2014年04月24日 11:40 弁護士ドットコム
商船三井の大型船舶が4月19日、中国の上海海事法院(裁判所)によって、浙江省の港で差し押さえられた。戦時中の財産損失をめぐる裁判で、日本企業の資産が中国当局に差し押さえられるのは極めて異例のことだとして、波紋が広がっている。
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報道によると、ことの発端は80年近く前にさかのぼる。商船三井の前身の一つである海運会社が、1936年に中国の船会社から貨物船2隻を借りた。その翌年、日中戦争が勃発し、この2隻の船は日本政府により徴用されて消息不明になってしまったのだ。
その後、中国の船主の遺族が1988年、未払いの賃料など賠償を求めて提訴。2007年、上海海事法院は原告の訴えを認め、商船三井に対して、約29億円の賠償金を支払うよう命じた。商船三井は判決を不服として上訴したが、二審でも敗訴した。再審請求についても、最高人民法院(最高裁判所)により2010年12月に却下された。
船の差し押さえへの対応として、商船三井は、裁判所が決定した約29億円に金利分を加えた約40億円を、供託金という形で中国側に支払ったという。それを受けて、差し押さえが解除されたと報じられたが、そもそも今回の差し押さえをどう見るべきだろうか。中国法にくわしい森川伸吾弁護士に聞いた。
――今回の「差し押さえ」はどのような経緯で行われたのでしょうか?
「今回の差し押さえは、2010年8月6日に上海市高級人民法院が第二審として下した判決(以下「2010年判決」)にもとづく強制執行手続の一環として行われました。中国の民事訴訟は二審制のため、2010年判決は日本でいう『確定判決』と同様の効力を持ちます。
2010年判決では商船三井に対して約29億円の支払いが命じられましたが、商船三井は、この支払いを行いませんでした。そこで、商船三井が所有している船舶に対して『差し押さえ』がなされたのです」
――強制連行など戦時賠償をめぐる訴訟との関係は、どのように考えたらいいでしょうか?
「戦時中の日本企業による中国人強制連行をめぐる訴訟が今年3月、中国の人民法院によって受理されました。また最近、中国政府が『1972年の日中共同声明では民間や個人の請求権は放棄していない』という公式見解をまとめた、との報道もされています。
タイミングからいえば、今回の差し押さえは、この一連の流れにつながるものと理解できます。
『強制連行訴訟などの戦時賠償訴訟で日本企業が敗訴したら、このように財産に強制執行をかけるぞ』ということを日本側にアピールする政治的意図があるという理解も可能でしょう。
一方で、強制連行訴訟の提起を認めたこととの関係で、2010年判決の強制執行にストップをかけておく大義名分がなくなったということかもしれません。
なお、1972年の日中共同声明は、その規定文言だけみた場合には、企業や個人の請求権の放棄の有無が明確ではありません。そこで、日本側と中国側で日中共同声明について異なる解釈をする余地があり、それが上記の一連の事態の背景となっています」
――今回の「差し押さえ」をどのように評価すべきでしょうか?
「2010年判決にもとづいて、2011年12月には、商船三井に対して『執行通知』もなされています。この執行通知は、強制執行手続の最初の段階でなされるもので、『一定の期間内に履行をしなければ強制執行をする』ということを予告するものです。
そのようなことからすれば、本件の『差し押さえ』は唐突になされたというわけではありません。
今回の差し押さえは、2010年判決の単なる『執行』の問題だと考えるべきです。そして、外国船が寄港したタイミングで差し押さえをかけるということ自体は、日本を含む世界各国で普通に見られる現象です。
したがって、今回の差し押さえ自体について、日本政府や日本企業が非難するのは、理屈としてやや苦しいものがありそうです。もし非難するとしたら、2010年判決の内容自体を非難すべきでしょう」
(弁護士ドットコム トピックス)
【取材協力弁護士】
森川 伸吾(もりかわ・しんご)弁護士
1968年、愛知県名古屋市生まれ。93年に弁護士登録(東京護士会)。99年にニューヨーク大学ロースクール卒業、2000年に北京大学法学院卒業。東京を拠点に活動。得意案件は中国企業との契約や紛争処理など。中国法に関する数々の論文を発表。
事務所名:曾我法律事務所