2014年04月02日 19:40 弁護士ドットコム
児童が自殺した主な原因は、担任や校長の対応にある――。群馬県桐生市で2010年に小学6年の女子児童が自殺し、遺族が学校側に損害賠償を求めた裁判。前橋地裁は3月中旬、群馬県と桐生市に計450万円の賠償を命じる判決を下した。県と市は控訴した。
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報道によると、前橋地裁は、女児が学校でいじめを受けていたと認定したうえで、「学校が孤立感や絶望感を解消するために動いてくれず、生きる意義を見いだせない状況に陥った」と指摘。担任や校長がいじめた児童への指導といった具体的措置をとらず、「安全配慮義務を怠った」と判断したという。
今回、自殺の原因とされたのは「校長と担任の対応」だった。だが、判決で賠償を命じられたのは、校長や担任教諭ではなく、群馬県と桐生市だった。なぜ、県や市が賠償を命じられるのだろうか。児童の両親は直接、校長や担任に損害賠償を求めることはできないのだろうか。湯川二朗弁護士に聞いた。
「もし、こうした事件が私立の小学校で起きていたなら、学校はもちろんのこと、校長や担任も損害賠償請求の対象となります。
ところが、公立小学校となったとたん、県や市は責任を負うけれども、校長や担任は責任を負わないことになります。この違いが気になるのはわかります」
なぜそうなるのだろうか。
「その理由は、国家賠償法に書いてあります。
国家賠償法1条1項は、公権力の行使に当たる公務員が、職務を行ううえで、不法行為をしたときには、国または公共団体がその損害を賠償する責めに任ずると定めています。
この規定があるため、公務員個人は、被害を受けた人に対する賠償責任を負わないと解されているのです」
つまり、被害を受けた人が公務員個人に直接賠償請求をすることは、できないわけだ。
一方でその場合、公務員個人は自らの不始末の責任を、国や自治体にとってもらった格好となる。国などが被害者に支払ったお金を、返さなくてもいいのだろうか。
「そういったケースで、公務員個人の責任は国や公共団体が公務員個人に求償したり、公務員法の懲戒により追及されることとなっています。ただし、公務員個人が求償責任を負うのは、『故意または重大な過失』があった場合に限られています(同条2項)」
つまり、故意か重過失がなければ、公務員個人は、国からの求償請求も受けないわけだ。制度的にかなり手厚く守られているようだが、どうしてなのだろうか。
「公務員はそもそも、全体への奉仕者として、積極的に公益に貢献することが求められています。そのため、公務員は不満を持った人たちからの批判を受けがちになります。
もし、公務員が『個人責任を追及されるかもしれない』という懸念を抱き、適切な行動をためらうようなことになれば、かえって公益が阻害されるおそれがあります。
このことは、警察や消防、あるいは消費生活センターの商品事故情報の公表を考えれば、よく分かると思います」
たしかに、仕事で難しい判断を強いられ、それが裏目に出るたびに個人的な責任を追及されたら、働き続けるのは難しくなるだろう。
「しかし、たとえば私立学校と公立学校を比較した場合、教師という仕事の性質は、何ら変わりはありません。私立学校の教員が、個人責任の追及をおそれるあまり、教育活動に支障が出たという話は、私は聞いたことがありません。
そう考えると、どうして公立学校の教員だけが個人責任を免れるのか、という疑問は残ります。かえってその結果、児童や保護者に無責任な教育が行われているのではないか。そんな問いかけに、もう一度原点にかえって、向き合う必要もあると思います」
公務員の中でも「教員は別」という扱いは可能なのだろうか。
「たとえば、国公立病院の医療行為は、私立病院と同じ取扱いを受けて、『公権力の行使には当たらない』とされています。公立学校における教育活動も、公権力の行使にあたらないと考える余地は、十分にあると思います」
湯川弁護士はこのように話していた。学校でのいじめ問題のように、根深く難しい問題に取り組む際には、いったん最初に戻って、それぞれの「責任」について考えてみることも必要なのかもしれない。
(弁護士ドットコム トピックス)
【取材協力弁護士】
湯川 二朗(ゆかわ・じろう)弁護士
京都出身だが、東京の大学を出て、東京で弁護士を開業。その後、福井に移り、さらに京都に戻って地元で弁護士をやっている。なるべくフットワーク軽く、現地に足を運ぶようにしている。
事務所名:湯川法律事務所