が近づいている。イモラで行われるイベントには出席するつもりだ。(The Guardian)
■セバスチャン・ベッテル「セナの死はF1にとって大きな損失」
僕の父はセナの大ファンだった。僕は1987年生まれだから、アイルトンのレースの最初のころは記憶にないんだ。彼に関する最初の記憶は、1991年に母国ブラジルGPで勝った時のことだ。彼はチェッカーフラッグを受けた後、疲弊し切っていた。
その後、僕は毎週のようにF1レースを見るようになった。子どもだった僕には、レーシングドライバーが事故に遭って命を落としたと知るのは辛いことだった。
彼の死はこのスポーツにとって大きな損失だった。残念ながら僕は彼と知り合うことはできなかった。彼は多くのレースで素晴らしい走りを見せた。信じられないほどの才能を持っていながら、謙虚で特別な人物だった。彼は自分自身をマシンに反映させているようだった。それによってより強くなり、人々に強い印象を残した。(Formula1.com)
■ジェンソン・バトン「カートのレース中に事故を知りショックだった」
当時僕はまだ14歳だったが、その週末、イタリアでカートのレースをしていた。そこでレースを始めたばかりだったから、ものすごくショックだった。イモラのニュースが入ってきてすぐにカートのイベントは終了となった。誰にとってもひどい一日だった。でも時にこういう悲劇がスポーツをいい方向に変えることがある。僕らの安全面に関して大きな影響をおよぼす出来事だった。(Daily Mail)
■ニコ・ヒュルケンベルグ「僕にとってのアイドル」
アイルトンは僕にとってアイドルだった。彼に負けまいとしていた大勢のドライバーたちにとってもそうだと思う。彼のオーラ、彼が体現するもの、F1への強い意志と献身、それは彼独特のものだった。彼は意志と献身を新たなレベルまで引き上げた。史上最も偉大なドライバーのひとりだ。(Formula1.com)
■ロマン・グロージャン「最初何が起きたのか分からなかった」
事故が起きたのは僕がF1を見始めた年かその次の年ぐらいだったと思う。あの日曜のことを今も覚えている。父と一緒にレースを見ていたが、何が起きたのか分からなかった。どうしてレースが長い間中断されたのか、理解できなかった。少し後になって、何があったのかを知った。
アイルトンはF1の一部だった。彼がアラン(・プロスト)と戦っているころに僕はF1を見始めた。彼らは素晴らしいドライバーだったし、最高の時代だった。(Crash.net)
■キミ・ライコネン「すべてのドライバーの指標となる存在」
セナの死はF1界においてとても悲しい出来事だった。
当時僕はまだ学校に通っていて子どもだったから、彼のことはあまり覚えていない。それでもあの日のことは記憶にしっかり残っている。彼は偉大なドライバーであり、その後のドライバーたちの指標となる存在だと思う。 (Ferrari)
■フェリペ・マッサ「ショックで1週間泣き暮らした」
セナはモータースポーツ全般に大きな影響を与えた人物だ。ブラジルでのF1発展に貢献し、ブラジルの人々が、国を代表するドライバーに常に参戦していてほしいと思うようになったのは彼の影響だ。
もちろん、彼が亡くなった日のことを覚えている。ブラジルのボツカツでレースを見ていた。クラッシュした後、彼が首を動かしたので、その時点ではそれほど大きな衝撃はなかった。あまり悪い状態には思えなかったんだ。でもその後、テレビに映らなくなり、そしてニュースが入ってきた。本当にショックだった。まるで国の一部を失ったかのようだった。1週間も泣き暮らしたよ。家でも学校でもね。
彼にはイリャベラ・ヨットクラブで会ったことがある。彼は女性を連れてレストランに来ていた。僕は8歳か9歳ぐらいだったかな。
お店の人に『セナだよ』と言われて、僕は他のふたりと一緒にペンと紙を持って行ってサインをお願いした。彼はノーと言った。
女性と一緒だったからなのかどうか分からない。理由ははっきりしない。でもその日は僕にとって辛い一日になった。彼は僕にとって神のような存在だったから動揺したんだ。すごく悲しかったよ。
その後、僕はF1ドライバーになり、大勢からサインを求められる。僕にはなかなか断れないんだ。特に相手が子どもだとね。急いでいる時など、難しい場合もあるけれど、できるだけファンを喜ばせたいと思っている。(Crash.net)
■ブルーノ・セナ「叔父を誇りに思う。ブラジルを心から愛していた」
アイルトンとの幸せな思い出を覚えておきたいといつも思っている。彼がどういう人物だったか、彼が何を象徴していたかを忘れないようにしている。自分の心の中には、悲劇的な面ではなく、そういうことをいつまでもとどめておきたい。
アイルトンという人物をとても誇りに思っている。彼は愛国者だった。それが大部分のブラジル人や国際的なスポーツ選手とは異なるところだ。彼は常に自分がブラジル人であることを誇りに思い、ブラジル人であることを示そうとしていた。ブラジルは貧富の差が激しいなど、多数の問題を抱えているため、彼のように考える人は多くはない。
僕とアイルトンのイメージを切り離すのは不可能だろう。それに僕自身、それを望んではいない。ある意味、僕はアイルトンに敬意を表してレースをしているんだ。もちろんレースを愛しているのは確かだけれど。僕のヘルメットを見るたびに人々がアイルトンのことを思い出しているのを知っている。これは僕のアイルトンへの敬意の表れなんだ。(Independent)